ずっと「この日」があったことを

書きたいと思っていて

少しずつ

こころを整理しながら

書き進めてきたものですニコニコ飛び出すハート









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わたしは、ずっと人付き合いが苦手で


不安や恐怖心がすごかったんですよ。


(ブログを始めた頃から知ってる方は

きっとご存知かな、、赤ちゃん泣き


もちろんいまだって、

不安や恐怖心が全くゼロになったなんて

そんなことなくて。



不安にもなるし、

ふとしたときに、

ネガティブ沼にもハマることだってあります。



それが、

ほんとうのわたしだからおねがい


隠さなくていいし。

認めてあげたらいいし、

いっぱい、吐き出すこと、





本当に少しずつ、少しずつ。


変わりたくて

そのまんまのわたしで、

ありのままのわたしで、



大丈夫なんだって。



むしろ、

わたしは頑張りすぎていた。



なにかをしなくては、

なにかを相手に与えなくちゃ

そこには居られないという


意味不明な恐怖心があったんだよね。




だから、興味ない話にも一生懸命に

共感しようと

していたころもあった。




「ありのままのわたし」から

だれかに「合わせる」わたしに


なっていくにつれて、



ありのままのわたしから、


かけ離れていくわけだから、


無理してるわけだから、



異常な疲れも、

頭痛も


孤独感も、

(自分のまんまじゃだめだと

自己否定しながら相手に合わせてたから)



それは当然のことだったのかなって


いまなら、

なんでそこまでして


だれかと居たかったんだろうね、って

思う。





いま、振り返るとね

こどもが、

幼稚園の頃の人付き合いは

地獄だったな、、。


◯◯くん

◯◯ちゃんと、遊びたい


とか、

家に行きたいとか



なかなか、そういうことが

盛んな園だったから

それが「普通」なところもあって


共働きでフルタイムで

そうでなくても

ストレスフルなのに悲しい

それでもわたしは、


そうしてあげないと、

こどもがかわいそうという

謎の罪悪感から、



苦手なライン交換もして

ノリの良いママさんみたいに

がんばって

「営業活動」していたように思う。



あ、でも、これも

すごく自分に嘘ついてるから


ほんとーに、

続かなかった苦笑



幼稚園仲間と

遊びに行く前日の夜中には

必ずと言っていいほど



胃痙攣になったものです、、

(遠い目真顔

どんだけ、嫌だったのか、、苦笑)





いまなら、

絶対に行かないし、

連絡先も交換しないし


なんであんなことしてたのかなって

すごく思うんだけど、、





そうして、苦しんで

こどものために!って

一生懸命になってたその頃のわたしが、



居たから、




こそ。


いまのわたしになれたんだから。




もうやめよう!

もうだめだ!



そこまで、思えたから

なんとかして

変わりたかったんだから。











その頃は、

仕事も、

子育ても

夫婦関係も


なにもかもがうまくいってなくて

もういやだ、

もう逃げたい、



そんなふうに

毎日、ため息して

不機嫌オーラ出してたわぁ。。。泣き笑い






でもね、

変わりたい、

なんとかしたい、


って本気になったら、



やっぱり「気づかせてくれるなにか」に

出会えるんだと思う。





ピンチは、チャンス。




よく聞く言葉かもしれないけれど、


どんなものも、

本や、人の言葉や、

何気なくみたCMや、



それを「チャンス」に変えることが

できるのは


本気なのかもしれないなぁおねがい







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幼稚園の頃のママ友づきあいが

一瞬にして疲れて

嫌になって泣き笑い



わたしが方向転換したのは、




もう、やめる。でした。





無理なことやめてく。




そこからは、

ママ友さんとも、

積極的に話にいかない。

連絡先交換とかにも

参加しないように

輪には絶対入らない。


合わないと感じたら

すぐに離れる。



どんどん、

どんどん、

距離を取っていきました。



これでいいのか、

不安でもあったし、

なにが正解なんてわからなかったけど



もう「自分に嘘つきたくなかった」



これに尽きる。



自分にだけは

正直で居たかった。









ほとんどのママさんとも

なるべく話さないようになって、

参観会とかにもいくと、

キラキラしたような

ある程度グループができていて


わたしから、見て

あ、あの人知ってる、レベルですよ


◯◯くんのママとかは、

わかるけど、

その程度。


挨拶程度でそれ以上は話さない。





その時はね、

「仲間はずれ」になったような

一人ぼっちのような

気持ちになってたんだけどね、



あのとき、

「ひとり」を選択していて

本当によかったな、って



いま、振り返って思うんです。




ひとりだったから、


いろいろ怖がりながらも

「まわり」を冷静に見れていたなぁって。





こどもの幼稚園時代の

ママ友つきあいは、

無理だと思ってたけれど、、



その中で、知り合った友達

ママ友から始まったんだけどね


いま、わたしの大親友がいます。



幼稚園出会ってから

2年ほどかけて、ゆっくり

近づいてきてくれて


わたしのなにもかもを、

話してる人。




人が怖いことや、

こういうことが不安になったりする、

仕事の人間関係とかもそうだし、


ほんとうに、

わたしのなんでも知ってる人笑




以前からブログにも出てきてる

ご近所Tちゃん♪


Tちゃんのこどもと、

我が家の息子くんは同い年で、

同じ幼稚園で、

小学校も同じに。




幼稚園の年少さんのときに、

担任の先生の勧めでお互い知り合って


家がものすごく近くて!



結婚した年、

こどもを生んだ年、

家を建てた年、


家の外観の色、

家の中の構造まで、、キョロキョロ

これには驚く。。



ちょっとびっくりなんだけど、

ラインを送るタイミングか重なったりして、


そのTちゃんからも、

わたしたち双子だね!って

よく言われるウインク



Tちゃんは、

出会った時、

わたしと真反対な人だと思った。





ものすごく社交的で、

誰とでも仲良くなれて、

ほんとうにすごいなーって。





だからこそ、

ママ友トラブルにも

巻き込まれたりしたときがあって、




少しずつ仲良くなって行っていた時に

打ちあけてくれて。





わたしが、話したことは

そのとき

学び進めていた


こころのこと。


アドラー心理学や、

マインドフルネス、


自分自身を俯瞰すること、




大切な人を守りたい、

苦しんでいるTちゃんを助けたい、



その気持ちで

寄り添い、

たくさんお話ししたなぁ。


不安になっては、

連絡が来たから


また同じことを話していくうちに

Tちゃん、

ゆっくり落ち着いていってくれた。





ボスママから、

目をつけられる感じはあったけれど


そのたびに、

わたしがいる、って


言い続けてきた。





その人とこの先も

ほんとうの友達でいる?って。





安心できる柔らかいボールを

たくさんパスして


だんだんと受け取ってくれるようになって


少しずつ

いつもの笑顔に戻っていった。






そこから、

Tちゃんが

わたしを恩人だと言ってくれるようになった。



でも、わたしのほうがいつも。

いつも、与えてもらってる。










「いま現在」も、

そのボスママとは小学校も一緒だし、


相変わらずなんやかんやと、

巻き込まれたりもあったりする。


幼稚園の頃から何年も何年も

勇気づけをしてきたTちゃんは、

いま、見違えるほど

たくましく立ち向かうようになったし



「まーた、だよえー


って、

ほんとに強くなった爆笑



それに、

わたしたちは、わたしたちで

素敵な出会いで繋がってきた

まわりの他の優しいママさんたちと

いまは、お話しします♪



あんなにママ友苦手なんて言ってたけれど

Tちゃんが

繫げてくれたご縁で

他にも2,3人なんだけど、

とっても仲良くしている

友達がいます♪


2ヶ月に1回くらいのペースで

夜ご飯お出かけウインク

パパさんたちの協力もありながら、

こどもたちを見てくれています飛び出すハート


行っておいでーと、

送り出してくれるパパさんたちにも

本当に感謝キラキラ


なんにも気兼ねせず、

4,5時間笑って喋って

真剣に子育ての悩みを話したり

こんな未来がわたしにも

あったなんて。



✾ ✾ ✾



この前、


こどもたちがバス登校したあと、

朝コメダしにいったときに



わたしが、


「わたし、たくさん人が集まること

苦手なんだけど、


◯◯くんとかさ、

◯◯ちゃんとか、



それそれが遊びたいことしても

いいし、

集まって遊んでもいいし、




みんなでコテージとか

それぞれの家族で

泊まりに行っても楽しいかもねーニコニコ



と、ふと、


そんな話をしたら、



Tちゃんが

笑いながら

涙目で、

こぼれた涙をぬぐうから



「どうしたの?」って聞いたら




「あおいちゃんから、

そういう言葉が聞けて

わたし、嬉しいよ。


今日、その言葉聞くために

来たんだわーーおねがい


幼稚園の頃からの

あおいちゃんじゃ、

考えられないもん。



だから、すごく。

嬉しい。」



わたしのために、

嬉しくて泣いてくれる人がいること。




目の前で

笑いながら

泣くTちゃんを見て



わたしも泣いてしまった。




ありがとう。



ありがとうございます。



みんなで泊まりにいくことが

現実にならなくたって、


そんなこと、

よくて。



あれだけ人が苦手っていってたのに

そんなふうに、

人と関わろうって変わっていくわたしが

嬉しかったと。





わたし、

もうなんにも怖くないなって

思うんです。




誠実に向きっていれば

ちゃんと

そんな人と出会っていけるんだ。







わたしの大好きなジュバ智子さんが

伝えてくれた言葉を信じて


わたしは、「わたし」を生きてきた。


その言葉を手帳に書いて、

持ち歩いていました。

不安になるといつも開いて読んでいたもの。



人に受け入れられるために

自分を自分以上の人間として見せようとすると

ものすごく疲れるものです。


人に嫌われないために

無理をすることの裏には

必ず不安と恐れがあるからです。


自分の成長のために

コンフォートゾーンからあえて出てみる時と

嫌われないために無理をする時とで


疲れ方の質が全く違うのもそのためです。

さらに嫌われないために

無理をするということは


今のままの自分では

価値が低い(ない)ということを

自ら認めていること。


苦しくなるのも当然です。






楽に生きたいなら

自分を自分以上に見せないこと。

背伸びするのを止めましょう。


気配りが苦手な私でも

話すのが得意でない私でも

心が繊細で疲れやすい私でも

方向音痴な私でも

おっちょこちょいな私でも


いいじゃないですか。


できないこと、不得意なことが

あるからと言って、

あなたは欠陥品などではないのです。


沢山の人に好かれることで

あなたの価値が上がるわけでもありません。


歯を食いしばって背伸びし続けて生きるのと


等身大の自分のままを

好きになってくれる人達の中で

くつろいでいられるのと、

あなたはどちらを選びますか?


この、〜私でもは、

全てわたしに当てはまります(笑)


だから、たくさんたくさん、

「わたし」に。



いいじゃないか、って

車の中とかでも、

大きな声で「わたし」に何度も伝えてきました。



安心して、ほっとする。

何度も言っていると、

なにがだめだったんだろう、って

思えてくる言葉です。


わたしは、わたしでいいんだって。




あなたには

「あなたらしさ」というものが

もともと備わっています。


それに変な装飾をして

大きく見せる必要などそもそも無いのです。


等身大のあなたでいれば

そのままのあなたを大切にしてくれる人が

必ず現れます。

この言葉は、

信じ続けてきて、

本当にいま、そう思えます。