頭の中で整理したらどうどすかなどとご指摘をくださった
クソキモヲタくん、見てますか ? ど う ど す か ??ww
さて、私が言うのもアレなのですが
文章というものは ( 爆 ) 分かりやすくなければなりません。
専門的な言葉を並べて書けば “ それっぽく ” 見えますが
それは単なる自己満足。
読む人が分からなければ説明文としての意味を成さないのです !
難しいことを難しく説明するのは簡単。
( それは説明とは言いませんが )
難しいことを分かりやすく書くのが大変なのです。

私がリスペクトしてやまない、池上先生。
解説が分かりやすく、本当に尊敬します !
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先日、なんとかニュースで こんな文章を見つけました。
なんでもプロのライターさまがお書きになられたとか。
稀に見る、私の次にスバラシイw 文章のような気がします。
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大阪で起きた通り魔事件について、大阪府知事は11日、「“死にたい”と言うんだったら自分で死ねよと。人を巻き込まずに自己完結してほしい」と発言した。この発言について、『Twitter』などでは「言い方は荒いがまっとうな発言だ」という意見が大半を占めている。しかし首長としてこの考え方でいいのかということに関して、私は疑問に思わざるを得なかった。はたして、弁護士出身である橋下市長からもまっとうな発言だと認められるのだろうか。
この問題について、人権という面から考察しなければならない。「人権が制約される場面として、どのような場面が浮かぶか」という問いに対して、「公共の福祉に反する場合」という解答は正解だが、もうひとつ人権が制約される場面がある。それは自己加害を防ぐために規制する場合である。具体的には、未成年者の飲酒喫煙・麻薬の使用・バイク乗車時のヘルメット着用義務などである。これをパターナリスティックな制約と言う。
憲法には、国家が国民に介入する場面は最小限に留めるという発想が根本にある。したがって、多くの自己加害は推奨されないが規制されない。健康を損なうほどの過度なダイエットは法律で罰せられないし、自転車運転時のヘルメットも着用義務はない。パターナリスティックな制約は、あくまで人格的自立そのものを回復不可能なほど永続的に害する場合のみに限定して国の介入を許すというものである。
自殺は人格的自立そのものを回復不可能なほど永続的に害する場合の頂点にある行為である。なぜ罰則化されていないのだろうか。
「自分の身をどうしようが勝手である」とか「誰にも迷惑をかけないから」とかいう理由は適切ではないのは上記で明らかにした。加えて、同意がある行為は違法でないにも関わらず、自殺幇助(ほうじょ)や同意殺人が違法である点も指摘しておきたい。生命については、たとえ自分の身であろうとも害することもできないのである。
したがって、自殺に違法性がないと考えるのは妥当ではない。また、自殺幇助が罪であるのに自殺は罪ではないというのでは、共犯における違法性の連帯の原則に反する。
ではなぜ罰則がないのか。それは適法行為の期待可能性がないため責任を問うことができないからである。
適法行為の期待可能性とは、違法行為の当時、適法な行為を選択できる可能性のことである。例えば、飢えに苦しむ者が最終手段として食糧を窃盗したときなどに問われる。期待可能性が責任を問う要素になる理由は、適法な行為を行なうことが期待できないような場合においては、違法な行為をあえて選択したとは言えず、責任を論ずる前提を欠くからと説明される。
自殺を実際に行うことを考えてしまう場合、追い詰められて自殺する以外のことを考えられず、“違法な行為をあえて行った”とは必ずしも言えないことから、責任が阻却されるのである。
人命はいかなるものにも代え難く、自殺は違法性を認められるほどに避けたい行為である。周りの人々を巻き込まなければいい、死を選びたいならどうしようもない、などと発言した大阪府知事は、明らかに首長失格である。
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そもそもドウデモイイことを長文で書き連ねているということは
この際置いておきましょう。
その点も私によく似ていますねw
> これをパターナリスティックな制約と言う
> 人格的自立そのものを回復不可能なほど永続的に害する
> 共犯における違法性の連帯の原則に反する
> 適法行為の期待可能性とは、違法行為の当時、適法な行為を選択できる可能性
> 期待可能性が責任を問う要素になる理由
> 責任が阻却される
> 自殺は違法性を認められるほどに避けたい行為
これらの言葉、意味分かりますか ?
もちろん、何回も読めば前後の文脈で何となく分かりますが
私は学がないもので ・・ 理解するのに かなり時間がかかりました。
難しい専門的用語を並べればプロっぽく見えるという典型 ??
最後の段落 「 人命はいかなるものにも ・・ 」 の件も
結局何を言いたいのか ・・ よく分かりません。
この文章、私ならこう書きます。
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大阪で起きた通り魔事件について、大阪府知事は「死にたいなら自分で死ね。人を巻き込まずに自己完結せよ」と発言した。まっとうな考えだという意見が大半だが、私は知事がこんなことを言っても良いのか疑問に思う。
知事の発言を人権という点から考えてみよう。人権を制約されるケースとして、公共の福祉に反する場合と、もうひとつ、自分に危害が及ぶことを防止する場合がある。未成年者の飲酒喫煙、麻薬、バイク乗車時のメット着用義務など・・。
憲法では、国家の国民生活への介入は最小限に留めるという考えがある。多くの自分に危害が及ぶケースは、もちろん勧められないが規制もされていない。先に述べた制約されるケースは、その人の人格や将来、つまり命を失ってしまうことや、廃人になってしまう恐れがあるものに限定されているのである。
たとえ自分の身であっても害することは許されない。自殺はその頂点とも言えるが、何故罰せられないのか。自殺する時とは、ほとんどが追い詰められた場合ではないだろうか。あえて、わざと違法だと分かっていながら違法な行為をしたとは言えないため、責任を問われないのである。飢えに苦しんでいる人が、最終手段として食料を盗むのと同じだと思うのだが・・。
人命は尊いもので、自殺も絶対に許せない行為。周りの人さえ巻き込まなければ死んでもどうしようもないと発言した知事は、明らかに首長失格である。
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・・・ ど う ど す か ??www
念のため断っておきますが、上の文章はあくまで
最初の文を私なりにアレンジして書いたものです。
私の意見を書いたのではありませんので ! 念のため !!
私は、大阪府知事のコメントに賛成です。
死にたいなら勝手に死ねと思います。
そんな当然のことを言ったからといって知事失格とは思いません !!
だいたい、何故
> この問題について、人権という面から考察しなければならない
のでしょうか ??
確かに ・・ すでにある文章に手を加える方が
ゼロから文章を書くよりずっとずっと簡単なんですけどね。
今回のプロライターさまの文章、大変勉強になりました。
私も日々勉強を続け、分かりやすい文章を書けるよう努力します。
キモヲタくんに “ 最低の文章 ” などと言われないために ・・・

文章を書くのって、奥が深くて面白いですよネ。