歴史のif(ミッドウェー海戦 後編) | ローライダー

 さぁ、どうなるやら歴史のifシリーズw。

 前回の続きです。

 

 前回述べたように日本の第一機動部隊の基幹である4隻の空母が壊滅してしまったというのが史実である。

 

 もしも日本海軍がミッドウェー作戦の前に暗号を変えていたら。

 もしも敵空母の撃滅という作戦目的を最優先して、油断せずに敵空母発見のため、徹底した索敵を実施していたら。

 もしも東京からの情報を把握していた後方の主力部隊旗艦「大和」から、第一機動部隊に敵空母の情報が知らされていたら。

 その「もしも」のどれか一つでも実現していたら、第一機動部隊が米海軍を壊滅することができた可能性は大いにあるのである。

 そして、仮に日本軍が敵空母を壊滅させ、広大な太平洋の制海権を手にした場合、何が起こるだろうか。

 

 アメリカが戦力を回復するためには、翌昭和18年夏ごろまで待たなくてはならない。

 その間およそ1年。

その1年の間に、日本は何ができたのだろう?

 

 日本軍の作戦計画では、ミッドウェー攻略後の昭和17年10月にハワイ上陸作戦が行われる。

 ハワイを手に入れて、ここを根拠地とすれば、日本軍はアメリカ西海岸をいつでもどこでも攻撃することが可能になる。

 アメリカ側は、日本軍からの攻撃を防ぐためには、広大な西海岸全体を守らなければならなくなり、そのためには膨大な戦力を西海岸に張り付けておかなければならなくなるのだ。

 しかしアメリカは、ヨーロッパ戦線にも多くの戦力を投入しているし、イギリスやソ連、カナダ、オーストラリア、支那国民党等に膨大な軍事援助もしている。

 その援軍や援助が打ち切られる可能性が出てくるのである。

 そしてもし、アメリカからの軍事援助がなくなれば、連合軍はヨーロッパ戦線でのドイツ軍の攻撃を支えきれなくなる虞が出てくるのだ。

 特にソ連はドイツとの戦いで、スターリングラード、レニングラード、モスクワ、クルクスでも敗北し、ウラル山脈まで押し込まれていただろう。

そうなれば、独裁者スターリンも失脚していたかもしれません。

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 一方アジアでは、日本と支那国民党との関係も変化してくる。

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 当時、汪兆銘の南京政府を支那の正当な政府と認めていた日本は、重慶にまで逃げ込んだ蒋介石の国民党と戦っていたが、アメリカからの援助で支えられ、かろうじて戦争を継続していた蒋介石も、その援助が打ち切られたら降伏する以外の選択肢はなくなる。

 そうなる前に、蒋介石は汪兆銘と手を結ぶ以外に助かる見込みがなくなる。

 事実日本の外務省では、外務大臣重光葵を中心として国民党蒋介石に対する工作が行われており、その工作は東條首相も承認していたというのだ。

 

 そもそもアメリカ大統領ルーズベルトが、支那事変で日本と戦っていた蒋介石に軍事援助をしたり、ABCD包囲網という経済制裁によって日本を戦争に追い込んだのも、ドイツと同盟を結んでいた日本との戦争になれば、アメリカはヨーロッパ戦線に参戦する大義名分ができるというのが一つの動機である。

 だから、いわゆる「ハルノート」で、即時支那からの撤兵という、当時の日本には飲めない条件を突き付けたのだ。

 だが、汪兆銘の南京政府と蒋介石国民党が手を結び、支那との和平が実現すれば、日本軍が支那から即時撤兵することが可能になる。

 もしそうなれば、アメリカは日本と戦う大義名分を失う。

 また、負け続けている海軍へのアメリカ国民の信頼感は薄れ、しかも戦争の大義名分を失ったアメリカ軍や国民も戦意を喪失し、アメリカ世論も日本との講和に傾くのではないでしょうか。

 

 開戦前、山本五十六連合艦隊司令長官は近衛首相に対し

「そりゃ半年や1年は存分に暴れて見せる。しかし2年3年となればアメリカに勝てる保証はない」

と言ったという。

 そして、軍令部の反対を押し切って実行した真珠湾奇襲攻撃も、開戦劈頭に米太平洋艦隊を撃滅して、アメリカの戦意を喪失させることを主目的としていた。

 また、日本の「欧米からのアジアの解放」という大義名分も、大東亜共栄圏構想も道筋がついており

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これらのことを考え合わせれば、日本もアメリカとの早期講和に傾いたのではないでしょうか。

 

 結果、もしミッドウェー海戦に日本軍が勝利したら、日米の早期講和が実現し、ルーズベルト大統領は失脚して、次の大統領は日本との戦争を反対していた共和党から選出され、新たな日米関係が構築されたということになるのかもしれません。

 めでたしめでたしとwwwww。

 

 

 まぁここまで好き勝手なことを書いてしまいましたが、もちろん異論はあると思うし、全く反対にむしろ戦争が長期化して、日本にもっと大きな被害が出たかもしれないという意見も出てくるだろう。

 これはいわゆる、パラレルワールドの一つに過ぎないのかもしれません。

 誰が言い出したのか「歴史にifは禁物」という言葉がありますが、それでは歴史を学ぶ意味がないのだと思うのです。

 だって歴史って、過去に起きた出来事を学び、失敗を反省に変えてより良い世の中にしていくことこそ、未来に活かせる本当の歴史教育だと思うのですが、違いますかね。

 私は、「歴史のif」というものはどんどん取り入れるべきだと思う。

 歴史上のある事件に対して、その時どうするのが最善の方法だったのか、子供たちに討論をさせることは、歴史を学ぶ上で非常に有意義だと思うのです。