日本軍は強かったが…… | ローライダー

 本日15日は、終戦の日だ。

 もうこんな時期になってきたんですね~。

 今回は終戦の日にちなんで、日本兵最強伝説について語ってみたいと思います。

    といっても、以前に当ブログでもご紹介した

「日本軍最強伝説」

とは違って、至って真面目なお話です。

 以下、あるブログから参照した日本兵最強伝説です。

 

<以下参照>

 

 

■ 日本軍の実力

 兵の強弱を語るとき、常に最初に出てくるのは日本兵最強伝説である。

 これは欧米が等しく認めるところである。

 そして逆に語られるのは、支那・韓国兵最弱説である。

 これは日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦及びその間の事変、争乱において日本人ではなく世界が評価しているもので、決して自画自賛ではない。

 一方で支那兵といえば、兵といえる代物ではなかった。

 支那事変は、支那国民党軍敗走の歴史であった。

 また韓国軍にしても全く同様で、朝鮮戦争においては、その無様な有様に実質米軍は崩壊、3万もの犠牲を出してしまったのは、主として韓国軍のだらしなさにあったといわれている。

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 兵の強弱は肉体的資質ではない。

 特に近代戦になれば、三国志で語られるような個々が肉弾相打つような戦闘は皆無だ。

 そういう中では、義務感と責任感をいかに持って、精神的に耐えるかという資質が問われる。

 そこの資質がしっかりしていると、敵の強弱は問題でなくなる。

 逆にそこが弱いと、強い敵にはひれ伏し、逃げ惑い、弱い敵には残虐、非道、蛮行のやり放題という現象を引き起こす。

 支那の通州事件や韓国の日本人に対する戦後の蛮行、ベトナム戦争におけるライダイハン事件はその典型だ。

 資質の問題は、戦闘そのものについて大きな影響を与える。

 戦闘部隊が交戦において被害を受けた時、その被害の認識・判断をするのは、総合的な状況を把握できる部隊中枢(司令部)であるが、現実には前線戦闘部隊の兵士の戦意にもろに現れる。

 欧米、特に英独仏の陸戦においては、被害の程度をランク付けし、それに応じた作戦を立てていた。

 そのランクにおいて、死傷3~4割を超えると、その部隊は全滅と判断される。

 これは兵士の戦闘意欲(士気)の問題であり、物理的な兵員の損害の問題ではない。

 部隊としての戦闘能力がなくなれば、その判断は当然のことだ。

 ところが、その常識が通用しない軍隊がいた。

 それが日本軍だ。

 その玉砕するまで戦うという戦闘は世界に例がない。

 これは教育ではなく民族気質だから、現状の自衛隊にも延々と繋がっていることは間違いない。

 敵に回してしまうと最悪の軍。

 これが日本軍なのだ。

 全滅の定義は各国の軍、それも陸海空でそれぞれ違う。

 仮想敵国の陸軍と戦闘が予測される場合、相手国の全滅指数が3割であれば、初戦に奇襲をかけて1~2割を殲滅して、残りの1割の殲滅に全力を挙げるというのが通常の戦術だ。

 これで相手部隊は、戦闘継続意欲と戦意喪失する。

 ところが玉砕日本軍はそうはいかない。

 実質日本軍殲滅は不可能だ。

 支那事変当時、日本軍は国民党軍との戦闘において、5倍、10倍の兵力差は気にしなかったという。

 つまり、国民党軍の全滅指数は2割程度だったということだ。

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 韓国軍については、一時は日本軍として戦った経験から見ると、1割もないだろうといわれている。

 こんな日本軍が、引いて専守防衛となれば、戦争を仕掛けた方が自動的に潰れてしまう。

 少なくとも現役の軍人の肩書を持つ者であれば、日本軍(自衛隊)との戦争など不可能なことは常識だ。

 

■ 日本軍の規律

 日本軍は規律正しい統制のとれた模範の軍隊で

「戦時国際法を守る国」

として、世界的に定評がありました。

 戦後のいわゆる東京裁判を始めとした、アジア各地で行われた軍事裁判では、白人と支那人が当然のこととして行ってきた悪行の全ては、日本軍の仕業にすり替えられ、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と呼ばれる、日本占領管理政策の一環として行われた日本人洗脳政策によって、日本人自身も日本軍に対する「悪」のイメージを植え付けられ、祖国を命がけで守ってくれる軍隊にアレルギーを持つ世界唯一の国になってしまいました。

 しかし日本軍の本当の姿は、前述したように世界から称賛されていた規律のとれた心優しい軍隊で、現地市民の間でも日本軍は規律に厳正で、支那軍よりもよっぽど信用できるとの評価を得ていました。

 日本人は現地人からも信頼されており、日本軍が統治した場所は、付近から人が集まり、人口がが増えています。

 日本人は支那人の思いにまで大切にしていて、支那人が崇拝している偉人である孟子にも

「支那人が大切にしている偉人」

という理由で、大切にする軍令が出ていました。

 孟子廟の入り口には、次のような注意書きが掲げられました。

 

1 孟子は孔子と共に支那人の最も崇拝する偉人である。我々日本人にとっても精神的文化の恩人である。

2 参拝する者は、故国において神社仏閣に参拝するのと同様の心得を持って慎み深く行動すること。

3 模範的行動が皇軍の名誉を発揚し、支那民衆に日本軍が親しまれる力となることを忘れるべからず。

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 孟子廟以外にも、山東省北部の世界文化遺産「雲崗の石窟寺院」を保護する軍令も出ていました。

 また、支那の偉人である孫文の銅像が倒れていると、その上に中華民国の国旗を掛けてあげるなど、敵とはいえ支那の軍人以外には、自国の物以上に接してきたのが日本軍でした。

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 そんな日本軍が、未だに「悪」の代名詞で語られるのが残念でなりません。

 世界では、自分たちが悪行の限りを尽くしてきたので、日本軍も同じことをしたということを簡単に信じられてしまうという土台があります。

 しかし日本では、古来から虐殺という文化はありません。

 世界のお城は城塞都市となっており、民間人を守るための防壁がありますが、日本のお城は城主や家臣を守るためのもので、民間人を守る為のものではありません。

 これは、武士が民間人を守らなかったのではなく、武士の中に民間人に手を出すような不届き者がいなかったので、守る必要がなかったからです。

 戦国時代を始めとした日本でいう戦は、民間人を巻き込んだものではありませんでした。

(田畑が合戦場になる場合には収穫が終わった後か、予め百姓たちに被害額相当の金銭が支払われていたという例もある)

 なので、日本には滅びた文化がほとんどなくて、都道府県ごとに多くの特色ある文化が残っています。

 これは戦争においても、民間人やその伝統文化などには手を出さず、例え敵であってもそういったものを守ってきたからです。

 自分の命よりも、名前や名誉を大切にしてきた日本軍が「悪の代名詞」で語られているのは、日本の歴史を通して培ってきたものへの最大の侮辱です。

 

<以上参照>

 

■ まとめ

 以上ここまで述べてきましたが、WGIPの一環として、戦後のマスコミや教育によって、みなさんがこれまで教えられてきた日本軍の姿とは、随分と違うのではないでしょうか?

 それと、日本がアメリカと戦争をしたのが間違いだったと言う教師や評論家が多くいて、かつて自分も含めて、その言葉を鵜呑みにしてきた日本人がほとんどだったと思います。

 しかし、日米開戦時には日本海軍の戦力は米海軍をはるかに凌駕しており、短期決戦では十分に勝算があったのだ。

 それでも日本は、日米戦争回避のために最大限の譲歩と努力をしており、またアメリカの議会(特に共和党)、軍部、世論は日本との戦争には反対していた。

 もしも日本が真珠湾奇襲攻撃をしていなければ、また日本が突き付けられたハルノートをアメリカのマスコミを使って公表していたら、ルーズベルト大統領及び米政府は、議会で相当追い込まれていたのかもしれません。

 それだけ、当時のアメリカの現役の軍人たちは、冷静に日本軍の実力を評価していたともいえるでしょう。

 日本は軍国主義で、軍が暴走して戦争に引きずり込まれたのだと教えられていますが、実は戦争を最も嫌っておられたのが天皇陛下であり、また軍部だったのである。

 皮肉なことに、日米両国の軍部が最も戦争を回避したがっていたという事実は、何とも言いようがありません。

 そして、日本が戦争に引きずり込まれた原因の多くは、悲しいかな当時、最も存在感がなかった日本の国会であり、最も無能だったのが米議会に対するロビー活動も米マスコミ対策もせず、ただ譲歩だけを繰り返してきた外務省であり、最も好戦的だったのが「鬼畜米英」「暴支膺懲」と叫んでいたマスコミであり、それに煽られた世論だった、ということをみなさんも覚えておいた方がいいと思うのです。

 

 二度と過ちを繰り返さないために……合掌。