タマラさんの「愛情を知る」エネルギーワーク② |   REIKO.S「自分らしく生きる」Ⅰ

  REIKO.S「自分らしく生きる」Ⅰ

  私:REIKO が日々の中で感じ思い考え行動した記録
 

「愛情を知る」エネルギーワーク。

前回の続きから書くと・・・

頭の方へ、そして足先へと広がっていったエネルギー。
向かい合って座っていたタマラさんは、
私の中に広がっていくエネルギーをみながら、どこまで広がっているかを
教えてくださって、そしてそれは私の感覚としても確かに重なって
そのこと自体が、まず面白かった。

足先まで行ったそのエネルギーを、
私はまるで巾着の口を広げたり絞ったりするようにしていたらしい。
「いっぱいになったのを出そう!とするんだけど
 でもやっぱりもったいないって閉じたり。あなた、面白いわね」
そう言って、タマラさんは笑っている。

その言葉を聞いて・・・あっと思った。

ハートのあたりのキリキリした痛み。
それは私の多分「恐れ」からくるものなのではないか。

例えば・・・対象が男性女性に関係なく
気になる人が現れる。対象に向けての好奇心が止まらなくなる。

そこに注ぐ情熱たるや、ある意味「もったいない」なんて
これっぽっちもない。そんなこと考えもしない。
その人への思いは、とめどなくどんどん出てくる。
それが一般的に言うところの「片思い」というのかもしれない。

ここまでは、存分に愛情が出せる。
意識的に、いや無意識に、
体がさまざまに愛情表現スイッチを「アクティブ」モードにする。

私の場合の問題は、ここから。
自分が「好きなんだ」と認めてしまったところから、様相が一変する。

私の出す愛情表現に見合うだけの相手からの「お返し」を期待するようになる。
私が「100」を提供したら、「100以上」でないと不安になる。
「99」だった場合、そのがっくり度合いは、半端なく・・・
そのがっくりが嫌なので、次、私からの愛情表現は「98」にしようと思い始める。

こういうことをしていたんだな、と、タマラさんの言葉からイメージが浮かんだ。

そして、、、気がついてしまった。
私は、相手から返ってこないことが「愛情不足」だと思っていた。

でも、そうじゃない。
私が本当は出したい「100」ある愛情を、
「100」出しきらないことに、私が「不満」なんだ!

どんなに好きでも、どんなに尊敬していても、どんなに親しみを感じていても
その人は、他人なのだ。自分以外の存在。
だから、、、その行動は、私の「思い通り」ではないのが、普通。
相手にも感情があり、考えがあり、それに基づいて動いている
別の惑星・・・。影響こそすれ、同じではないのだ。

大事なのは、自分。
自分の愛情を、100出さないから、不満。出し切らないから、不満。

「惜しみなく」もっている愛情を、「惜しみなく」活かしていないことに
大いに不満なのだ、私は!

そこに思い至って、腹の底から、合点がいった。

続く