放送回数1000回を超える長寿番組『開運!なんでも鑑定団』の鑑定士として唯一、初回から出演し続けている北原照久さん。
世界的なおもちゃコレクターとして知られ、6つの博物館を経営する他、様々なテレビ、ラジオに出演し、年間約150本の講演、累計71冊の著作と幅広く活躍。
横須賀・佐島の海辺の大豪邸に住むなど、
誰もが羨むような成功者となった北原さんですが、実は少年時代は、落ちこぼれだったといいます。
人生のどん底を救ってくれたお母様の言葉。
その体験から掴んだ「人生を変える魔法の言葉」とは——。
70年余りの人生を振り返ってみると、私はこれまで思い描いた夢をすべて実現させることができている。
17歳の時に、憧れの加山雄三さん、吉永小百合さんに会いたいという夢を持った。
その後、20歳の時には、フォードの高級車・サンダーバードが欲しい、おもちゃの博物館をつくりたい。
30代では、豪邸に住みたい。
「そんなの無理だ」
ほとんどの人から、こう言われた。
誇大妄想狂やほら吹き、狼少年と揶揄された。
ところが、37歳の時、横浜にブリキのおもちゃ博物館を設立し、49歳の時に500坪の豪邸を、50歳の誕生日にサンダーバードを手に入れ、52歳の時に加山さんと、還暦の年に吉永さんとお会いすることができた。
いまでは周囲から「世界的なおもちゃコレクター」と称されるようになり、6つの博物館を経営し、年間約150本の講演、累計71冊の著書を出すまでになったのである。
なぜこうも運よく、夢を実現させることができたのか。
そう考えた時、私の中に一つの答えが浮かび上がった。
「すべては出逢いである」
人との出逢い、物との出逢い、そして言葉との出逢いが、自分の人生をよい方向に導いてくれたと思わずにはいられない。
私は1948年、北原家4人兄弟の末っ子として生まれた。
上の3人は皆、近所でも評判になるほどの秀才だった。
それに対して私の成績は、体育を除いてオール1。
親は寛容だったが、学校の先生からは常に兄たちと比較される。
このことが勉強嫌いに一層拍車をかけた。
中学に入ると、勉強ができないため授業をさぼるのが当たり前になり、盛り場に入り浸って喧嘩をしたり、悪友と遊びに耽(ふけ)るようになっていった。
揚げ句の果てには、中学校3年生の2学期に、ある事件をきっかけに、退学処分を食らったのである。
この時が、私の人生のどん底だったかもしれない。
退学になったその日、私はひどく落ち込み、親に合わせる顔がないと思うと、なかなか家に帰ることができなかった。
ところが、打ちひしがれていた私を見るにつけ、母はこう言ったのである。
「おまえの人生は、これで終わったわけじゃない。
これから先の人生のほうがずっと長い。
だからめげることないよ。
人生はやり直しはできないけど、出直しはいつでもできる」
この母の言葉は、そのままダメになってしまいそうだった私を救ってくれた。
その後は、実家のスポーツ店を手伝うつもりだったが、父の勧めもあって、高校へ進学することになった。
1学年800名のうち、成績はどん尻の800番。
ここでも、素晴らしい先生との出逢いが劣等感の塊だった私の人生を変えてくれたのである。
入学して間もない頃、三択式のテストがあった。
まったく答えがわからなかったが、たまたま直感が冴えていたのだろう。
そのテストで、私は60点を取った。
すると、担任の沢辺利夫先生は我が事のように喜び、思いもかけない言葉を掛けてくれた。
「北原、すごいな!
おまえはできないんじゃなくて、やらなかっただけだ。
やればできるぞ」
本心から褒めてくれた先生のこの言葉が、私の心に火をつけた。
また先生に喜んでもらいたい、褒めてもらいたいとの一心で、アルファベットもろくに書けない状態から、猛勉強を積み重ねていった。
努力する、成績が上がる、褒められる、また努力する……。
その繰り返しの果てに、学年最下位だった私は799人をごぼう抜きし、学年トップで卒業式を迎え、総代として謝辞を述べるまでになったのである。
この3年間で私は、「やればできる」という自信を身につけることができた。
これは私の原点であり、この時に、真の人生のスタート地点に立つことができたと思う。
ゆえに、両親と沢辺先生には感謝しても感謝しきれないし、言葉の持つ力の大きさを実感するようになった。
自分が口にした言葉を最初に聞くのは、誰か。
それは話し相手ではなく、自分なのだ。
だから、いつも不平不満や愚痴、悪口、恨み、妬みを発している人は、それを相手にぶつけているつもりでも、実は自分自身にダメージを与えている。
私は20歳の時に、オーストリアに留学した。
そこで、古い物を大事にする文化に感銘を受け、柱時計を皮切りに、明治から昭和にかけてのおもちゃやポスター、雑誌、小説、レコード、文具等々……
自分がときめく物を、ただひたすら収集するようになった。
これまで、46年間で集めたコレクションの数は、実に4トントラック100台以上にも上る。
その間、私が心掛けてきたのは、「絶対に人の悪口を言わない」ということだ。
私一人では、到底これだけのコレクションを集めることは不可能だった。
無数の人たちとのご縁があってこその、産物なのである。
悪口を言う人のところに人は集まらないし、運も離れていってしまう。
だから私は、どんな不条理なことをされても、決して悪口や負の言葉を発しないようにしてきた。
人生は良いことばかりではないし、かといって、悪いことばかりでもない。
バイオリズムがある。
だからこそ、よい時には「感謝」をし、悪い時には難が有るから「有り難う」と言う。
いつも「感謝と有り難う」を口ずさんでいると、運命はよくなり、人生は好転していく。
これは、私の心からの実感である。
=北原照久(トーイズ社長)=
『しあわせになるレシピ』より
世界的なおもちゃコレクターとして知られ、6つの博物館を経営する他、様々なテレビ、ラジオに出演し、年間約150本の講演、累計71冊の著作と幅広く活躍。
横須賀・佐島の海辺の大豪邸に住むなど、
誰もが羨むような成功者となった北原さんですが、実は少年時代は、落ちこぼれだったといいます。
人生のどん底を救ってくれたお母様の言葉。
その体験から掴んだ「人生を変える魔法の言葉」とは——。
70年余りの人生を振り返ってみると、私はこれまで思い描いた夢をすべて実現させることができている。
17歳の時に、憧れの加山雄三さん、吉永小百合さんに会いたいという夢を持った。
その後、20歳の時には、フォードの高級車・サンダーバードが欲しい、おもちゃの博物館をつくりたい。
30代では、豪邸に住みたい。
「そんなの無理だ」
ほとんどの人から、こう言われた。
誇大妄想狂やほら吹き、狼少年と揶揄された。
ところが、37歳の時、横浜にブリキのおもちゃ博物館を設立し、49歳の時に500坪の豪邸を、50歳の誕生日にサンダーバードを手に入れ、52歳の時に加山さんと、還暦の年に吉永さんとお会いすることができた。
いまでは周囲から「世界的なおもちゃコレクター」と称されるようになり、6つの博物館を経営し、年間約150本の講演、累計71冊の著書を出すまでになったのである。
なぜこうも運よく、夢を実現させることができたのか。
そう考えた時、私の中に一つの答えが浮かび上がった。
「すべては出逢いである」
人との出逢い、物との出逢い、そして言葉との出逢いが、自分の人生をよい方向に導いてくれたと思わずにはいられない。
私は1948年、北原家4人兄弟の末っ子として生まれた。
上の3人は皆、近所でも評判になるほどの秀才だった。
それに対して私の成績は、体育を除いてオール1。
親は寛容だったが、学校の先生からは常に兄たちと比較される。
このことが勉強嫌いに一層拍車をかけた。
中学に入ると、勉強ができないため授業をさぼるのが当たり前になり、盛り場に入り浸って喧嘩をしたり、悪友と遊びに耽(ふけ)るようになっていった。
揚げ句の果てには、中学校3年生の2学期に、ある事件をきっかけに、退学処分を食らったのである。
この時が、私の人生のどん底だったかもしれない。
退学になったその日、私はひどく落ち込み、親に合わせる顔がないと思うと、なかなか家に帰ることができなかった。
ところが、打ちひしがれていた私を見るにつけ、母はこう言ったのである。
「おまえの人生は、これで終わったわけじゃない。
これから先の人生のほうがずっと長い。
だからめげることないよ。
人生はやり直しはできないけど、出直しはいつでもできる」
この母の言葉は、そのままダメになってしまいそうだった私を救ってくれた。
その後は、実家のスポーツ店を手伝うつもりだったが、父の勧めもあって、高校へ進学することになった。
1学年800名のうち、成績はどん尻の800番。
ここでも、素晴らしい先生との出逢いが劣等感の塊だった私の人生を変えてくれたのである。
入学して間もない頃、三択式のテストがあった。
まったく答えがわからなかったが、たまたま直感が冴えていたのだろう。
そのテストで、私は60点を取った。
すると、担任の沢辺利夫先生は我が事のように喜び、思いもかけない言葉を掛けてくれた。
「北原、すごいな!
おまえはできないんじゃなくて、やらなかっただけだ。
やればできるぞ」
本心から褒めてくれた先生のこの言葉が、私の心に火をつけた。
また先生に喜んでもらいたい、褒めてもらいたいとの一心で、アルファベットもろくに書けない状態から、猛勉強を積み重ねていった。
努力する、成績が上がる、褒められる、また努力する……。
その繰り返しの果てに、学年最下位だった私は799人をごぼう抜きし、学年トップで卒業式を迎え、総代として謝辞を述べるまでになったのである。
この3年間で私は、「やればできる」という自信を身につけることができた。
これは私の原点であり、この時に、真の人生のスタート地点に立つことができたと思う。
ゆえに、両親と沢辺先生には感謝しても感謝しきれないし、言葉の持つ力の大きさを実感するようになった。
自分が口にした言葉を最初に聞くのは、誰か。
それは話し相手ではなく、自分なのだ。
だから、いつも不平不満や愚痴、悪口、恨み、妬みを発している人は、それを相手にぶつけているつもりでも、実は自分自身にダメージを与えている。
私は20歳の時に、オーストリアに留学した。
そこで、古い物を大事にする文化に感銘を受け、柱時計を皮切りに、明治から昭和にかけてのおもちゃやポスター、雑誌、小説、レコード、文具等々……
自分がときめく物を、ただひたすら収集するようになった。
これまで、46年間で集めたコレクションの数は、実に4トントラック100台以上にも上る。
その間、私が心掛けてきたのは、「絶対に人の悪口を言わない」ということだ。
私一人では、到底これだけのコレクションを集めることは不可能だった。
無数の人たちとのご縁があってこその、産物なのである。
悪口を言う人のところに人は集まらないし、運も離れていってしまう。
だから私は、どんな不条理なことをされても、決して悪口や負の言葉を発しないようにしてきた。
人生は良いことばかりではないし、かといって、悪いことばかりでもない。
バイオリズムがある。
だからこそ、よい時には「感謝」をし、悪い時には難が有るから「有り難う」と言う。
いつも「感謝と有り難う」を口ずさんでいると、運命はよくなり、人生は好転していく。
これは、私の心からの実感である。
=北原照久(トーイズ社長)=
『しあわせになるレシピ』より
ベティローズ😀
負の言葉悪口は、言った人は、口から耳から
二倍マイナスが戻り、聞いた人も耳からマイナスが、、嫌な内容話してさらに、言った人聞いた人がマイナスになれば、誰も良い事なしですね
見ざる言わざる聞かざる
素晴らしい言葉をいつもこころにですね🙈🙉🙊
本日も、最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございますm(._.)m
心より感謝申し上げます\(^_^)/
本日も、最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございますm(._.)m
心より感謝申し上げます\(^_^)/