肺腺がん、時々は乳がん記録 -6ページ目

肺腺がん、時々は乳がん記録

1970年生まれ、女性、肺腺がん(2014年3月胸膜播種のためステージ4告知)、ALK陽性。ついでに2015年2月原発性乳がん(粘液癌)の温存手術もし、複合がん認定。病気になっても、病人にならないを目指しています。

お休み日数を節約するために、3月に予定していた呼吸器内科の診察を2月の乳腺内科に合わせて前倒ししてもらいました。

 

X線と血液検査は特に異常なしでアレセンサは継続です。

乳がんの術後3年のマンモ・エコーの検査結果もとりあえずクリア。

ホルモン剤も継続です。

よかった、よかった。

 

2014年3月に肺がん4期の診断を受けて、なんだかんだと4年過ぎました。

なんとなーくですが、アレセンサがどれだけ効くかが勝負どころになりそうな気がします。

細木数子の占いによると私は来年から大殺界に入るらしいし(オーマイガ)。

 

ところで仕事をしていると本当に毎日がものすごいスピードで過ぎていきますね。

1月に復職して、アッという間にいまは3月。2か月経とうとしています。

 

ワークライフバランスが本当に難しい。

私にとってライフは

生活だけでなく、

生命(体力)、

そして、人生(残り時間)であり、体力と時間を奪うワークとどうバランスをとるべきか。

 

自分の体力はどれだけなのか、アレセンサはどれくらい効いてくれるのか、

病気がどれだけ悪さをしてくるのか、

オファーされた仕事がどれだけ自分に負荷をかけるのか、

分からないことだらけ。

 

自信がなくてオファーを一部蹴った。

はたして、職業人としてそれは正しかったのか。

病気を言い訳にしているだけ、甘えているだけなのか。

 

オファーを一部蹴るにあたり、降格も願いでた。

上司はそれはしなくていいと言った。

 

でも、受けたオファーだってパーフェクトにできるのか自信ない。

やってみるしかない。

やってみて、できなければまた調整しようと上司は言ってくれた。

 

情けないかな。

私はライフを大きく犠牲にしてまでワークしたいとは思っていない。

本当に苦しかったら辞めればいいじゃん、と思っているところもある。

 

じゃぁ、なんで復職したのか。

大学を卒業してからずっと働いてきた職場は嫌いではないし、愛着があったから、かな。

自分の居場所の一つを去る勇気がなかっただけ、かな。

要は決断を先延ばしにしているだけ、かな。