木曜日から台風を引き連れ仙台に帰省してましたみみです。おはようございます。
すごい雨だった。ほんとに。そしてその中を傘さして歩いてた私。母はそんなにすごい雨とは知らず
「自分で帰って来い!」と。鬼です(*_*)
じつは先週の火曜日に前から予定していた父の大動脈瘤、大動脈解離の手術がありました。
私は離れているところに住んでるため、母は「あんたは来ないでいいから!」と頑なに拒み続けていたため、静岡から手術の成功を祈っていました。
長い手術と聞いていたものの、火曜日の朝9時から始まり、その日の夜の12時を超えてもまだ連絡は来ず。朝携帯を見ると母からメール。
「まだ終わりません」と。
結局終了したのは翌日の朝8時。ほぼ24時間の手術。
血が止まらず、止血に6時間かかったのが手術が伸びた原因でした。
手術の日は母、妹、青森の弟、岩手の弟と私以外がみんな病院に集まっていました。
手術自体は成功。
しかし木曜の朝、母からメールで
「出血止まらず。再手術に今から入ります。」と。
再手術のリスクはうちの病院の心外の先生から聞いていたため「これは危ない」と感じ、仕事を午前中で切り上げ、実家に連絡せず突撃で病院に向かいました。(その間子供は旦那と義実家にお願いしました)
家族控室に案内され、ドアを開けると母がおり、
「なに?!来たの!本当に?びっくりしたわー!」と本当にびっくりしてました。
その時、母は昔自分の母親が倒れたとき、全く同じことをしたらしくデジャブだわと言ってましたw
母に言えば「来ないでいい」と言われることはわかってたので、これはある意味成功でした。
「正直弟たちも帰り、妹と二人で不安だったから助かったよ」と言ってくれました。
その後夕方の面会にいきました。
人工呼吸器につながれ、たくさんの点滴やドレーンにつながれ浮腫んで冷たくなっている父の姿。
まるで死人のようでした。
鎮静をかけられていましたが、母が
「○○が来たよお父さん」と言ったら、うすーく目を開け、口をもごもごさせました。
こういう時なんて言葉をかけていいのか正直わかりませんでした。
頑張ってる人に頑張っても違う気がして。
出血は私がきて2日後くらいに落ち着きましたが、おしっこが出ないため透析が始まりました。
そして肺の機能も悪く人工呼吸器から離脱できず、今週気管切開をするかの決断をしなければなりません。
気管切開してしまうともう父の声は聞けなくなります。
正直辛い。避けたい。
命が助かり万々歳なのに、欲が出てきちゃいます。危険だと助かってほしい。助かれば話せるようになってほしいと。
命には代えられないけどそうならずに済むよう、父の自発呼吸が開始するよう祈るばかりです。
そして昨日が滞在最終日。
実は同じICUで気になる患者さんがいました。
生後半年から1歳前になるだろう赤ちゃん。
人工呼吸器につながれずっと目を閉じていました。
ICUに入ると正面にその子がいて必ず目に入ってきました。
もう嫌でも目に入ってくる。すごく心配でした。
ICUは面会の時間が決まっているため、一斉に面会者が控室にきます。
その子のご両親とはなかなか会えませんでしたが、最終日お会いしました。
お話ししたこともないけど、本当に元気になってもらいたいと思ったので気持ちですが、お手紙と絵本をお渡ししました。
ご両親は喜んで下さり、でも私の涙腺は限界に達しボロボロ情けなく泣いてしまいました。
そのお子さんは「川崎病」だと教えてくれました。
お母様は、「明日にはICUを出れそうです」と。
本当によかったと思いました。自分のことのように嬉しかったです。
ICUの空気は独特で異様だけど、やはりみんな他人事ではなく、助かれば「よかった」と安堵し、昨日いた人がいなくなれば「どうしたのだろう」と興味本位ではなく、家族のような気持になります。
ついに父が一番のICUの古株になりました。
早く父の元気な姿が見たい。
「赤ちゃんがICU出れるって。よかったね。次はお父さんの番だよ。次会う時は長女やちー連れてくるから。お家で会おうね」
と約束してきました。父は目を開いてくれました。そしてありがとうと言いたげに口を大きく開いてくれました。
遠く離れていても心は寄り添って一緒に戦っている気がします。
とにかく全快を。
すごい暗く重く、まとまりのない文章になりました、すみません(>_<)
でも私は元気です!