後編です!


1.トイレの重要性

2.避難所の課題&支援物資&保存食

3.地震と課題


以上についてです!!

是非、最後だけでも読んでください‼️




1/2

朝、とりあえず、何もなさそうなので被害のなかった祖父母宅へ行き仮眠を取りました。何度も揺れで目を覚ましながらも休むことを優先しました。


※揺れが来る直前

ゴゴゴゴと地響きのような音がしてから揺れるのが分かるようになりました。

震度1.2程度の揺れでも体が警戒をしているのか直ぐに反応しました。



まあ、そんな感じで緊張感がありながらも休んでいるとトイレに行きたくなりました。


なんや、トイレか


そう思われるかもしれませんが、死活問題です。

水が止まって、お風呂は我慢できてもトイレは我慢出来ません。


という事で、トイレに行くことにしました。

しかし、能登半島は断水しており、水が出るところはありません。どこから水道が使えるか分からないなと考えていると。


祖父母が近くの公園と駅が循環式トイレだと教えてくれました。


循環式トイレ??

このトイレなんと断水時でも使える災害対応型なのです。


※循環式トイレとは

床下の処理水槽に初期水を注入し、その水を常時便器に流水させ、便器の洗浄を行う水洗トイレです。 常に便器と処理水槽との間で水が循環しているので、循環式水洗トイレと言います。 便器から流れた汚水は、処理水槽で簡易浄化を行い、便器の洗浄水として再利用しています。

ネット引用)




電気が通っていたため、壊れていなければ使えるはずです。


普段からどこが循環式トイレか知っておくことも災害時の備えで重要だと気づきました。


(1/2 11:45頃)

近くまで行くと、




道が車で通らなくなっていたので歩きました。

でも!

トイレ使えて感動でした✨


ご飯を食べて、実家に向かいました。

国道は片側1車線で普段は混んでいないのですが、

歩いた方が速いくらいで5キロほど渋滞でした。


家に向かっていると近くの道で玉突き事故をしたのか警察が事故処理をしていました。



こんな時でも、事故処理してるんだと驚くと共に


こんな時だからこそ、規律を遵守することで、

全体の混乱に防いでいるのではないかと思いました。

すごい大変な仕事だなと思いました。


14:30頃家につき、家の被害状況の確認と簡易な修理を済ませました。


※この時しっかりと写真を撮ったことが非常に良かったと思いました。罹災証明や更なる地震で柱等の被害が拡大していないか客観的証拠として利用できるためです。



それから祖父母を連れて避難所に行きました。


※もし、再度大きな地震が来た際すぐに逃げることが困難なためです。


親は家を見ていると言ったため、自分が祖父母の様子を見る事と地震が起きた時にすぐ家に駆けつけることが出来るように待機するのが役割だと思いました。


16:30過ぎ

避難所に着き、名前のフルネームでの記帳を済ませ避難所で自分たちが過ごすスペースを作りました。

既に茣蓙が引かれた所があったので、座布団を並べ横になれるスペースを作り毛布を掛けました。


準備が終わると、避難所の管理者さんが

いなり寿司とクラッカー、水と長期保存用のパンをくれました。





市での備蓄がしっかりあって沢山物資があったことに感動しました。


※災害時用のパンは5年もち、更に美味しかったです。昔と比べ、災害時用の食品は味なども良くなっている為、出来る限り、美味しそうで冷えても食べられるものをメインで揃えておくと良いと思いました。



美味しく食べて、明るいうちに少し仮眠を取ることにしました。夜間駆けつけられるように体力をつけないといけないからです。


すると、後から来られた方の

イビキがうるさくて寝れませんでした


※避難所は壁もない為、もろに雑音の影響を受けると実感しました。イビキ程度我慢しろと思うかもしれませんが当時の自分にはかなりキツかったです。


という事で、イビキを避け玄関に行くとトラックが来て避難物資の積み下ろしをしていました。

20:30頃



という事で、避難物資の運搬をお手伝いしました。6人ほどで、この荷物を運びました。

毛布やブルーシート、翌日から配給する飲料水などが運ばれてきました。


なんと、避難物資を運んで下さったのは、福井県の勝山市からでした。


地震発生翌日の夜にあまり道路状況もわからない中でこうやって届けてくださったことに凄いと感じました。


夜23時頃緊急地震速報がなり、揺れました。

直ぐに家と連絡を取り大丈夫そうだったので、待機しました。そのまま朝まで何度も揺れを感じながら待機しました。


1/3 7:00 

昨日運んだ水の配給が始まり、家族の分を取りに行きました。家に水を届けに行き、8時過ぎに避難所に戻ると、簡易トイレを組み立てることになりました。


という事で、届いたパンを食べてから簡易トイレの作成をしました。





2点感じたこと

・この避難所で若い人が僕だけで意外と簡易トイレ組み立てが難しかった事。


説明書を読めば分かると言えばそれまでですが、意外とお年を召すと組み立てが難しいのだと感じました。外枠がストッパーまでハマらずの状態のものばかりで、自分の組み立てをしながら、周りの人の確認をしました。ここがしっかりしないと座った際に壊れて怪我をする恐れがありました。


・組み立てた簡易トイレがトイレに設置できない事。

洋式のトイレには簡易トイレは設置できず、和式トイレの場所に設置しようとしました。すると和式トイレは内開きで簡易トイレがつっかえるため、和式に設置できませんでした。

唯一1つだけ設置できる所に設置して、

職員さんと相談し、洋式トイレには作成した外枠を使わずにビニール部分のみを設置することにしました。


※避難物資が避難所の実情に合わないこともあるのだと感じました。


1/4 金沢アパート確認、キャンプ道具を車に積むSwitchソフト買う

1/5実家

1/6バイト、実家1/7

1/8 七尾の友達を金沢に送る

1/9〜富山市実習


1/4〜1/9まではあっという間でした。

次の揺れに備える準備と1/5午前4時に物置に火事場泥棒が来た友達が家を空けなくても良いように物資届けて送りに行ったりしてたら春休み終わりました!


なかなかにハードな年始でした。



地震と課題

さて、

大雑把ではありましたが、

地震に遭ってからの状況を伝えさせていただきました。






皆さんは

いつまで地震を

自分事のように感じていましたか?


既に過去の事になっている方が

多いのではないでしょうか?






私自身

1/4に一度アパートに戻った時

とてつもない安心感を感じました。


地震のことが頭から抜けました。


意外と自分自身に被害がないと

こんなに地震のこととは他人事になるのか

もしかしたらそれは

一種の心の逃避行動なのかと思ったり??


とある避難所では夜に1時間だけ

毎日居酒屋が開設するそうです。

プライバシーのない慣れない生活

多大なる先行きの心配

そうしたストレスを解放できる場が

今求められているのです。



【出典】東京都立精神保健福祉センター令和5年4月(改訂)「災害時 こころのケアの手引き」


ハネムーン期が終わり、幻滅期を迎える時期に入った現在。同じ被災者でも異なる環境。震災の復興から取り残される事のないように、全面的に支援される生活から以前の生活に戻れるように手を添えるような支援を手厚くされるように願っています。




さいごに、



地震から1ヶ月

別に常に地震のことを考え

普段の生活を自粛する必要はないと思います。


ただもし、

出来るのならば

わずかでも寄付したり

ちょっと石川のものを買ったり

何か出来たら嬉しいです。


そして

なにより今の環境が

当たり前と思わず

今を楽しむのがいいんじゃないかって

思いました。



ではまた👋

明日も楽しもー!



準備してあって良かった物リスト

・災害時用の食べ物、飲み物

・キャンプ用ライト

・キャンプ用寝袋

・カイロ

・モバイルバッテリー