わたしは大失敗したことがある
それは何かというと、
長男がハイハイをはじめた頃にまでさかのぼる。
当時の私は幼い長男のすることを前もって予測し
ケガをさせないようにと工夫に工夫を重ねた
これは、
私が長男の妊娠中に数回、
流産や早産になりそうな経験をして
息子がこの世からいなくなることに対し
強い恐怖をいだいていたからだ
母である私は
長男が2歳で保育園に入るまで
ケガをさせないように、
変なものを口にいれないようにと
ずっと見守っていた。。。
パパはというと、
仕事がとても忙しく、
数か月にも及ぶ長期の出張もあったし、
帰宅時間も非常に遅かった。
それこそ深夜まで仕事をしていた。
なので、
これはハッキリ言って愚痴になるが、
パパは子供達と一緒にお風呂にも入ったことがない
いつも、
私が1人で息子達をお風呂に入れていた。
パパは休日もソフトボールやその他の行事で忙しく
子育て担当は常にわたし一人だった。
しかも、
休日に公園に行くと家族連れも多く
私は他の家族がうらやましくてたまらなかった
私は長男とふたりで公園に行くと、
必ず息子の手をつかんで滑り台に乗せたり、
(滑り台から落ちないようにずっと息子の手を握っていた)
ぶらんこで遊ぶ際も必ず横にいて、危ないことをしないようにと見守った
そして保育園に入園、、、
先生方はとても丁寧に園児たちを見守ってくれた
なので、
長男は保育園を何事もなく無事に卒園した
そして小学校に入学した
そこからが大変だった![]()
小学生になった長男は
年に一度、大きなケガをした
それこそ、
この世から消えてしまうのではないかと思えるようなけがもあった。
私は学校から連絡があるたびに
怖ろしいほどの恐怖を味わった。。。
例えば、
登校班で帰宅途中のこと
副班長だった長男は数人の子供たちの一番うしろで歩いていた
そして、
その登校班の列にトラックがバックで突っ込んだのだ
だが、、、
なぜか、、、
うちの長男だけがぶつかった
登校班の最後尾にいた息子だけが、なぜかぶつけられたのだ
というか、トラックをよけられなかった
しかも、長男の後ろには電信柱があり
トラックと電信柱にかるく挟まれた
それを、
当時住んでいたアパートまで、班長が走って伝えに来てくれた
ピンポーンとチャイムが鳴った
とびら越しに「はーい」と答えた
突如、、、
女の子が、、、班長が、
「大変です、○○くんが事故にあいました
」と言った
へ![]()
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聞いた瞬間、頭が真っ白になった、、、
そして、
私が現場に付いた時には人だかりがあり、
救急車もすぐに来てくれた。
(それからがとても、とてつもなく大変だった
いつか、またお話しできることがあれば
このブログに記載したいと思う)
なので、
毎年何かしらの事が起きるのが、
起こることが不気味に感じて、
私はろくさんというものに頼った
母の故郷に伝わる六三だ。。。
おばに頼み、ろくさんで除けてもらった
(祈祷をあげてもらった)
その結果、、、かどうかはわからないが、
(わたしはそれが功を成した信じているのだが)
中学からは何事もなく平穏に過ごす事ができた
だけど、
もしかしたら、
これは私の悪い習慣が招いたものだったのかもしれない、、、
との思いが頭をよぎる時がある
自分勝手に、
息子にかまい過ぎたのかもしれない
息子を守り過ぎたせいかもしれない、と
このように感じてしまう
わたしは、母親である私は無力である
いつも、いつでも、子供を守ろうとする気持ちは人一倍強い。。。
でも、、、
だけど、、、
自分の近くにいれば、もしかしたら守れるかもしれない
だけどね、
学校に行けば、外に出かければ
自分の、わたしの目が届かない
本来であれば、
子供がちいさい時に転ぶことは大事な事だったと思う
幼い頃から痛い思いをさせ、大きなケガをする前に、こんな事をすると大変だ、こうすると痛いんだなと、わかってもらうのが一番よかったのではないのかなぁ、と、いまになってみれば思える
若い私は、
そんなことにも気付けなかった・・・
やはり、
子供が小さいうちは男手が必要だな、
男性のダイナミックな子育てが必要だったんだな、と
改めて思う今日この頃である
