向かい風をよけながら・・・ 過去と未来へ 未来~わたしへ  -27ページ目

向かい風をよけながら・・・ 過去と未来へ 未来~わたしへ 

家族ってなんだろぅ?夫婦ってなんだろぅ?親ってなんだろう?

高校生時代

 

運の良いことに、

わたしの病気が発覚したキッカケは引っ越しである

 

当時の私は、

新たな環境で心機一転、

今までの身体の不具合い(不調)を全部治そうと考えた

 

引越した翌月、

まずは肩が痛むので整形外科に行った。

 

そこで先生は肩が痛むのは首からきていると言い

首のレントゲンを撮ってくれた。

 

そこから・・・全てが始まった

 

首のレントゲンを撮り終わり、

レントゲンの映像を見ながら先生は私に何度も

「首を圧迫骨折した覚えはありますか?」と尋ねてくれた。

先生が仰るには、私の首のレントゲン映像に白い影が映っていて

その白い影は圧迫骨折の影響かもしれないということだった

 

だが私には身に一切覚えがなかったので、

聞かれるたびに「覚えがありません」と繰り返した。

 

先生は私に「一度大きな病院でCT検査をしましょう」と言ってくれた。

 

私は深く考えもせずに頷いた。

 

後日、病院で撮ってもらったCTの検査結果を見ながら

整形の先生は再度、首の圧迫骨折について尋ねてくれた。

 

私はやはり覚えがないので

「圧迫骨折をした覚えはありません」とお答えした。

 

先生は「別の病院でMRIを撮りましょう」と言った。

わたしははてなマークはてなマークはてなマークだったので、先生にお尋ねした

「首の白い影は圧迫骨折以外に何が考えられますかはてなマーク」と。

 

先生は答えてくれた「腫瘍の可能性があります」と。

 

私はその時も深く考えなかった

心の中で「へぇ~、そうなんだぁ・・・目」と思った

 

そこから車で移動して皮膚科に向かい

遅ればせながら皮膚科の駐車場で、ことの重大さに気づいた。

 

車を走らせている時にも

なぁ~んで首に白い影が映っているのかなぁ??程度だった、、、

 

だが、皮膚科の駐車場に着いた途端

急に視界がひらけたかのように感じ、ドドどッと涙が溢れた。

 

く・くびに腫瘍って

私もうダメじゃん絶望と思った。

 

慌てた私は、仕事中のパパに電話をした。

泣きながら先生に言われた通りの事を話した。

 

泣きじゃくる私に対し

パパは無言で聞いていた。

 

その翌日からなぜかパパは一週間、会社を休んだ

忙しい時期なのに、

休める時期でもないのに、大丈夫かなぁと不安に思った

 

そしてパパは一週間の休暇をとり、

私をドライブに連れ出してくれた。。。

 

パパは車窓からたくさんの景色(野山)を私に見せてくれた

 

 

 

そして後日、

脊椎専門医のいる大きな病院でMRIを撮った結果、

白い影は腫瘍ではなく圧迫骨折であり、

別の病気の可能性まで指摘されていた。

 

 

脊椎専門医から再び整形外科に戻るようにうながされ

当初の先生へと戻った。

 

整形の先生は確定診断が必要だと言い

違う大きな病院に紹介状を書いてくれた

 

そして、

その病院で私は再度MRIを撮ってもらい

その病院にて難病が確定された。。。

 

そう、

それが私のいま現在抱えている難病

10万人に一人とも

100万に一人とも言われている難病である。

この病気は身体が、骨が痛む膠原病だ。。。

 

+(プラス)私の好きな韓国俳優のイ・ドンゴンさんも

かかっている難病も合わせもっている。

 

 

当時、ネットで調べると

この二つの難病をかかえていると

最大で70歳までしか生きられないと記載されていた。

 

恐怖に襲われた私はリウマチ内科の主治医に話した。

 

主治医は、

ネットのそのような情報には触れない方がいいと言ってくれた

「悪い情報は見ないように!」と念を押された。

 

それからの私は自分の病気の情報を見ていない。

 

生きて生活をしているからには

体調の良い時も悪い時もある

それはみんなも一緒だと思っている

 

もちろん、

非常に困る時もあるが、まびっくりマーク仕方がない

 

これでも私の身体はだいぶ動くし、動けるようになった歩く

 

一時は携帯電話すら重すぎて持てない日々が続いた。

 

私の病気は布団で横になっていると悪化するという独特な病気だ

 

だけど、

やはり、身体が動かない時は布団に寝ている。

だるいので寝ざるをえない、、、

 

そうすると身体が固まって動けなくなる、、、悪循環である

 

あまりの痛みに、

布団から立ち上がるまでに10~20分ほどかかることもあった

これが非常に困ることであった

 

握力がないのでペットボトルの蓋も開けられない

お箸を持つと落とす、、、

もう笑うしかない爆  笑

 

車にも乗れなくなったこともある

と、いうか、、、

少しの段差で車が縦にかる~くバウンドすると

ぎゃぁあぁ滝汗と発狂するくらいの痛みに襲われたドクロ

 

パパが家にいれば、パパにつかまり立たせてもらう

ご飯も寝たまま食べさせてもらったこともある。。。

だけどうちのパパ、慣れていないので非常に下手である

あろうことか私の口に食べ物を入れようとして周りにボロボロとこぼした上、布団や枕を汚しまくる。。。

スープのように水分のあるものは私の服まで濡らしてくれる。

 

こんなんじゃあ

寝たきりには絶対になりたくないびっくりマークと強く思った。。。

 

なにしろ、

強い痛みで服を脱いだり着たりするのも

一大事件のように大変である。

私が『ぎゃあ~~、、、い・いたーーーーい大泣き」と泣く

するとパパが「どうすればいいんだチーン」と怒る

 

そう、

わたしはどのような体勢をとっても痛むのである

うん、痛んだのであった。

 

全身も曲がらないので、靴下を履くのにも一苦労する。

 

だいたいいつもはパパに靴下を履かせてもらった

 

もちろん、

今は自分で履くことができる。

 

一時期、

とてつもなく暗い時間が延々と流れていった

 

複数の友達も常に心配してくれた

 

私の難病と同時くらいに肺がんが発覚した友達は

「終活しなくっちゃ」と言ってたし

「未練たらたらだよぉ~」とも言っていた

その友達がこの世を去り、泣いた、泣きまくったえーん

 

 

そして、

私は難病を克服できるのであれば、、、と、たくさんの事をした

 

う~ん💦💦💦

したいと思った、というのが正解かなほんわか

 

まぁ、地道な努力はてなマークが結果を生んだのかなぁはてなマークはてなマークはてなマーク

 

だけど、

身体が正常に戻るのはもう少し先みたいハイハイ

 

このポンコツなように感じる愛おしい身体をいたわり

ゆったりとした時間を過ごし、

のんびりと考えごとをしている日々である。。。