学生の頃、高円寺に二年住んでいたときがあって、中野区サンモールから入ったところにある名曲喫茶クラシックによく通った。


一人ワンドリンク制で最初にドリンクを頼むと、古びた一軒家にギシギシ音を立てながら入り、私はいつも二階のソファに座った。


おびただしい量のレコードは、一人一曲だけリクエストできたので、私はいつもショパンの別れの曲をチョークで書いた。


一階には大きなアンプがあって、常連らしき方がいつもそこに座っていた。まるで家具のひとつのように、しっくり馴染んでひたすら音楽に耳を傾けている。


淹れたての珈琲の香りと薄暗い店内はタイムスリップしたような空間で、海は一目でここが気に入っていて、東京に来るたびに「あそこにいこう」と私を誘った。

海がリクエストする曲は、いつもなぜか悲しかった。しんと沁みて、いつまでも続かないような。私がそういうと、「すごいね、これはそういう精神状態に作った曲みたいだよ」と笑った。



海と別れたとき、「私がいなくても、クラシックに通うの?」と聞いた。

「クラシック?」海はしばらく考えて、「いや、多分もういかないだろうな」と言った。そのことは私を自分でも驚くほど落胆させた。

海には、私がいなくなってもあのお店を愛して欲しかった。私の我儘はもう叶わない。「どうして?あんなに好きだったじゃん」私がせがむと

「そうだな、薫といくあの雰囲気が好きだったからな」と遠くをみつめた。

誰かと別れるということは、その人に所属するすべてのことやものと手放すということなんだ。


それから何年も思い出さずにいたけれど、



突然思い出して探してみたら、やはり笹のしずくが開店する一年前2005年に閉店されている。が、しかし高円寺にそのまま受け継いだお店ができているらしい。

http://yaplog.jp/komawari/archive/39

雰囲気がそのまま。


でもあの古びた階段や、ほころびた赤いソファ、上から振ってくるような重低音、目をこらしながら見回した店内には、もう会えない。

新しいお店が、昔のように長く愛されますように。