離婚してから私に襲ってきた最初の感情は、別れた解放感でもこれから娘を一人で育てていけなければいけない不安でもなく、夫への強烈な恋心だった。


元夫からもらった小さなダイヤのピアスをつけながら、鏡に映った自分をみた。化粧は濃すぎないか。ラインははみ出ていないか。香水はつけすぎていないか。


二ヶ月に一度の逢瀬は、否応なくいつも私を高めていく。五歳になった娘はいつもよりも念入りにお化粧をする私をにこにこしながらみている。ファスナーを上げて、とかそこのコットン取って、という些細なお手伝いも嬉しそうにやってくれる。夫と別れての半年の寂しさを埋めてくれたのは間違いなくこの子だった。私はもう一度娘を鏡台の前に座らせて丁寧に髪を梳かした。



恋焦がれて結婚し、あっという間に妊娠した。もう少し夫と二人の時間がほしかったが夫は子供好きも相成って大喜びし、いつも私の体を気遣ってくれた。優しい夫。あんなに優しかったのに、いつまでも恋人のままではいられないのだと誰も教えてくれなかった。私はタカをくくっていたのだ。いつまでも夫は私だけを見てくれていると、世の中の多くの妻のように傲慢に勘違いしていたのだ。

「ママ、パパ今日おうちに帰ってくる?」
「う~んどうかなあ、お仕事忙しいからなあ、でもいっぱい遊べるよ。」

離婚したことは娘には言っていない。いつかは言わなければと思うものの、結局私は待ち焦がれているのだ。帰ってきてくれるはずの夫を。私だけ愛してくれていたあの頃の夫を。


玄関の鍵を閉めるとき、いつも願う。今度この玄関を開けるときは、どうか夫があけてくれますように。


バカな願いだと人は言うだろう。じゃあナゼ別れたの?そんなに後悔してるなら、どうして許してあげなかったの?
夫がした浮気は携帯にかかってきた電話で意図も簡単に暴露された。私は許せなかったのだ。自分を棚に上げながら。キレイであろうとする努力さえせず、朝は毎日不機嫌で。帰りが遅い夫を労うこともせず責めてしまった。


疲れて帰ってきて、家でギャンギャン吠える妻がいたら浮気だってしたくなるだろう。だが私は孤独だったのだ。私には夫からの愛が足りてなかったのだ。与えることもしなかったのに。

待ち合わせに使う公園にある大きな銀杏は、美しく黄色に紅葉している。私の愛しい人はすぐそこにいるのに手をふれることさえできない。私は大きく目をひらいて夫をみつめた。娘が夫と遊んでいる間、本を読む振りをしながらそっと夫を盗み見る。相変わらずかっこいいな。大きな肩に軽々と乗せられて娘が大きな歓声をあげた。

今からでも遅くない。やり直したい。一緒にいたい。


遠くではしゃぐ二人をみているうちに涙があふれてきた。最近はふとしたことですぐ泣いてしまう。保育園で頑張っている娘よりもきっと私のほうがずっと沢山泣いている。背中に当たる太陽が暖かく、堪えきれなくなって嗚咽した。あなた、早く帰ってきて。

ママ~!!と呼ぶ声で娘が走ってくるのが見えて、慌ててハンカチを出した。
ママみて、と大きく手を開いた娘の手のひらに、小さな赤いハートが見えた。

顔を上げると夫が正面から私をみつめている。ああ、今私と同じ気持ちだったなら。


しずくのひとりごと

夫が何か言おうと息を吸うのがみえた瞬間、私は堪えきれなくなって夫の腕の中に飛び込んだ。怖くて顔を上げられなかったけれど、夫は、強く抱き締め返してきてくれた。