こんばんは。





マミイです。






ブログ辞めるつもりも休むつもりもないまま

気づけは1年、書きも読みもせず過ぎてしまいました。






今日書かなかったら

もう絶対書かなそうだから書きます泣き笑い






体調不良で書いてなかった訳ではないので

闘病中に訪れてくださった方

メールをくださった方

不安にさせてしまっていたらごめんなさい…

マミイは元気です!






昨年の大晦日に

こんなルンルンな記事を書いて

夜は花火を見て

早起きして初日の出も見て

ホリデーハウスから自宅に戻って一息ついたら

日本からたくさんLINEや電話が来て。






1月1日の能登半島地震でした。

家族と連絡がつかなかった日々

ニュースで見る潰れて燃える町

全部ダメだと思いました。






幸い家族は無事でしたが

(幸いって言うのはおかしいと思うけど

なんと言えばいいかわからない)

この1年、ようやく新年が始まったと自分で言えるようになったらブログ書こうと思ったのに

いつまで経っても

2024年が始まった気がしないまま

明日から2025年だなんて。







両親は長いこと避難所にさえ入れず

2週間ほどしてようやく避難所に入り

1月末には父だけ金沢の2次避難所へ、

2月末には父は病院に入院

母は地元の避難所に残りました。

父は、認知度が地震により

一気に下がってしまいました。






3月、老犬のハナが死に

3月末に母が足を骨折して入院






7月にようやく

本当にようやく…仮設住宅が当たったけど

2人暮らしには狭すぎるたったの4.5畳

父はやはり病院、

母だけの仮設住宅生活が始まりました。






9月、豪雨による浸水

地震により他の方の治療を優先するため

リハビリを打ち切った祖母は

(地震の1ヶ月前に骨折して手術し

やっとまた歩くようになった矢先でした)

寝たきりになり9月末に亡くなりました。

豪雨の前日に危篤の連絡が来て

わたしは母を助けたい気持ちと

祖母にどうしても会いたい気持ちで

慌てて帰国しました。

「絶対会いに行くから待っとってや!」と

意識がある時にビデオ通話で言ったのに

間に合わず約束を果たせませんでした。







水害でまた住処がなくなった母は

10月から再び避難所生活となり

11月末、年内最後となる荷物を取り出す作業を

解体業者さんとボランティアさんと行ったあと

避難所に戻ってトイレ掃除当番をして

全てを終えて気が抜けたところで

腰を骨折





家族の現状としては

父は金沢で入院(3回しか外出していません)

母は能登で入院

祖母と愛犬は亡くなり

店舗は全壊

居宅も全壊






命があるのだから

贅沢は言えません。

こんな記録を残すことも

被災した本人でないわたしの

気持ちを残すことも

本当は不謹慎なのでしょう。






わたし自身は今年

子どもたちをオーストラリアに残して

トータルで2ヶ月の間帰国したのだけれど

近々また帰国するつもりです。






だって







1月には店舗の解体が始まってしまう

荷物をまだ出しきれていない

解体業者の協力なしには危険で

全壊の家から取り出せない。






2月には父が病院を出ないといけなくて

施設を探さないといけない。

母が退院しても骨折後の身体で

寒さの中どうやって一人で生活するのか

避難所生活、掃除当番も雪掻きもあるよな

仮設住宅に戻れても

雪掻きできなきゃ買い物にも行けなくなる。






3月中には自宅の解体を申請しないといけないし

取り出した荷物を預けるコンテナを探さないといけない。運び出しもある。





母が避難所から仮設住宅に戻るときの荷物も

骨折した後の母が一人で運ぶのは無理だよな

水害のあと

仮設住宅から避難所への引っ越し作業は

私と母とボランティアさんがしたんだけれど

結構大変だった。

ボランティアさんに荷物を運んでもらえても

荷解きはどうするよ?

また腰痛めてしまうかな






やっぱり私が帰国しなきゃと思うけど

オーストラリアの家族も放っておけない






13歳になった長女、

ハイスクール生活は小学校と打って変わって

本当に厳しいスタートになり

3学期にクラスを変更しました。




新しいクラスでは良い友達ができ

1年を通して多くのことを達成できました。

ディベートは優勝、成績はtechnology1位

scienceとmathは25位以内に入ったし

歌やダンスの活動を評価され

カルチャーアウォードという光栄な賞を

年度末にいただきました。

英語はセカンドランゲージなのに

移住2年目にしては十分だと思ってます。






でも、

あまりに辛い仕打ちを受けてきた1年間でした。

宗教的なところは尊重しているつもりだけど

カトリックスクールも合わない気がしてます。





だから2月から新年度が始まるのに合わせて

新しい学校に転校することにしました。

公立学校です。

あまりに敵が多すぎて何をしても妨害されるし、

あまりに不道徳な人達に合わせる事も

一緒に人を痛めつけることもしたくないから

長女は孤立する事を選んでいたけど 

他にも選択肢があるのにわざわざ

そんな環境にいる必要はないと思う。

しかも学費払って、毎日長距離運転して。

本当の友達とは

転校しても繋がっていられると思います。 





旧担任と一緒にわたしも泣きました。

心ある先生と出会えて良かった。

悩んで悩んで悩みまくって決めました。

名残惜しさもある、

達成し成果を出せた事もたくさんある、

ハッピーエンドです。

正しい判断であったと思いたいです。

そんなこんなで今はそっちも放っておけない。







今年わたしが帰国していた間は

夫と義両親が

子どもたちの世話(送迎)をしてくれましたが

最近、夫の36歳の弟に癌が見つかり

義両親は彼の世話と

義弟の1歳になったばかりの息子の世話をしていて私の子どもたちを頼むなんてできない。

なんなら私が手伝いたいくらい。

昨日からまた入院している。

義弟はステージ3で義父はステージ4で

わたしは元気なサバイバーだから

もうなんともないけど

癌の人って、世の中たくさんいますね…。





気持ちの面では

わたしは常に日本に居たすぎて

気がおかしくなりそうな1年でしたが

もともと更年期(術後に始まりました)で

情緒不安定なのが今やばくって

病院では更年期というより

ホームシックによるものだ

と言われてしまう始末。

日本に帰国している間は忙しすぎて

オーストラリアに電話するのさえ忘れるのだけど、メンタルは何故か良好になるんですよね。

被災地に居ると

忙しくても母と父を助けられるから

両親の生活に触れていられるから

わたしが安心するのかもしれません。






リピートしちゃうけど

娘達はわたしが居ない間ほんとよく頑張った。

特に長女は過酷な学校生活のなか

「悩むのもバカらしい。くだらない」と

強い心で耐えました。人気者の位置から

嫌われ者の位置を経験して、わたしなら苦しみに耐えられないと思うけど長女は嫌われる勇気もあった。でも負ける気持ちはゼロでした。





わたしは超鬼ババかつメンタル落ちて

常に不機嫌で最低な母なんですが

みんなありがとう、偉いよ

と心の中では超思ってます。






次女は毎日学校が楽しそうで

本当に良かった。

長女はダンスに力を注いでいるので

校外に長女の居場所があることが

ある意味救いだと感じています。






いやぁ、長いブログ。

ここまで読んでくださった方

ありがとうございます😭






1年間を凝縮して書くって難しい。笑





今年の大晦日は

去年と同じルーティンでいるのが辛いので

今日は自宅でひたすら掃除してます。






明日の朝

どっか近所で初日の出は見たいかな。






みなさんの今年が

今振り返って、良い一年だと思えていたらいいな。そして来年が

またみなさんにとって良い一年になりますように!






大好きな能登の夕焼け






それでは!

Have a happy new year!!おねがい




新年明けたら今度こそ

明るいブログ書きます!(たぶん)

あと1時間もしないうちに

日本より一足先に2025年になります…