私は、大好きな人に片思いをしている。
ただ、今日は「失恋の日」
大好きな人に失恋をした。
それは、私にとって国民の祝日、例えば「勤労感謝の日」みたいに定められた日のように、形式的で且つ現実的な日。なんとなく国が決めてくれたから、休みになった日。そんな日。
私は、自分の人生のタイミングに、あえて今日という日を、「失恋の日」と定めた。それは、わたしの祝日、というカテゴリーの中に属しているもの。
大好きすぎても、無力なことがある。
全力を尽くしても、臨む結果を得られないことがある。
本気で頑張っても、皆無な結果しか突きつけられないことがある。
…結果という現実に、立ち尽くす。
失恋とはそういうことで、
失恋の傷とは、情熱という感情に対して皆無という完全にアンバランスな現実に突き刺さる感情の傷。
蠍座金星の片思いは、一瞬でも起きた夢のような出来事は、永遠に匹敵する。
永遠という、希望であり幻のようなそんな不確かなものを信じようとしてしまう。でもそれは恋のような愛のような、蜃気楼のような、砂漠で水を探すような、もの。
両思いで永遠を誓えば、結婚!!
片思いで永遠を誓ったら、独身?!
未来はどうなるのだろうか。
とにかく片思いなかば、わたしは貴方を
今日も改めて、大好きなのだと知った。
いつも好きなのに、改めて強く自分の気持ちを知ることがときどきある。そんなとき決心は、降参とため息とともにあらわれる。
それでも、本物の貴方を心で前にして
嘘などつけないし、誤魔化しなんてもっとない。
それは、ゴッホのひまわりを見たとき、小澤征爾のオーケストラを聴いたとき、天才ピアニスト辻井さんの音色に触れたとき、
本物が導く美しい世界に、立ち尽くすようなもの
本物の片思い、その未来をそっと願うように生きてきた。
願っても願っても…
どうしても貴方に会いたくなって、でもどうやっても会えない「この場所」で、改めて片思いの永遠を誓う。それは、皆無の現実を同時に受け止めることでもある。ただ、突きつけられる現実は、だれからも見えない心の芯に、突き刺さる。
消えそうになる火を前に
未来を願う希望をうしないたくない。
そんな気持ちになったとき「失恋」って言葉が
空から降ってきて、わたしの手のひらにふわっとのった。天使の羽根みたいにふわっと…。
その瞬間は戸惑ったが、次の瞬間、飛んでかないように握りしめた。
そしたら、ホッとした。
貴方に会いたいのに、会えないのは寂しいしつらいし、ただ貴方に会いたい。と、思えた。
覚悟しなきゃ、言葉にすらできない想いだった。
そのとき命名した、2/22「失恋の日」
願わなくても、今晩だけはいい!そんなことを
許された日。少し心が楽だった。安心していられた。だって今日は、わたしの祝日「失恋の日」
貴方が大好きだけど、わたしの片思いだから。
(叶ってないよね)、そう安心して言える。
でも
明日には、未来を願う希望をまた持つよ。
砂漠で水を探し歩きます。
やっぱり貴方に会いたい、と健やかに清らかに願います。
今日は、
夢と希望と失恋に…潔く、乾杯!🍾😉



