今と未来にこそ、
わたしがのぞんでる、ものがある。

わたしは、今、良くなってる。
どんどん、良くなってる。
大丈夫!!

大丈夫、会いにいくよ!
未来で、会おう!

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愛しい…
せつない…

反対語でも、類似語でもなくて

なんていうんだろう。

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言葉としては単体なんだけど、
感情としては、一緒くたになって存在している。
この1つになってしまった感情を表すコトバを
わたしは、今、見つけられない。

愛しいもせつないも…
それぞれの言葉は、息を吹きかけたら揺れ動くように、線の細い言葉たちな気がする。

ただ、一緒くたになったこのコトバは、心の芯を刺すような強さがあって、痛みもある。
言葉こそ、見つからないけれど、
[愛しい、せつない…]の感情は、ピンク色のイメージで治まるような、やわらかなものではなくて、ルビー色の中にムラサキ色の点があるような感情に似ている。


「コトバと色と感情…」の、おはなし。

今日は、いい日。

 

半年前から決めていた「半年後」を迎えることができた。

右往左往しながらなんとか辿りついた。

今日は乾杯でも一人した気分だけど、残念ながらアルコール負けしそうな胃。ミニケーキと紅茶にしておいた。

 

とても時間はかかったけど、今日を迎えられたことに喜びを。

そして、これから2年後の計画に向けて、半年後、一年後にやることも決まった。

 

半年前に決めていながら、行動する勇気はなかったように思う。

それでも、約束を果たせたのは、1か月前の旅だった。

いつだって、「旅」はわたしに背中を押してくれる。

旅先で、「2度と今までのわたしには戻らない!」と決心してた。

もとある道は、絶対に歩きたくない。なぜか、あれほど強く感じたことはなかった。だから、帰国した先に自分の道がないとしても、さがそうと心の芯で感じるものがあった。

 

帰国後は、予想通りの「真っ暗闇」前も後ろも見えなかった。

だから、逃げ腰だった半年前のことを実現して、自分の新しい道筋を作るしかなかったのだと思う。

 

「2度と、二度と戻らない!」その決心をさせてくれた、その存在があったからこそ、最後の勇気を持てた。

 

いくつか願っていたことの、1つの結果にすぎないけれど・・・。

ただ、この1つの結果が、4通り・5通りものわたしの未来を導いてくれている。

 

自分の人生の舞台で、理論的に捉えていくべきものと、感覚的に感じ取っていいものと、その区別が少しづつわかるようになってきている。

理論的なものは、限りなく現実的な実践を。

感覚的なものは、無限の可能性の拡大を。

両極端を、バランスよく整えていこうとすることを、望んでいる。

最大の破壊と、最強の再生。

難しいけど、そういうところに「美しい」と感じる自分の美学がる。

 

生まれて初めて、今、「言葉にできた」・・・。

なんだから、嬉しさとほっとした感じが入り混じっている。

 

大っ嫌いな家族。

大切な大切な家族。

大っ嫌いなままでも自分を許せないし、(誰かのせいにしたくない)

大切なだけでも自分を許せない。(べつにいい子になりたくない)

自分を許せないというというより、「美しくない」から単に、嫌いなだけ。

誰かのせいにするのも、いい子さだけも、「美しくない」。

そのバランスを自分なりとることが、とても大切な価値観だ。

「美学」と「幸福論」は、私の場合同じカテゴリニーに属しているらしい。

 

『最大の破壊と、最強の再生。』

その繰り返しを耐えうって、そして打ち勝つチカラは、「自尊心」だった。

 

「自尊心」の種には、旅先の香港で出会った。

気が付けば、わたしは、36歳・・・。

年齢も場所も出会ったものも、そして出逢った人も、

自分の想像は、はるかに越えていた。

 

「自分という人間は、随分はるか遠くにいた。」

ふと、そんなことを思った。

 

いろいろなことは、

なぜ、今だったんだろう。

 

 

この世になぜは、いっぱい溢れてる。だから、わからなくてもよくて・・・

 

ただ、その巡り合わせを、幸せだと、思っています。

 

 




 

 

 

 

過酷だなぁ〜。笑

でも、がーんばろっと!!!
不思議だ。

最近、毎朝、目覚めるほんの少し前に
今は、会うことがない好きな人とわかしたり
話した、一言だったりが、ピュン!と飛んできて、目覚めてその言葉と向き合うと、自分のなかで、うまく彼からの伝言のように、つじつまがあう内容になる。

あ、そういうことなのね。みたいな。。。

なんとも不思議な、出来事。


会えるわけない。
会えっこない。
だからって、もう、叫んだりしないよ。
会いたい、なんて言わない。

そうは思えなかったわたしが、
そんな風に思えたのは、
「わたしを愛して」の愛じゃなくて、
「あなたを愛してます」の愛に
ちゃんと変えられたからなんだ。

「わたしを愛して!」を全部全部、捨てて、
寂しぃーの叫びもちゃんと受け止めて、
たった1人だと間違って記憶してしまったばかりに、歪んでしまったわたしの愛を、ちゃんと真っ直ぐにして、

あなたを愛せる愛をちゃんと抱けるまで、
わたしは、わたしを愛します。


愛は、わたしの心の真ん中から、ちゃんと世界に向かって広がっていて、
また、彼を想う愛もそこに届いているんだと思う

愛はぬくもりだから、理屈ではないから、こんな理解は意味がないかもしれないけれど…。




でも、想いは、ちゃんと、愛でできているよ。






昨日は、寂しいと…
今日は、イライラと…
高校生みたいに、ムカつく…とか呟き

感情の動きを見守る…。

いちいち、いちいち、ムカついたわけです。
電話がかかってくること、
いちいち、向けられた私への言葉と、
全部をはねのけてやりたかった。
応援や優しさなんて、これっぽっちもいらない、って本気で思う、昔トモダチにいた、高校生みたいに。

オトナになれば、聞き流せるし、ウソもつける。
それで、大概、平和に過ごせる。

随分長い間、平和に過ごしてきたなー、わたし。

ただその代償に、わたしは、誤魔化しを覚えた。
知らない間に、自分を誤魔化してたことは、それたま、代償だった。

昔からわたしは、
ひとつも変わらず不器用で、
いつでも、真っ直ぐに、
自分で考えて行動してきた。
学校にいきたくないときが何度かあったけど、
てきとーに笑っていれば、問題にならず、
3年間なんていう時間は、普通に過ぎていく。
考えた末なりの、行動だった。
母親だけに、余計な心配をかけたくなかった。
毎日、心は窮屈だったけど、自分が決めた約束を守れていることだけは、窮屈さの救いだった。

いつだって、考えていなきゃ…
いられなかった。
考えてなきゃ自分を見失いそうで、でも、頭でっかちが、バレないように、生意気にならないように、注意深く、ちゃんと笑いながら…。

そう言えば、父親は、生意気なやつが嫌いだった
だから、それにはなるまいと子供ながらに必死。

1/3は、楽しそうな友人を羨み、(自分の外側)
1/3は、思考をして、(自制)
1/3は、どうでもよかった。(自分の内側)


わたしを大切に思ってくださる人たちは、
わたしの幸せを願って、心配してくれている。

でも、わたし知ってるの。
自由にやりなさいとか、家のことなんかに縛られないで自由に…なんて言っていたひとたちだって
今のわたしに向ける言葉は、違ってる。
頑固だともね…、よくよく言われる。

わたしの祖母も母も父も極みの頑固だったけど、
強い人だと、みんなを思っていた。
自分の生き方に、外からもわかる、信念を持っている人たちに見えていた。
だから、わたし、個性だとおもってる。
そして、その人たちは、ちゃんとわかってる。
そして、いちいち知った被られるのを好まない。
そういう人たちだった。

もちろん人間だから、弱さもあるわけで、
そのとき、さりげな気なく、近くを通ればいいくらいなんだ。言葉もいらない。
自分が1番、弱さもわかっているから。

明治生まれの祖母は、バツイチだった。
父親は、人の言うことは絶対聞かない。
母親は、私には帰る家がなかったから、と
ただ、その一言で、辛い日々を片付ける。
その母が、40代の母だったころ、毎晩布団の中で泣いていた、鳴き声をわたしだけは知っている。

心配している…それは愛に変わりない。
そんなことがわがわからないオトナにだって
なってるわけがない。

だから、腹が立つ。

わたしは、わたしが好きな人を良く知らないけど
きっと彼もきっとどこか同じような強さの持ち主で、見せないどこかに極みの弱さを持っている。

わたしの思春期が終わるころ、彼の思春期も終わって、少しオトナになった2人が出逢う!っていうシナリオも、またいいね!


涙したり、苛立ったり、未来を夢見たり。
まるでわたしは、ほんとに思春期です!










わたしへ。


心の中の奥底に広がっていた、
大きな大きな、樽みたいな空洞。

寂しい…
その感情の住処のようでした。

果てなく広く、大きく、
出来れば目を背けたい、
でも、きっといつか気づかなくてはならない、

その時間の経過と大きさと深さに…
途方にくれています。

本当は、わかってます。
寂しいくて、心が痛くて痛くて、抱えきれず、
どうしても誰かにそのことを、
だだ、寂しい…って言葉にして言いたいのに
言えなくて…
小学生のとき、毎日、1人で部屋で泣いていた。
小学生のわたしには、言えるのは親しかいなかったのに、そのことが言えないだけで、
世界が狭い小学生の私は、寂しさだけに囚われてました。

高校生のときは、心が捨てられたらいい、といつも思ってました。
自分に自信なんて、ひとっつも、なかった。


バカみたいだけど、今も、あのときと同じように寂しい…。
あの頃と同じように、寂しい。
それでも、今は、泣いていい、と自分に言ってあげられるから、ずっといい。
でも、あの頃みたいに、泣いてない。
あの頃は、もうもっとわんわん、泣いてた。
それでひとっつも泣いてない顔して、隣のおばさんの家に夕飯を食べにいく。
母が帰る車の音がすると、おばさんの家を出て、家へ帰る。
帰ると、疲れ果てても愚痴一つ言わずに夕飯を作る母がいる。
寂しいなんて、言える暇もなく、それより、
まだ小学生で、何にも出来ない自分が、大嫌いで、無力さを本気で憎み、最低だと、言い聞かせてた。

ひとつも嘘じゃない。

ほんとに思ってた。

あんまり、人に憎しみを感じてこなかったけど、
自分以上に憎んだ人は、いないかもしれない。


思春期によって、
感情と現実は、2極化されていった。

今になって、合流地点を迎えてる。
随分長い間、ごましてきた。
意外と、思い込ませる技には、長けていたのかもしれない。

いつか誰かが寂しさを半分にしてくれるのかと、幻想を抱いていたが、
私の場合は、そうはいかないようだ。
私の場合は、自分で見つめる責任があるようだ。

自尊心とは、素晴らしい。
自分を幸せにする、幸せに向わす、
心のチカラになる。

36歳になって、わたしは、ある人に、
自尊心の種を頂きました。
初めて、わたしの心の畑に、撒かれた種です。
どんな季節に、どんな花を咲かすのでしょうか。
私自身、みたこともない、私の花が咲くのだろうと思います。

小学生だったころから、今も同じにあった、寂しい、感情が、心の肥料になって…それはそれは、芯のある根を作るような気がしています。
丈夫な根の元に咲く、花であって欲しいと、願わくば思います。


追伸:
心の奥底の寂しさは、芯ある根をはるのに、十分な広さは、あるように思います。


わたしより。







そう。

今までやってきたり、考えてきたり、
そういうことを、やめられるところから、やめている。

とまどいもあるけど…。

わたしの場合、
殆ど全部が(笑っちゃうくらい全部が)
やめることに相当する。
この数週間、その現実に茫然としていた。

いっそのこと、何もかもやめちゃえたらいいけど、収入があって、雨風しのげる家に住め、ご飯が食べれて、好きな洋服を着る楽しみがあるから、やれるとこから、やめていこう。

ただ辞めていくわたし。その先にあるのは、そんなものを必要としないわたしなのかもしれないし、未知だけど。

でも、
本当に茫然としているんだ。
だって、人がきいたら信じられない領域で
頑張って、わたしじゃない誰かになることだけが、生きてる原動力だったから。
なんか、なんていうか、酸素と二酸化炭素みたいな、もう呼吸みたいに身近なことだった。

18歳の頃から、多くの人が、わたしのままでいいのだよ、と確かに教えてくれていたけど、
突然、酸素と二酸化炭素、君逆なんだよ!と言われても出来なかったかな、と今は思う。

だから、今は、呼吸の練習したり、
酸素と二酸化炭素の根本の役割を学んだり、
日常の殆どを逆にするような生活。

=やめること。


自分の素晴らしさに、気づくために。


わたしが、自分の夢を言葉にしたら、

「高校みたいなこと、言ってたよ…」と

まわりの人が笑ってた。

とても不思議な気分になった。

だって、
わたしの心は今、高校生に代わりないのだから…


ちゃんとしょうと、してきたつもりだった。
わたしなりに、一生懸命にはやってきた。
でもね、欲しいものは、なかったの。

欲しいものが、全然違う、とこにあったの。
ちっとや、そっとの、距離じゃなかったの。
ある人にとったら、簡単なことかもしれない。

でも、わたしには、とっても勇気がいること。
それでも、
高校生みたいな眼差しで、未来を眺める。
40代の自分を眺める…。

心に勝てない。
理屈は、心に勝てない、と心底思う。


ただ、1人じゃなかったら、良かったな…。
それだけは、胸が詰まる。
1人じゃなかったら、勇気をもう半分大きくもてたんじゃないかな、と思うから。

でも、理屈で人とはいられない。
それだって、心には、勝てない。

愛することが教えてくれた、愛の真実。


『 Seven Years 』 

大好きな歌に 微笑み、 踊り回る
無邪気な 少女は
独りぼっち

目を 一杯に 見開いて
お日さまを 待ち続け
出会う人皆に 歌い続ける

音も たてずに 落ちる
秋の日の
木の葉のように 繊細で

はにかむような 微笑は
この子だけの
気品を 物語る

大好きな歌に 微笑み、 踊り回る
無邪気な 少女
少女は 独りぼっち






そして…

1人でも、もう半分の勇気を出して踏み出すこと

「愛する人を愛すること」が、教えてくれた…。


私は、ずっとブレてた。
自分のブレさを埋め尽くすように恋をしてきた。


誰もをちゃんと好きで、
何より自分の気持ちに正直だった。
ただ、わたしの愛は、いつも外側にあった。
わたしの中には、愛の感覚がなかった。
だから、いつだって、愛はもろかった。
愛を握りつぶすように、恋をしていた。
好きだ、と叫ばなければ生きていられなかった。

愛されているんだ、と必死でいいきかせながら、生きてきた。
わたしは、誰れからみても、愛されていた。
そのことは、私自身もだれよりも知っていた。

ただ、体感だけがなかった。
ぬくもりや、あたたかさ、それだけは体感できなかった。でも、オトナになれば、それはわかるようになると、子どもだったわたしは、信じていて、早くオトナになりたかった。

愛されているんだ、わたしは幸せなんだ…
そう、一生懸命理解してきた。
好きでも報われない恋ができたのは、愛は理解するものだと、知らない間に学んでしまっていたからだった。
そんな自身に気付けずに、ずいぶんなオトナになってしまった。オトナと決めた20歳からの16年の歳月は、少し長過ぎたように思う。

生まれて初めて、愛はあたたかいもので、ぬくもりそのものだ、と感じさせてくれる人に出逢った。そのとき初めて、それまでの自分を知った。
180度、愛についての理解が変わった。

「愛すること」
この言葉と対等に向き合えたのも、その人のお陰だった。生まれて初めて、自分は大切にすべき存在なんだと、教えてくれたのもその人だった。

そうして、
わたしは、初めて限りない未来を夢みることができた。誰のためでもない、自分のための未来を夢見た。もちろんその未来に、彼との再会も願うし、奇跡も願うし、失ったわたし自身の夢さえも叶えようと、思えた。
彼がくれた「愛」を今は大切にしたい。
そして、わたし自身の中に、愛すること、それを育みたいと思ってる。

何も始まっていないように思える関係性の中で、
何もかも終わっている、と受け止める必要もなく

愛すること、その体感がリアルにある私の日々を
愛しみながら、生きている。



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私は、この写真が大好き。
果てしない坂の先に広がる空に
いつか届きそうな気がするから…。