条件つきの人生を精一杯生きろ
私たちは時間の中で生きています。
地球に生まれて、 そして去っていく、 賞味期限付きの人生です。
その魂はもともとどこから来たのか。
それは「時間のないところ」から来ています。
では 思考はどうか。
思考は言葉から作られます。
では言葉はどこから生まれるのでしょうか。
それは言葉 以前の思考から来るのです。
私たちは、「言葉以前の思考」「時間のないところ」から来ているため、 「言葉 以前の思考」「時間のないところ」が内在しています。
そしてそれらは、 「言葉による思考」「時間のあるところ」より圧倒的に大きいのです。
ところが 私たちは、「言葉による思考」「時間のあるところ」に生まれてきました。
「 言葉以前の思考」「時間のないところ」を知っているにもかかわらず、 条件付きの中で生きているのでわからなくなっています。
そして、頭で理解しようとします。
個人に閉じ込められた「私」が エゴを張り、 何でも仕切ろうとするから そこから出られなくなっているのです。
だから、「どうすればわかるのか」と、 方法を求めます。
「 本当のこと」は、 方法 のある世界から出ないと分かりません。 ではどこに出るのか。
方法がある世界と、方法のない世界 の両方が存在するところです。
私たちはそこから生まれてきたのに抵抗しているから、おおもとが何だったかも考えられないでいます。
自分以外の人間から教わることで理解することは何一つありません。
だから 人の 思考や 発見で物事を理解するのは意味がないのです。
私に頼ってもダメです 。
なぜなら誰かに頼ろうとするのは、自分でわかろうとしていないからです。
自分が自分を縛って、
「わからない」という檻にいるのです。
そこで回答を求める限り、 同じことの繰り返しです。
だから「問題は解決するな」、 つまり 「問題は解決しない。だから そこから離れて 普通に生きれば?」ということなのです。
私たちはどうやっても条件つき人生の外には出られない
生まれてきたとおりのまま やればいい 。
定められたレールの上を進むのもよし 。
レールが敷かれた 人生はごめんだと言って 外れる もよし。
いずれにしても 、それらはすべて 筋書きです。
人生は筋書きで進みます。
これが時間と空間の中で生きるということです。
その条件付きの中で、一生懸命生きればいいだけ。
あがいて、うまくいったりいかなかったり、勝ったり負けたり、 幸せになったり
「これは幸せじゃない」と思ったりすればいい。
幸せの延長線上に幸せはありません。
幸せを求めたら必ず幸せが背中合わせになっているからです。
生の背中には必ず死があります。 そこから私たちは出られません。なぜならそういうドラマを味わいに来ているからです。
ドラマ だけれど本当のことです。 努力しても努力しなくても、条件の中の話です 。
地球で生きる 私たちが忘れている 大事なことが二つあります。
一つは この、「条件付きの人生の外には出られない」ということ。
地球があり、 生まれた国があり、 両親と家族がいます。
太陽があり月があります。
これらはセットです。
セットから生まれてきている以上、
「私」は存在せず、
「私たち」という方が正しい。
ただし、「私」を考える 自由はあります。
この「私」は究極のフィクションであり、 条件付きの人生なのです。
私たちが 宇宙の外に出られないのと同じで 、条件付きの人生の外に出ようと思っても出られません。
出ようとするのは無駄な努力 なのだから、 そこから出なくていいのです。
どうやっても 条件付きの人生の外に出られないのなら、まずは観念すべきです。
そして最後まで自分のシナリオを満足いくまでやればいい 。
そこに アンラッキーが転がっていようが、途中であきめようが、かまわないのです。
面舵いっぱい
切り返すぞ~と
ぐるんと
反転するように
ハンドルを切り返しだしたら
あっという間に(笑)
わたしの日々は
変わってしまい
もう違う。
あっという間
(時間じゃないところに
意識的になるからだろうね)
己の努力とかじゃなく
切り替わるということは
こんなもんなのだなと
大きな流れにしたがい
ゆだねて起こることで
自然に
そうしたくなり
そうなって
ゆくだけのことで
素直にただ
それにのっかってやる
それだけなのでした