前記事でご紹介した


欲望の正体



がビンゴでびっくり


繰り返し
噛みしめ味わうように

読んでしまいましたおやすみ



大事なことだなぁ~と。


わたしも

まだまだ
受け止めきれていない


見たくなくて

認めてこなかった
部分を抱えてるのは


わかっておりまして泣き笑い


いっぺんには

出来なくても

(そんなの絶対無理泣き笑い)



少しづつ

タイミングに沿って


認めてこなかった部分に

寄り添ってゆきたい。



そんな

否定したくなるような
自分も否定せず

責めない大切さ


ゆるすことのコツかな?は


厳しく
向き合うんではなく


やさしくあたたかく

寄り添って 
向き合う大切さを


(裁くのではなく 
味方になってわかってあげる
カナ)



今読んでる

酒井大阿闍梨が
載っているから借りてきた

図書館の本
「人生を変える知恵
~比叡山のやさしい人間学~」

にも見つけました。


この本も素晴らしくおねがい


各宗教だったり

各分野の
いろんなかたの角度から

ひとつの真理が浮き彫りに
なるような


多面的で多次元な
理解へと育ってゆく

材料となるようなものでした。



カトリックのシスターであった

ベストセラーになった
「置かれた場所で咲きなさい」
渡辺和子さんの話を

一部抜粋します。


★★★★★★★

変えられるものを変える勇気


ある朝、花粉症のひどいシスターが「昨夜は眠れなかった」といったのにたいし、「シスター、お薬をお飲みになっているの」と私はいってしまいました。
その後で、私のいうべき言葉は、
「シスター、つらかったのでしょうね。眠いでしょう」ではなかったかのかと、しみじみ思いました。
これは不親切な言葉ではなかったけれども、親切な言葉ではなかったのです。
もう少し相手の気持ちを汲んで、やさしい言葉をかけられたよかったのにと、ずいぶん後悔いたしました。

「自分がされて嬉しいことを人にしなさい。自分がされてつらかったことは人にしないようにしなさい」という教えがございます。、このことが頭ではわかっていても、やはりその場になると、私というのが中心になってしまいます。
そのとき、自分が間違ったと思ったならば、そのままの自分を受け入れることがとても大切です。
決して自分を責めてはいけません。
あのときは余裕がなかったので、今度同じような事態が起こったときには、もう少し相手の気持ちになっていえるような自分になりたい、そうさせてくださいと私は祈ります。

私の母は、人はみんな自分が一番可愛いのだから、そのつもりで生きなさいと幼い頃から教えてくれました。
私は自分中心で生きているけれども、人も自分中心で生きているということを心に留めておくことが大事です。
そうすると、相手を許すことができますし、自分も許すことができると思います。


★★★抜粋終わり★★★


ちょっとしたことなんだけど

教えてもらうと

なるほどね~ってことが
ありますねほんわか


そうやって

分かち合っていただくことで


私たちは

豊かな
多面体で
多次元な理解を育み


自分らしいペースと形で

人と比較せずに
のびのびと

オリジナルを
花開かせてゆけるんだねおねがい



おたがいさまなのだ指差し


のびのびと
たんたんと

循環してゆけば
いいんだねほんわか


お付き合いを

ありがとうございました



東浪見(九十九里)浜