失敗をたくさんするから
ミッションって見つかるんだと思う。

2012年8月〜2013年3月 
モデルの仕事に復帰しようと頑張ってみたけど
高1、小5、小2の多感な子供達がいて
群馬から通いモデルは厳しくて諦めたんだった。




夫も大変な時期だったし夫婦の心もすれ違い
お父さんの体調にも異変があるとかないとか
前兆ってあとで前兆だったことに気づくんだよね。

元々『ミセス』雑誌をやっていたこともあって
私が20才そこそこの年齢だと思っていなかったのかな。

久しぶりにご挨拶で再会したみなさんが
「変わらないねぇ〜」と口々に言ってくれたものだから
ちょっとその気になってしまったのかもしれないけど

キャリアを築けなかったのは家族を持ったからだ、、
って自分の選んできた生き方を否定してしまった
瞬間があって、そんな自分も嫌でどうしていいか分からず

やりたいことと、やれることの制限の狭間で
しばらく苦しかったんだったなぁ

その頃、介護が必要になったうちのおばあちゃんを
貢献できなかった悔しさから
訪問介護の仕事も週2くらい行ってて
いろいろ模索していたんだと思う。

モデルの仕事プチ復帰したことによって
常に誰かのために、〇〇のためにって選択してて

自分自身の生きる幸せのこと
なーんにも考えていなかったように思います。

そりゃ空回りするし、
そんな状態だと人と比べてしまうよね

だから家族とのバランスも
常にどこかでギクシャクするし
イライラッて感情に振り回されていたな、って思うんです。

このあとどんどん介護にのめり込んで
笑いのツールも自分のミッションだって
だんだんわかってきたんだよね。

本当に大変で、夫やお父さんと言い争いが絶えなくて
私の足を引っ張らないで‼️って
他責にしていたけども、

今ならわかるんですね。
自分自身の在り方、考え方の問題だった。

それもこれも、動いてみたからわかったこと。
モデル復帰をしてみなかったら
今の私はなかったと思います。

思いついたらまず動いてみることだよね。
周りにどう思われるか考えてしまうのは
人間のサガだけど

自分の道だけを眺めていたら
周りはあまり気にならないんだなー

やりたいようにまずはやってみよう
軌道修正はあとからいくらでもできるんですから。

#自分を緩める
#自分の声を聞く
#そこに辿り着くためにまずはやってみる
#コーチング的思考
#やってみよう
#笑い先生