これから私の波乱万丈の人生について書いていこうと思います。

宜しければ読んでみて感想をください。

 

第1弾

〜幼少期から小学校編〜

 

私は現在都内に住む、26歳男性です。

出身は岩手県の沿岸地域。海と山に囲まれ、人口より動物の方が多いド田舎でのびのび育ちました。(コンビニまで車で30分)

ボロ屋の一軒家に、母と5つ上の兄と3人で暮らしていました。

一軒家といっても、1階が納屋で2階の8畳くらいしか居住スペースしかありませんでしたが、、、。

裕福とはとてもじゃないですが言えるような家ではなくどちらかと言えば貧しい家庭に育ちました。

 

 

父は、僕が産まれて2ヶ月後に心不全で他界。

母は女で一つで、私達兄弟を育ててくれました。

そんな母の紹介をさせてください。

ヘビースモーカー、大酒飲みととてもワイルドな人です。

誰に対してもフレンドリーで、周りには友人がすごく多かった印象です。

飲み会にいった日には、人気者のせいか朝方帰宅し、ずっと洗面所で吐いているような人です笑

その反面、挨拶や礼儀にはどの家庭よりも厳しく、少しでもできていないと強く怒られた記憶があります。時には家中のあらゆるものが飛んできました。

職業は栄養士で市内の小学校の給食を作っていました。そんな母の手料理はどんな有名店にさえ圧勝する味です。

とにかく私達子供を第一に考え、大きな愛で包みこんでくれる母でした。

今思うと、父がいない分私達に寂しい思いをさせないようにしてくれていたのだと思います。

頭があがりません。

 

私は、そんな母の事を大好きすぎる「超」がつくほどのマザコンでした。

幼少期は、お風呂も寝るのも家から20メートル先のゴミ置き場に行くのも常に一緒。極め付けは母の帰りが少しでも遅くなると帰って来ないんじゃんかと不安に駆られ、50回以上鬼電する程です、、。

兄には「お前母さんいなくなったらどうなっちまうの、、、」と毎回引かれていました笑

たしかに今考えても私のマザコン具合は異常でした笑

 

そんな私も、マザコンは抜けないまま、いや「超」×2マザコンに成長し小学校に入学。

小学校への通い方は、徒歩。なんと片道1時間半、近所の生徒と7人組の登校班を作り登校していました。山を超えるので道中、熊や鹿に会うのはしょっちゅうでした、、、。

全校生徒70人弱の小さな学校。その分、先輩後輩、男女問わず仲良くなるのはすぐだった記憶があります。

友達と遊ぶとなると、もっぱら外遊び。木登り、鬼ごっこ、釣り、野球。

その中でも特に楽しかったのは野球です。

私の兄は5つ上で、地域の野球スポーツ少年団に入団していました。

その影響もあり、野球というものに出会いました。兄とのコミュニケーションはキャッチボールでした。

まあ、ド田舎だったのでやるスポーツが野球しかなかったというのもあります。

後は、母が野球好きの為、母を喜ばせたいというもの1つ要因にありました。

その野球スポーツ少年団というのは、小学校3年生になると入団できる権利を得るのですが私も、もちろん入団しました。

小さい頃から兄の練習相手をしてきた影響か、センスか良すぎたのか入団すると私はすぐに上級生を差し置いてレギュラーを掴み取りました。

自分で言うのは何ですが、市内では結構有名な選手でした( ̄∀ ̄)

母を喜ばせるのが原動力だった私は、家事や仕事の忙しい中合間をぬって応援に来てくれる母の為に、野球で活躍して喜ばせようと幼いながら心に誓っていました。

幸いのことに、小学校3年生から小学校6年生までの3年間所属していたチームは強く、市内ではほぼ負け無し、県大会の常連でした。

当時高校生で、硬式野球をやっていた兄より活躍していた私に母はかなり期待してくれるようになりました。

そんな母が私にいつも言っていた口癖は「私を甲子園に連れていって」

 

中学進学を控えていたある日、母が急に「引っ越ししようか」と言いました。

なんと隣の市に、土地を買い、新居を建てると言い出したのです!!

子供ながらそんなお金どこにあるんだと思った私は、「大丈夫なの?今のお家で十分だよ」と気を使ったのを覚えています。

それでも話は進み、中学入学の1ヶ月前に新居に移ることになりました。その影響で中学校から転校することになった僕は、小学校までの友達と離れ離れになることに、、、

それでも新しく綺麗なお家に住むことの嬉しさの方が勝ちました笑

後々聞いた話ですが、引越しの理由は僕が「今のお家がボロすぎて友達を呼べない」と泣いて母に相談した事が要因の一つにあったようです。

そこまで考えてくれてたのかと思うと、あの時の発言を後悔すると同時に、何か親の偉大さを身に染みて実感しました。

でも、新居で生活している母は毎日すごく幸せそうでした。

母の喜ぶ姿を見るのが好きな私にとっては、それですごく救われた気がします。

 

そんなある日、私達に東日本大震災が襲います。

 

次回は、中学進学から東日本大震災被災からまで書こうと思っています!