新しい時代の教育に関する話題を取り上げています。子供一人一人の個性を大切にし、偏差値至上主義からの脱却を目指して、誰もが幸せになれる知識を提供します。
この漫画に描かれている「従来の学習方法」が、まだ多くの学校・塾・予備校で行われています。みなさんに質問ですが、従来の学習スタイルが、本当に効率の良い学び方だと思っていますか?私は全くそうは思いません。ですが実際には、多くの人たちが、この学び方が科学的に正しい勉強かどうかというを考えるよりも、昔からそうだから、慣れ親しんだやり方だから、先生にそう言われているからという理由だけで、漠然と「なんとなく良いんじゃないか」「今まで通りで安心できる」という感情的な側面だけを後生大事にしているようにしか思えません。実際に成果が出ている方法はこれです。特進アカデミーのHPでも説明していますが、自分の弱点を自分自身で分析して、どのように学習を進めていけば良いかを考えられる力をつけると、学習効果がはっきり出ることがわかっています。いわゆる「自己調整学習」というもので、誰かに言われてやるよりも(塾や学校のカリキュラムに全て任せるよりも)、自分で考えながら学習を進められる能力をつけた方が良いのです。そのお手伝いをしてくれるのが、この漫画にも描いたAIなのです。今、中高生の間でもAIの利用が増えていますが、彼らの使い方のほとんどが、問題の「答え」を教えてもらうために使っています。それも悪くはないのですが、AIは答えを間違えて教えることもありますので、私はその使い方はお勧めしません。あくまでもAIは学習をサポートするもので、計画を練ったり、弱点を発見したり、調べ物のような作業に使うことをメインに利用すべきです。また、ほとんどの子供たちはスマホを持っていますので、AIはいつでも使える状態です。実際、本当にもったいない話で、AIは手元にあるのに、それを適切に使うスキルもなければ、ましてそれを教えてくれる親も先生もほとんどいないので、AIを十分に使いこなせていません。というのも、本気でAIに向き合わなければ、AIの進化の速さに全くついていけないはずです。(AIスキルを専門としている私でさえ、新しい情報に追いつくのがやっとですから)当塾でも、AIを使いこなしている生徒、使いこなしていない生徒の学力の差は歴然としています。ちゃんと使いこなしている生徒は、短時間で勉強を終えるので、部活もやって、遊ぶ時間も作って、それでいて成績上位です。使いこなしていない生徒は、残念ながら、昔ながらの勉強に安心感を覚えているのか、期待通りに伸びてきません。この漫画のようにAIで「知識を素早アプトプットする練習」を学習の中心にしない限り、記憶の定着が遅いのです。単に授業を受けた、先生の話を聞いた、問題集の解説を読んだ、赤シート問題をやった・・・だけでは、時間もかかるり、AI学習と比べて記憶の定着が悪いです。従来の勉強方法は、長時間を要し、体力も忍耐力も必要です。ですが、AIをサポートに使うことによって、自分がどう間違えているのか、どんなところで記憶できていないのか、どこからやり直したら良いのか、それらをAIは分析できるので、使い方によって、かなり効率化できます。スピードに例えるなら、AIを取り入れた勉強と従来の勉強では、三輪車とオートバイぐらいの差が生まれることもあります。教育は、時代の流れに合わせて変化させていくべきものです。自分を新しい環境に適応させられるかどうか、そこが成長の要です。間違った向上心、間違った努力。こういうことに早く気づいてほしいと思っています。
AI時代の『本当の自学自習』とはわが子が本を読まない。参考書を買っても、最初の数ページしか読まない。動画ばかり見ていて、このままで本当に大丈夫なのだろうか。そう心配しているお母さんは、少なくないと思います。しかし、本を読まないからといって、その子の頭が悪いわけではありません。なぜなら、本を読むことは、知識を得るための一つの方法にすぎないからです。本を読むことと、勉強することは同じではありません。ここを混同すると、長時間参考書を読んでいるのに、問題は解けないということが起こります。1.読むことは勉強の入口にすぎないノンフィクションライターの稲田豊史氏は、著書『本を読めなくなった人たち』の中で、本を読まない若者たちに取材しています。そこから見えてくるのは、本を読まないことを、知性の低さや努力不足だけでは説明できないという現実です。本を読むことは苦手でも、動画を見るとすぐに理解できる子がいます。図やアニメーションなら、複雑な仕組みを短時間でつかめる子もいます。生成AIとの対話によって、教科書では分からなかった内容を理解できることもあります。今の子どもたちには、本、動画、音声、図解、人との対話、生成AIなど、さまざまな学習手段があります。大切なのは、何から学んだかではありません。学んだことを、自分の力で使えるようになったかどうかです。2.読むだけでは、賢くならない少し厳しい言い方をします。本や参考書をいくら読んでも、それだけで賢くなるわけではありません。読むことは、知識を頭に入れる作業です。しかし、その知識を思い出し、説明し、問題解決に使えなければ、学力になったとは言えません。学校のワークも同じです。最後まで解いて提出すれば、勉強を終えた気になります。しかし、一度解いただけでは、本当に覚えたかどうかは分かりません。多くの子は、ワークを終えることが目的になり、その後は手をつけません。今はAIを使って、学んだ範囲から別の問題を出してもらえます。聞き方を変えたり、記述問題にしたり、間違えた問題の類題を作ったりすることもできます。参考書を読む。ワークを解く。AIに別の形で出題してもらう。何も見ずに答え、自分の言葉で説明する。ここまで行って、初めて勉強が完成します。読むだけの勉強から、知識を使う勉強へ。AI時代に必要なのは、たくさん読んだ子ではなく、学んだ知識を自分の力で使える子なのです。3.自宅学習を強くする4つの習慣動画やAIを使っただけでは、学力は身につきません。受け取った知識を自分の頭から取り出すために、次の4つを習慣にします。① 見た直後に思い出す参考書や動画を見終えたら、何も見ずに内容を思い出します。分かったつもりと、本当に覚えていることは違います。② 答えを見る前に考える問題が出たら、すぐに答えを見ず、まず自分で考えます。間違えたときは、自分の考え方と解説の違いを確認します。③ 学んだことをAIに説明する自分が先生になったつもりで、学んだ内容をAIに説明します。うまく説明できないところが、理解できていない部分です。AIの回答が正しいか、教科書などで確認することも必要です。④ 別の問題に挑戦するAIに、同じ範囲から聞き方の違う問題や類題を作ってもらいます。問題の形が変わっても解ければ、その知識は本当に使える力になっています。4.個別指導に任せるだけでは、自学自習にならない学習塾の個別指導や個別カリキュラムにも、注意が必要です。先生に今日やることを決めてもらい、隣で教えてもらえば、学習は進みます。しかし、一人になった途端に何をすればよいか分からなくなるのであれば、本当の自学自習は身についていません。与えられたカリキュラムをこなすことと、自分で学習を進めることは違います。本当の自学自習とは、自分で弱点を見つけ、必要な勉強方法を選び、できるようになったかを確かめることです。先生の役割は、子どもを先生に依存させることではありません。最終的には、先生がいなくても一人で学べるようにすることです。5.お母さんが見るべきなのは、読んだ量ではない子どもに、『今日は何ページ読んだの?』『ワークはどこまで終わったの?』と聞くだけでは、本当に勉強したかどうかは分かりません。それよりも、『今日、何ができるようになったの?』『何も見ないで説明できる?』『別の問題でも解ける?』と聞いてみてください。見るべきなのは、読んだページ数や勉強時間ではありません。学んだことを、自分の力で使えるようになったかどうかです。まとめ限られた時間で学力を伸ばすことを考えれば、ただ読むだけの勉強は、効率的でも合理的でもありません。本や参考書を読むことに時間を使い切るより、その知識を覚えているか、説明できるか、別の問題でも使えるかを確かめる時間を増やす方が重要です。本を読んでいれば勉強している。参考書を開いていれば賢くなる。そのような思い込みは、早く捨てた方がよいでしょう。読む時間を増やすことより、使えるかを確かめる時間を増やす。それが、AI時代の効率的で合理的な勉強です。
高校入試を控えた中学3年生へ他の人と同じ勉強でどうやって勝ちますか?中学3年生にとって、これから重要になるのは、ただ勉強時間を増やすことではありません。限られた時間を何に使うかです。同じカリキュラムで差はつくのか塾に通っても、周りの生徒と同じ授業を受け、同じ教材を使い、同じ宿題をこなします。しかし、それで、どうやって差をつけるのでしょうか。もっと長く勉強するもっと多くの問題を解くもっと根性を出す結局、このような勝負になりがちです。それでは、あまりにも非効率ではないでしょうか。勉強ができる子は、塾任せにしない本当に勉強ができる生徒は、塾に通っているかどうかにかかわらず、塾や家庭教師に頼り切ってはいません。なぜなら、自分の勉強方法を持っているからです。苦手教科をどのように克服すればよいのか。間違えたとき、どこまで戻ればよいのか。今の自分は何を優先すべきなのか。それを自分で考えることができます。学力を伸ばすためのポイント自分自身を分析できているかこの力は、決められたカリキュラムや教材を、言われたとおりにこなすだけでは身につきません。AIで自分の弱点を分析する英語が苦手でも、原因が単語不足なのか、文法の理解不足なのか、英文を読む練習不足なのかによって、必要な勉強は違います。数学も、計算ミスなのか、公式の理解不足なのか、問題文を読み取れていないのかによって、対策は変わります。ここで役立つのがAIです。間違えた問題やノートをAIに見せれば、つまずきの原因を整理し、必要に応じて以前の学年まで戻った練習問題も作れます。さらに、問題探し、学習内容の整理、類題作成、学習計画の調整などをAIに任せれば、勉強の準備に使っていた時間を減らせます。その分、本当に必要な暗記と演習に時間を使えるのです。AIは答えを聞く道具ではありません。AIを使う目的は、答えを出してもらうことではありません。自分を分析し、余計な作業を減らし、今の自分に必要な勉強へ集中することです。入試までの時間は、誰にとっても同じです。だからこそ、他の人と同じ教材を、同じ順番で、ただ長時間勉強する方法から抜け出す必要があります。特進アカデミーもう誰かの作ったカリキュラムでは戦わない特進アカデミーでは、AIとコーチングを活用し、一人ひとりの弱点と間違いの原因を分析します。そのうえで、必要な内容まで戻り、自分に合った学習方法を一緒に組み立てます。自分に必要な勉強を知り、効率よく受験対策を進めたい中学3年生は、無料体験授業をご利用ください。無料体験授業について見る tokushinacademytokushin.ris.ne.jp
テストで80点。でもAIを使えない。それで本当に優秀なのか?先日、北海道新聞に興味深い記事が載っていました。OECD(経済協力開発機構)が2025年に15歳を対象に行ったPISA(生徒の学習到達度調査)についての記事です。日本の子どもたちは、他国と比べて学校の勉強でAIを使っていない割合がかなり高いという結果が出ています。ところが、日本の学力自体は依然として世界の上位です。AIなんて使わなくても、学力が高いなら問題ないのでは?確かに、その見方もできます。でも、少し違う角度から考えてみてください。1.AくんとBくん、どちらの能力が高い?例えば、AくんとBくんがいたとします。Aくんは、AIを使わずに数学のテストで80点取れます。Bくんは、自力では60点程度です。従来のテストなら、Aくんの方が学力が高いと評価されます。では、AIを自由に使ってよい課題だったらどうでしょうか。BくんはAIに質問し、別のAIにも確認し、資料を調べ、AIの回答を検証しながら考えを修正して、最終的にAくんより質の高い答えを出したとします。この場合、本当に能力が高いのはどちらでしょうか。学校のテストならAくん。しかし実社会では、Bくんの方が高い成果を出す可能性があります。ここが、これからの教育で大きく変わっていくところだと思います。2.これからは、自分一人の力だけでは測れないこれまでの学力は「自分一人でどこまでできるか」で測ることが中心でした。しかしこれからは、自分の能力とAIや情報を組み合わせて、どこまで目標を達成できるか、どこまで問題を解決できるかという力も重要になります。もちろん、基礎学力は必要です。ただし、AIに答えを聞いてはいけないという話ではありません。答えを聞くこともあります。大切なのは、その答えをそのまま信じないことです。3.AI時代に必要なのはファクトチェックの力AIは間違えることがあります。だから、・その回答は本当に正しいのか・根拠はどこにあるのか・別のAIではどう答えるのか・一次情報や信頼できる資料と一致しているのかを確認する力が必要になります。これは単にAIを触っていれば自然に身につくものではありません。AIの特徴や弱点、ファクトチェックの方法、情報の確かめ方を、きちんと学ぶ必要があります。その意味では、これからの子どもたちには、AIを使った経験がある人やAIについて専門的に学んでいる人から、正しい使い方を学ぶ機会も必要になってくると思います。4.本来のAI教育は、答えをもらうことではないただ、本来のAI教育は、AIから答えをもらう方法を覚えることではありません。勉強であれば、・自分の弱点を分析してもらう・理解できない部分を別の方法で説明してもらう・自分に必要な練習問題を作ってもらう・学習の優先順位を整理する・複数の情報を比較して考えるといった、学びを支える道具として使うことが重要です。つまりAIは、自分の代わりに考えたり、答えを出してくれる道具ではなく、自分の能力を広げるための道具として使うわけです。5.勉強さえできればいい時代ではないこれから必要になるのは、自分で考える力。AIを使って能力を広げる力。複数のAIや情報、人の知識を組み合わせる力。AIの回答を検証する力。そして、最後は自分で判断する力です。ここまで考えると、勉強さえできれば大丈夫 という考え方は、少しずつ時代遅れになっていくのではないでしょうか。 学校のテストで80点、90点を取れることは、もちろん価値があります。しかし実社会では、・何を調べればよいのか・誰に聞けばよいのか・どのAIを使えばよいのか・出てきた情報を信用してよいのか・複数の情報をどう組み合わせるのか・そして最終的にどう判断するのかまで求められます。日本の子どもたちは、今のところ高い基礎学力を持っています。だからこそ、その力にAIを使いこなす力を加えることができれば、大きな強みになるはずです。AIを使うか、使わないか。そんな単純な話ではありません。自分の能力とAIをどう組み合わせれば、より良い結果を出せるのか。その方法を学ぶことが、これからの教育では重要になってくると思います。6.この続きはメルマガでこのテーマについては、メルマガでもう少し詳しく書いています。AI教育と受験勉強をどう結びつけるのか。これからの子どもたちには、どのような力が必要になるのか。ご興味がありましたら、この記事上部にあるメルマガ案内からご登録ください。
忘れ物、宿題、テスト勉強。全くやる気がない・・・中学生になって、忘れ物が増えた。宿題をやらない。テスト前なのに勉強しない。そんな子どもを見ていると、親としては不安になると思います。だから、勉強しなさい宿題は終わったの?明日の準備はした?と声をかける。でも、何度言っても変わらない。そうなると今度は、もう知らない。好きなようにしなさい。と言いたくなります。でも私は、このどちらも正解ではないと思っています。本人は、本当は困っていないなぜ、何度言っても勉強しないのでしょうか。理由は案外単純です。本人が、それほど困っていないからです。住む家があります。食事も親が用意してくれます。それなりにお小遣いもあります。スマホもあります。ゲームもあります。友達と遊ぶこともできます。今日、宿題をやらなかったからといって、明日から生活できなくなるわけではありません。忘れ物をしても、何とかその日は過ぎていきます。テストで悪い点を取っても、その日のご飯が食べられなくなるわけではありません。むしろ、何不自由なく生活できている子どもに、将来のために今から勉強しようという明確な目的意識が最初から生まれる方が、ある意味、奇跡に近いのかもしれません。大人は、勉強しなかった先のことを知っています。基礎が分からなくなれば、次の勉強が難しくなる。選択できる進路が狭くなることもある。社会に出てから、もっと学んでおけばよかったと思うこともある。しかし、中学生にはまだその実感がありません。それは、ある意味当然のことです。だから、勉強しなかったら将来困るよと言われても、なかなか響かないのです。管理するか、放っておくかではないもちろん、中学生にすべて任せればいいという話でもありません。まだ自己管理が十分にできない時期ですから、親がある程度サポートすることは必要です。ただし、親が全部管理するという状態が続けば、親に言われなければ動かないという関係になってしまうことがあります。反対に、もう知らない。勝手にしなさいと突き放したところで、急に本人が自立するわけでもありません。では、親には何ができるのでしょうか。私は、もっと親自身の話をしていいと思っています。親自身の経験を話してみる勉強しなさい、と言うのではなく、自分は勉強についてどう思っていたのか。学生時代、何を後悔しているのか。頑張ったことが、社会に出てからどう役立ったのか。逆に、あのときもう少し勉強していたらどうなっていただろう。そんな話をしてみる。親自身の人生の話です。立派な成功談である必要はありません。むしろ、自分も勉強は嫌いだった。やりたくない日もたくさんあった。でも、今になって考えると、あのとき学んだことがこんなところで役に立っている。という話の方が、子どもには伝わることもあります。命令ではなく、一人の大人の経験として話すのです。私は、知識と向き合ってほしいと伝えています私は子どもたちに、単に勉強しなさいとは言いません。それよりも、知識と向き合ってほしいと伝えています。なぜなら、知識はテストの点数を取るためだけにあるものではないからです。人間は、自分が知っているものの中から世界を見ています。知らないものは、選ぶことさえできません。例えば、世の中にどんな仕事があるのか知らなければ、その仕事を夢見ることはできません。いろいろな国や文化を知らなければ、そこで暮らしてみたいという夢も生まれません。科学を知らなければ、自然の不思議に気づけないかもしれません。歴史を知らなければ、今の社会がなぜこうなっているのか考えることも難しくなります。知識が増えるということは、世界の見え方が増えるということでもあります。夢を描くためにも、知識がいる私は、ここがとても大切だと思っています。人間は、自分はどう生きたいのか何をしてみたいのかどんな人生なら幸せなのかを考えることができます。これは人間に与えられた、とても大きな特権だと思います。しかし、その夢や幸せについて考えるためにも、材料が必要です。その材料の一つが知識です。何も知らなければ、想像できる世界も狭くなります。知れば知るほど、こんな生き方もあるんだ。こんな仕事もあるんだ。こんな場所もあるんだ。こんな考え方もあるんだ。と、人生の選択肢が増えていきます。だから私は、勉強しなさいというよりも自分の人生を考えるためにいろいろなことを知ってほしいと伝えたいのです。今日すぐに勉強するとは限らないもちろん、こんな話をしたからといって、分かった。今日から勉強する。とはならないでしょう。むしろ、ならないことの方が多いと思います。その場では・・・ふーん・・・と言われて終わるかもしれません。でも、それでいいと思っています。親が話した言葉は、すぐに効果を発揮するとは限りません。何年か後。何かに失敗したとき。進路について悩んだとき。自分の将来を考え始めたとき。ふと、そういえば、あのとき親がこんなことを言っていたなと思い出すことがあります。私は、そういう言葉は、心の中に仕掛けられた時限装置のようなものだと思っています。いつ作動するかは分かりません。しかし、ある経験とその言葉がつながった瞬間に、あっ、こういうことだったのかと理解することがあります。忘れ物も、宿題も、失敗させていいだから、忘れ物を一度もしないように親が完璧に管理する必要もありません。宿題を絶対に提出できるように毎日追いかける必要もありません。忘れ物をして困った。宿題を出せなくて気まずかった。テスト前に勉強しなくて、本当に分からなかった。そういう経験も必要です。そのときに、だから言ったでしょうで終わらせない。代わりに、どうだった?何か感じた?次はどうしたい?と聞いてみる。そこで、以前親が話した言葉と本人の経験がつながることがあります。失敗そのものより失敗から何を考えるかの方が大切なのだと思います。親の役割は、答えを与えることだけではない子どもが勉強しないと、親はどうしても、どうやったら勉強させられるかを考えます。でも、もう少し長い時間軸で考えてもいいのではないでしょうか。今週宿題を全部やらせることより、なぜ学ぶのかを本人が考え始めること。忘れ物をゼロにすることより、自分の失敗から次の行動を考えられるようになること。その方が、長い人生ではずっと重要だと思います。親にできることの一つは、勉強しろと繰り返すことではなく自分はなぜ学ぶことが大切だと思っているのかを自分の言葉で子どもに伝えること。その言葉は今日、子どもを動かさないかもしれません。それでも、その言葉が心のどこかに残っていれば、いつか本人自身が必要性を感じたとき、あっと気づく瞬間が来るかもしれません。教育には、すぐに結果が出るものだけではありません。何年も後になって、初めて意味を持つ言葉もあります。私は、そういう言葉を子どもの心に残しておくことも、親にできる大切な教育の一つだと思っています。
AI時代の定期テスト対策これまでの定期テスト対策は古すぎるテストで良い点を取るためには、 ぶっちゃけ、テストの答えが先にわかっていれば、それだけ勉強すれば良い点が取れますよね? もちろん、実際の答えを事前に知ることはできません。でも、この先生はどんな問題を出しやすいのかどんな資料問題を好むのかどんな言葉を記述させるのかどこを重点的に聞いてくるのかここまで予測できたら、かなり勉強の仕方は変わると思いませんか?過去のテストから、先生の出題傾向を分析する 今はAIを使えば、過去の定期テストそのものを分析して、 作問者の傾向 までかなり細かく調べることができます。今回、実際にある中学校で出題された社会の定期テストをAIに読み込ませ、問題の作り方を分析してみました。すると、単に出題範囲を見るだけではなく、・地図問題を多く出す・資料から用語を判断させる・理由を説明させる問題が多い・知識問題のあとに記述問題を置くといった、かなりはっきりした癖が見えてきました。そこで、その傾向をもとに、この先生が次に日本地理のテストを作るなら、どんな問題を出しそうかという予想問題まで作成してみました。問題を予想するだけでは足りない これまでのように、とにかくワークを3周する教科書を何度も読むノートをひたすらまとめるという勉強だけではありません。出題されそうなところを絞り、さらに、先に答えを予想する自分の言葉で言い換える原因と結果をつなげる最後は何も見ずに思い出すという覚え方も組み合わせます。勉強時間ではなく、勉強の設計を変える つまり、何時間勉強したかではなくどこを勉強するかどう覚えるかどう思い出すかまで設計するテスト対策です。AI時代のテスト対策は、単にAIに答えを聞くことではありません。むしろ、テストを分析する↓出題を予測する↓勉強方法を最適化するこういうところにAIを使った方が、ずっと価値があると思っています。詳しい内容はnoteで紹介しますnoteでは、今回実際にどのように定期テストを分析したのか、どんな出題傾向が見えてきたのか、さらに効率よく記憶する方法まで詳しくまとめます。実際に作成した日本地理の予想問題PDFも、noteからダウンロードできます。どうぞお子さんの勉強に役立ててください。noteはこちら↓AIと共に、受験も未来も手に入れる 〜 オンライン学習塾・特進アカデミー塾長 坪田ひろし|note特進アカデミー 小中学生対象 全国オンライン学習塾 https://tokushin.ris.ne.jp/note.com
これからの学校教育文科省がこれから始める学びを、特進アカデミーはすでに実践してきた2026年8月31日、文部科学省の中央教育審議会で、次期学習指導要領に向けた審議まとめの素案が示されました。そこで重視されているのが、自己調整学習です。自己調整学習とは、先生から言われた内容をこなすだけの勉強ではありません。自分で目標を決め、実際に学習し、どこでつまずいたかを振り返り、次の勉強方法を変えていく学び方です。文科省は、この流れを予見、遂行、内省という言葉で整理しています。特進アカデミーの学習サイクル特進アカデミーが以前から実践してきた学習サイクルは、次のとおりです。決める↓やってみる↓見つける↓変える言葉は違いますが、教育の骨格はほぼ同じです。特進アカデミーのキャッチフレーズもう誰かの作ったカリキュラムでは戦わないこれは、カリキュラムそのものを否定する言葉ではありません。誰かが決めた順番や量に従い、与えられた問題をただ終わらせる。そのような、やらされる勉強から脱却しようという意味です。一人ひとり、理解していることも、つまずいている場所も違います。それにもかかわらず、全員が同じ問題集を、同じ順番とペースで進めるだけでは、本当に必要な学習ができないことがあります。大切なのは、カリキュラムに自分を合わせることではありません。学習の結果を見ながら、自分に必要な学びへカリキュラムを組み替えていくことです。特進アカデミーでは、間違いの原因を見つけ、必要なら以前の単元へ戻り、次に何を学ぶかを考えます。AIはその分析を支援し、人間のコーチが判断と継続を支えます。特進アカデミーが、今回示された文科省の方針に合わせたのではありません。私は以前から、子どもを管理して勉強させる方法に疑問を持ち、自分で学び方を修正できる力を育てる教育に取り組んできました。今、国の教育政策が、その方向へ動き始めています。自己調整学習は、一部の特別な教育ではなく、これからの学校教育の中心になっていく可能性があります。文科省は、なぜ今、自己調整学習を重視し始めたのでしょうか。また、自己調整学習と、子どもへの放任は何が違うのでしょうか。続きはメルマガで詳しくお伝えします文科省の資料をもとに、学校教育がこれからどのように変わるのか、特進アカデミーがその教育をどのように先取りしてきたのかを、さらに詳しく解説します。無料メルマガに登録する 参考資料文部科学省 第17回教育課程企画特別部会 2026年8月31日開催 現在公表されている内容は審議まとめの素案であり、正式な学習指導要領として確定したものではありません。
AIは勉強に役に立たない?実は問題は使い方かもしれませんAIの性能だけではなく、質問の仕方、使わせる役割、そして回答の検証方法まで含めて考える必要があります。AIに子どもの勉強を聞いてみたけれど、全然役に立たなかった。AIに問題を作らせたけれど、使える内容ではなかった。そんな声を聞くことがあります。もちろんAIは間違えることがあります。しかし私は、それだけで AIは勉強に使えない と判断するのは早いと思っています。むしろ今、遅れているのは、AIを学習にどう使うのかを学ぶことではないでしょうか。AIが役に立たない主な理由大きく4つあると思います。1.使っているAIの性能AIはどれも同じではありません。 性能の低いAIと、高性能なAIでは、数学や英語などへの対応力も大きく違います。2.指示の出し方例えば、中2数学の問題を作ってだけでは十分ではありません。単元、難易度、苦手なポイント、よくする間違いまで伝えることで、問題の質はかなり変わります。3.子どもの情報をAIに与えていない答案、ノート、間違えた問題などを見せれば、 なぜ間違えたのか 何が理解できていないのか どんな類題が必要なのか・・・まで分析できます。4.AIにさせる仕事を間違えている答えを聞くだけなら、AIは単なる解答機になってしまいます。AIには考える手助けをさせる私は学習では、 説明と問答を切り替える方法 が良いと思っています。例えば数学を間違えたとき、正解をすぐ教えるのではなく、AIから子供に質問を投げかけるように設定するのです。なぜこの式にしたの?この符号はこのままでいいかな?計算の順番に決まりはなかったかな?・・・とAIが問いかけます。いわゆる ソクラテス式の問答 です。ただし、まったく分からない子に質問ばかりしても意味がありません。分からなければ、AIが説明する。少し分かればヒントを出してくれる。理解していれば質問して考えさせる。この切り替えが大切です。AIの回答を、そのまま信じないもう一つ、私自身が普段からやっていることがあります。それは、 一つのAIの回答だけで判断しないこと です。あるAIに回答を求めたら、別のAIにも、その内容が正しいか確認させます。重要な内容であれば、さらに別のAIにも確認させます。ダブルチェック↓トリプルチェックさらに、AI同士の意見が一致していても、それだけで正しいとは判断しません。元になっている研究、行政資料、公式発表など、 情報の引用元まで確認します。AIが言ったから正しいのではなく、複数のAIと一次情報を使って確かめる。遅れているのは、AIの使い方を学ぶこと学校でも家庭でも、AIを使うべきか使わないべきかという議論はよくあります。しかし、本当に必要なのはその先です。 AIにどう質問するのか どうやって考えさせるのか 回答が正しいか、どう検証するのか AIを正しく使うことで、通常の学習よりも成果がアップする研究結果がすでに多数出ています。こうした AIの使い方を学ぶ教育 は、まだ十分に追いついていないように感じます。AIに答えを聞くだけではなく、AIに考える手助けをしてもらう。そして、AIの答えそのものも検証する。これから必要になるのは、AIを学習の道具として使いこなす力なのではないでしょうか。
もし、我が子の明日が最後だとしたら先日、ネパールとチベットの国境付近で、大きな災害が起きました。氷河の崩落をきっかけに大規模な洪水が発生し、多くの人の命が失われ、大勢の人が行方不明になっています。朝、いつものように起きて、家族と話をして、仕事や学校へ向かう。そのとき、自分の人生がその日で終わると思っていた人は、おそらくほとんどいなかったでしょう。しかし、命というものは、そういうものなのだと思います。日本でも、地震や台風、豪雨による水害で、多くの命が失われてきました。交通事故もあります。突然の病気もあります。昨日まで普通に暮らしていた人が、今日も同じように生きている保証は、本当はどこにもありません。それでも私たちは、普段、そのことをほとんど意識せずに生活しています。明日もまた今日と同じようにやってくる。来週も、来月も、来年もある。どこかでそう思っています。でも、本当は誰にも分かりません。もし、我が子の明日が最後だとしたらそこで、一つ考えてみたいことがあります。もし、我が子が明日命を失うことが分かっていたとしたら、今日、親として何をするでしょうか。宿題は終わったの?テスト勉強をしなさい。もっと勉強しないと高校に行けないよ。そんなことを言うでしょうか。おそらく、多くの親は違うと思います。何が食べたい?どこか行きたいところはある?今日は一緒に過ごそうか。そんなことを考えるのではないでしょうか。そして何より、生まれてきてくれてありがとう。あなたがいてくれてよかった。そんなことを伝えたくなるのではないでしょうか。子ども時代も、その子の人生解剖学者で東京大学名誉教授の養老孟司先生が、子どもについて、とても印象的な話をされています。養老先生は、昔は幼い子どもが亡くなることが今よりも珍しくなかったため、大人たちは、子どもの人生がいつ終わるか分からないということを知っていた、と話しています。だからこそ、将来のことばかりを考えるのではなく、その時その時を十分に生かしてあげたいという感覚があったというのです。そして、子ども時代そのものも、その子の人生の一部であるという趣旨のことを話されています。私は、これはとても大切な視点だと思います。私たちは子どもを見るとき、どうしても未来を見ます。高校受験。大学受験。就職。社会人になったときに困らないように。将来、幸せになれるように。もちろん、それらは大切です。親が子どもの将来を心配することも当然でしょう。しかし、その未来のために使っている今日もまた、その子の人生なのです。未来ばかりを見て、今を見失っていないか私は学習塾を運営していますから、勉強することには大きな意味があると思っています。知らなかったことを知る。できなかったことができるようになる。世界を見る視点が増える。自分の可能性を広げる。本来、学ぶことは人生を豊かにするものです。しかし、怒られないために勉強する。順位を落とさないために勉強する。親を安心させるために勉強する。偏差値を上げることだけを目的に勉強する。そうなってしまったとき、一度考える必要があると思います。私たちは一体、何のために子どもを勉強させているのでしょうか。高校に入るために中学時代を使い、大学に入るために高校時代を使い、就職するために大学時代を使う。もちろん未来への準備は必要です。しかし、未来のために現在という人生を生きずに消耗していたら???その子はいったい、いつ自分の人生を生きるのでしょうか。もし最後の言葉が、勉強しなさいだったら私たちは、明日も今日と同じように続いていくと思って暮らしています。しかし、本当は誰にも分かりません。災害かもしれない。交通事故かもしれない。突然の病気かもしれない。命は、とても尊いものである一方、同時に驚くほど儚いものでもあります。昨日まで笑っていた人が、今日はいなくなる。朝、行ってきますと家を出た人が、もう帰ってこない。そんなことが、現実の世界では起きています。だからこそ、私は時々考えます。もし、我が子にかけた最後の言葉が「勉強しなさい」だったとしたら、どうだろうかと。もっと点数を取りなさい。そんな成績では困る。どうしてこんな問題もできないの。そんな言葉が最後だったとしたら、親はその後、何を思うでしょうか。もちろん、勉強は大切です。将来のことを考えることも大切です。しかし、偏差値も、順位も、テストの点数も、すべて生きているからこそ意味を持つものです。子どもが生きていること。今日、目の前にいること。話しかければ返事が返ってくること。一緒にご飯を食べられること。そんな当たり前のことの方が本当はずっと大きな価値を持っているのではないでしょうか。
勉強しないのは、やる気がないわけではない「うちの子は、本当にやる気がなくて……」中学生の保護者から、よく聞く言葉です。でも私は、単純に「やる気がない」とは考えていません。何のために勉強するのか自分の中に目標がないもっと根本には、こうした問題があることが多いと思っています。「将来困るよ」では、なかなか動かない「勉強しないと将来困るよ」「社会に出たら知識が必要だよ」こうした話は、子どもたちも何度も聞いています。でも、今の生活で大きく困っていなければ、将来困ると言われても実感はありません。しかも、「学校で習うことなんて、社会に出てもほとんど役に立たない」という話もよく耳にします。確かに、習った知識をそのまま仕事で使わないことは多いでしょう。でも私は、だから「学ばなくていい」とは思いません。古文は、本当に役に立たないのでしょうか例えば古文です。「古文なんて、大人になって何の役に立つの?」と言われます。皆さんは『方丈記』を読んだことがありますよね。教科書で「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」というくだりを暗記した方もいらっしゃるのではないでしょうか。方丈記には、人の生死、家や財産への執着、そして災害によって、それまで築いてきた暮らしが一瞬で失われる様子などが描かれています。人はなぜ大きな家を欲しがるのか。財産を増やせば幸せなのか。成功とは何なのか。約800年前に書かれた文章なのに、現代の私たちにもそのまま活かすことができる知恵が満載です。学校では文法や現代語訳が中心になりがちですが、本当はその先にこそ、学ぶ面白さがあります。歴史を知れば、社会の見え方が変わる。文学を読めば、人の生き方を考えることができる。科学を知れば、身の回りの世界を見る目が変わる。学ぶということは、「人生を見る視点を増やすこと」私はそう思っています。仕事に役立つことも、お金につながることもあるでしょう。でも、それ以上に、知識を得ることで自分の人生や幸福について、より深く考えられるようになる。そこに学ぶ大きな価値があると思っています。家庭で「なぜ学ぶのか」を話していますか?そして、ここが大切だと思っています。子どもに「勉強しなさい」と言うだけではなく、「そもそも、なぜ人は学ぶのか」という話を、家庭の中でしたことがあるでしょうか。私は生徒たちに、「お父さんやお母さんと、何のために勉強するのかを話したことがある?」と聞くことがあります。私が聞いてきた範囲では、「ほとんど話したことがない」「先生が話すようなことは聞いたことがない」と答える生徒が非常に多いです。これは、子どもだけの問題ではないと思います。子どもに学ぶことの価値を伝えるのであれば、親自身も「学ぶとは何なのか」を考える必要があります。家庭の中に、・知ることは面白い・学ぶことで人生の見え方が変わる・何を知り、どう生きるかを考えることには価値があるという雰囲気がなければ、子どもだけに学ぶ価値を見つけなさいと言っても、なかなか難しいでしょう。学ぶ価値は、時間をかけて伝わっていくこうした話は、一度聞いただけで理解できるものでもありません。まだ人生経験も知識も少ない中学生に、学ぶ意味や人生について考えてもらうには、とても時間がかかります。週に1回程度の授業だけでは、本来十分とは言えないくらいです。それでも、何か月、何年と関わりながら、勉強だけでなく、社会のこと、将来のこと、人間の生き方について話を続けていると、子どもたちは少しずつ変わっていきます。私自身、長く関わった生徒が、数年前とは見違えるほど考え方を深めていく姿を何度も見てきました。だから私は、「勉強しない = やる気がない」とは考えません。まだ、学ぶ価値を十分に知らないだけかもしれない。そして、それを伝えることこそ、大人の役割なのではないかと思っています。
努力すれば、全員が同じところまで到達できるのか?今回は「現実」の話をしたいと思います。頑張れば、誰でもできる。子どもの教育では、よく使われる言葉です。もちろん、私は努力を否定するつもりはありません。勉強すれば知識は増えますし、練習すれば、以前できなかったことができるようになることもあります。努力すれば伸びると、努力すれば全員が同じところまで到達できるはまったく別の話です。■ 努力しても、結果は同じにはならない努力すれば、うちの子だって進学校に入れるはず。そう思っている親御さんには衝撃的な話かもしれません。たとえば100メートル走なら、練習すれば多くの人は以前より速く走れるでしょう。しかし、同じだけ練習したからといって、全員が同じタイムになるわけではありません。勉強も同じだと私は考えています。実際、科学的な視点から見た場合、特に双生児研究などからも、数学や読解などの学力の個人差には、遺伝的要因がかなり関係していることが分かっています。一方で、教育を受けることによって、認知能力が伸びることも研究で確認されています。つまり、生まれつきですべてが決まるというのも違う。努力すれば全員が同じところまで行けるというのも違う。■ 北野武さんの、努力は宝くじという考え方この話を考えていて、北野武さんの発言を思い出しました。北野さんは、努力することを宝くじを買い続けることにたとえています。買い続けても、当選する保証はない。しかし、買わなければ当たることもない。つまり・・・努力には意味がある。しかし、努力したからといって結果が保証されるわけではない。・・・ということだと思います。北野武さんは、2015年のGQ JAPANのインタビューでも、努力と成功について、このような趣旨の話をしています。参考: GQ JAPAN 北野武さんインタビュー ■ 頑張ればできる、が危険になるとき私は子どもたちを教えていて、頑張ればできるはずだという言葉が、時として危険になると思っています。なぜなら、それがいつの間にか、できないのは努力が足りないからだという評価に変わってしまうからです。同じ時間勉強しても、理解する速さは違います。同じように努力しても、伸び方は違います。人間には個人差があるからです。■ だからといって、可能性を決めつけないただし、だからといって・・・あなたには無理だ・・・と、子どもの可能性を大人が決めつける必要もありません。やってみなければ、どこまで伸びるのかは分かりません。だから挑戦する。だから努力する。しかし、努力したのだから、全員が同じ結果を出さなければならないとは考えない。私は、このくらいの距離感がちょうどよいのではないかと思っています。■ この続きはメルマガで詳しく書いています今回のメルマガでは、・なぜ学力に個人差が生まれるのか・教育によって認知能力はどの程度伸びるのか・努力万能論にはどのような問題があるのか・そもそも全員が同じ学歴競争に参加する必要があるのかといった点について、研究データを紹介しながら、もう少し詳しく書いています。ご興味のある方は、ぜひメルマガもお読みください。メルマガ登録はこちら 特進アカデミー塾長の教育メルマガ
教育について考える子どもを管理して勉強させることが、本当に成長なのか子どもが自分から勉強しない。計画を立てても続かない。スマホを見てしまう。だから、塾に行かせて管理してもらおう。勉強する環境に強制的に入れてしまおう。先生に宿題や進捗を細かくチェックしてもらおう。こう考える保護者の方は少なくありません。もちろん、その気持ちはよく分かります。実際、誰かに管理してもらえば、目先の勉強量は増えるかもしれません。テストの点数が上がることもあるでしょう。しかし私は、長く子どもたちを見てきて、ここに一つ大きな問題があると考えるようになりました。自分を管理できないから他人に管理してもらうこの状態を長く続けることです。本来、教育が目指すべきなのは、管理を強化することではなく、最終的に管理されなくても行動できる人間になることではないでしょうか。1 管理の目的は、管理し続けることではない小学生や中学生が、最初から完璧に自分を管理できるはずはありません。勉強時間を決める。何から勉強するか考える。テストまでの日数を逆算する。失敗した原因を振り返る。こうしたことは、最初からできる能力ではなく、経験しながら少しずつ身につけていくものです。だから、大人の支援は必要です。支援することと管理することは同じではありません。私はここを非常に重要だと考えています。最初は一緒に計画を立てる。次第に本人に考えさせる。うまくいかなければ原因を一緒に考える。そして、少しずつ大人が手を離していく。教育における管理とは、本来このように徐々に減らしていくべきものだと思います。ところが現実には、逆のことが行われることがあります。本人ができないから、さらに細かく管理する。管理しないとやらないから、もっと監視する。すると一時的には勉強するようになります。しかし、その仕組みがなくなった瞬間、動けなくなることがあります。これは決して珍しいことではありません。2 誰かがいるから勉強する、になってしまう先生がいるから勉強する。塾にいるから勉強する。友達と一緒だから勉強する。親に怒られるから宿題をする。テストで良い点を取れば褒められるから勉強する。こうした動機が悪いわけではありません。子どもの成長過程では、外から与えられる動機も必要でしょう。しかし問題は、それだけで終わってしまうことです。誰かに言われなければ動けない。誰かが評価してくれなければ頑張れない。何をすればよいか指示されなければ分からない。誰かがいなければ勉強しない 。この状態のまま大人になれば、勉強以外の場面でも同じことが起こる可能性があります。仕事でも、何をすれば評価されるのか。上司は何を求めているのか。周囲からどう思われるのか。・・・ということばかりが判断基準になってしまう。自分は何をしたいのか。自分は何を大切にしたいのか。自分は何を生み出したいのか。こうした問いを持つ機会が少なくなってしまいます。3 点数が上がることと、人間が成長することは同じではないここは教育において非常に混同されやすいところです。テストの点数が上がった。偏差値が上がった。進学校に合格した。難関大学へ進学した。これは確かに一つの成果です。努力した本人は評価されるべきです。成績が上がったことと、自分で人生を考えられるようになったことは別の問題です。先生に言われた教材をやる。塾から指定された量をこなす。親から勧められた学校を目指す。周囲から評価される進路を選ぶ。その結果として優秀な進路を歩むこともあります。それ自体を否定する必要はありません。問題なのは、その過程で、自分自身は何を望んでいるのかという問いがほとんど存在しない場合です。学生時代までは、偏差値や点数、合否という分かりやすい指標があります。ところが社会に出ると、人生には偏差値がありません。何点取れば正解なのかもありません。どの会社に入れば幸せなのか。いくら稼げば成功なのか。何歳までに何を達成すれば正しいのか。明確な答えはありません。自分は何のために生きているのだろう。自分は本当は何をしたいのだろう。こうした問題に直面する人もいます。私は、これは決して学歴が高いこと自体の問題ではないと思っています。問題なのは、他人から与えられた評価軸だけで長く自分を評価してきたことなのだと思います。4 悪い点を取ることにも意味がある私は、テストで悪い点を取ることが必ずしも悪いことだとは考えていません。もちろん、良い点を取れるなら、それに越したことはありません。しかし、自分で勉強を管理してみた。うまくいかなかった。点数が悪かった。そこで、なぜダメだったのだろう。勉強を始めるのが遅かった。暗記ばかりして理解していなかった。スマホを見すぎた。分からない問題を放置していた。次はどう変えればいいだろう、と考える。失敗を材料にして、自分自身の行動を修正する。これは単なるテスト勉強ではなく、自分自身を扱う練習です。反対に、大人がすべて管理してしまえば、失敗の原因さえ本人には分からなくなることがあります。なぜ点数が上がったのかも分からない。なぜ下がったのかも分からない。言われた通りやっていただけだからです。5 親を安心させるために勉強する子ども以前、非常に印象に残った話を聞いたことがあります。子どもには、本当は別にやりたいことがある。しかし、勉強を頑張りたい。もっと勉強したい。と言えば親が喜ぶ。親との関係もうまくいく。だから、そう言う。ところが本人が本当に考えていることは別にある。非常に考えさせられる話だと思いました。子どもは大人が思っている以上に、親の表情を見ています。何を言えば親が喜ぶのか。何を言えば怒られるのか。何を言えば安心してもらえるのか。それを学習します。本当の自分が考えていることよりも、周囲から期待されている自分を演じた方が楽だ。そういうことを覚えてしまう場合があります。私は、こちらの方がテストの点数よりずっと心配です。6 学歴そのものを否定しているのではないここで誤解してほしくないのですが、私は勉強や学歴を否定しているわけではありません。勉強することで身につく知識は非常に重要です。受験を通して身につく努力する力や忍耐力もあります。良い学校へ進むことで得られる環境や出会いもあります。学歴が社会的に一定の価値を持つことも、今なお事実でしょう。しかし、学歴さえあれば人生が安定する、偏差値の高い学校へ行けば成功する、というほど単純な時代ではなくなっています。社会そのものが急速に変化しているからです。AIの進歩を見ても分かるように、これまで価値があると思われていた能力が急速に代替される可能性があります。だからこそ、自分は何が得意なのか。何に興味を持つのか。何なら長く取り組めるのか。どんなときに力を発揮できるのか。何を大切にして生きたいのか。こうしたことを自分自身で理解する力が、以前にも増して重要になっていると思います。7 勉強は、自分自身を知るための教材でもある私は、勉強の価値は点数だけではないと思っています。勉強していると、自分自身の特徴がよく見えます。自分はどのくらい誘惑に弱いのか。どのくらい集中できるのか。失敗したとき、すぐ諦めるのか。それとも方法を変えられるのか。計画を立てるのが得意なのか。人に質問するのが苦手なのか。興味を持ったことなら驚くほど集中できるのか。つまり勉強とは、自分自身を知るための実験にもなるのです。だから私は、子どもが勉強できないから管理するという発想だけではなく、どうすれば、この子自身が自分を扱えるようになるのか、と考えることが教育では大切だと思っています。8 目標は、親や先生がいなくても生きていけること極端に言えば、学校に通っているかどうか。偏差値がいくつなのか。どこの高校や大学へ進んだのか。それだけで人間の成長を測ることはできません。もちろん、学校に行かなくてよいとか、勉強しなくてよいと言っているのではありません。大切なのは、自分の状況を理解し、自分で考え、自分で選び、その結果を引き受けながら改善していけることではないでしょうか。多少遠回りしてもいい。失敗してもいい。テストで思ったような点数が取れないこともある。しかし、なぜ失敗したのか。次はどうしようか。自分には何が向いているのか。自分はどう生きたいのか。それを考えられる人間になる。私は、その方が長い人生でははるかに重要だと思っています。教育の最終目標は、子どもを上手に管理することではありません。親が管理しなくても、先生が管理しなくても、塾が管理しなくても、自分で自分の人生を動かしていけるようにすること。子どもがいつか自分の足で歩いていくために、大人は少しずつ手を離していく。私は、それこそが本当の意味での教育ではないかと思っています。特進アカデミーAIとコーチングを活用しながら、自分で学ぶ力を育てるオンライン学習塾です。特進アカデミー公式サイトを見る
幼児期から勉強を先取りする必要はあるのか?先日の北海道新聞に、このような記事が掲載されていました。学習塾 未就学児もターゲット 少子化で塾生減 中高まで一貫支援:北海道新聞デジタル...www.hokkaido-np.co.jp高校受験を主力にしていた学習塾が、未就学児へのサービスを始めたということです。要するに、少子化に伴って受験中心のサービスだけでは経営が難しいという背景があります。顧客としては、幼児期から受験勉強っぽいことを教えてもらうことは安心にはつながります。もちろん、早く教えてもらえば、早くできるようになります。▪️ しかし、早くできることが、将来の明確な能力差につながるのでしょうか。私は、ここは慎重に考えた方がよいと思っています。1.早くできることと、将来伸びることは別日本の研究者が幼児期の認知教育について先行研究を整理したところ(要するに「先取り学習」に関する研究)、教育プログラムによって認知能力が向上する効果は概ね確認されています。このように早期教育にまったく効果がないわけではありませんが、一方で、その効果が就学後の学習にまで十分につながっていないという研究も複数あります。幼児期に早くできるようになることと、その子が将来も高い能力を持ち続けることは、別の問題なのです。5歳で計算ができれば、その時点では確かに先を進んでいます。しかし、それだけで10年後、20年後の能力まで決まるわけではありません。2.能力は教育だけでは決まりませんさらに、人間の能力には遺伝と環境の両方が関係しています。慶應義塾双生児研究では、青年期・成人期のIQの個人差について、次のような推定結果が報告されています。・遺伝要因 43%・共有環境 30%・非共有環境 27%共有環境とは、同じ家庭で育つ兄弟姉妹が共通して受ける環境です。例えば、家庭の経済状況や家庭内の文化などが含まれます。一方、非共有環境とは、同じ家庭で育っていても一人一人異なる経験です。友人関係や教師との出会いなどが、その例です。もちろん、IQの43%が生まれた時から決まっている、という意味ではありません。▪️ 大切なのは、子どもの能力は、どんな幼児教育を受けたかだけでは説明できないということです。3.脳だけを鍛えるという発想ここで私が参考になると思うのが、解剖学者の養老孟司先生の考え方です。養老先生は、子どもを野外へ連れ出し、感覚を通して自然や現実の世界に向き合わせることを重視しています。私は、この視点が非常に大切だと思っています。そもそも脳は、身体から切り離されているわけではありません。・走る・物を触る・距離や重さを感じるこうした身体と感覚から入ってくる情報を処理しているのも脳です。頭を使うことと、身体を使うことを別々に考えること自体に、無理があるのではないでしょうか。なので、幼少期から受験勉強に時間を費やすことには、かなり疑問を感じています。4.日本の幼児教育も、身体と体験を重視しているこれは養老先生だけの考えでもありません。文部科学省も、幼児期には身体の諸感覚を使い、人や物、自然に直接触れる多様な体験が重要だとしています。日本の幼児教育が本来目指しているものは、小学校の勉強を早く始めることではありません。・自分で動く・感じる・考える・試してみるそうした経験の積み重ねが、その後の学びの土台になっていきます。5.幼児を小さな小学生にしなくてもよい私は、文字や数字に興味を持った子どもに、それを教えてはいけないとは思いません。本人が知りたいのであれば、教えればよいのです。疑問を感じるのは・・・・周囲より遅れないように・小学校で有利になるように・将来の受験に備えるために・・・と、大人の側がどんどん学習開始年齢を下げていくことです。早期教育には、その時点で子どもの能力を伸ばす効果があります。しかし、それが将来の明確な差になるとは限りません。先に知識を詰め込むより後から知識を吸収できる土台をつくる私は、幼児教育ではこちらの方が大切なのではないかと思っています。解剖学者の養老孟司先生が繰り返し指摘してきたように、人間は脳だけで生きているわけではありません。身体があり、感覚があり、その身体で現実の世界と関わりながら脳も育っていきます。幼少期なら尚更のこと、知的活動よりも、体を動かすことで体力をつけ、体を大きくすることできるので、それに伴って脳の発育も促されます。幼児を「小さな小学生」にする必要はありません。小学校の勉強は、小学校に入ってからでもできます。幼児期には、先へ進むことより、これから長く学んでいける土台をつくること。私は、そちらを大切にしたいと思っています。参考資料・幼児期の認知教育に関する研究レビューJ-STAGE ・慶應義塾双生児研究J-STAGE ・養老孟司先生による子どもと自然についての文章日本解剖学会 ・幼児教育に関する資料文部科学省
- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com特進アカデミーのYouTubeチャンネルの案内です。今回の新たに追加した動画シリーズは「暗算のスピードチャレンジ」です。特進アカデミーの動画は一味違います。AI(ChatGPTやGeminiなど)に 動画のURLを入力し、自分好みの類題を簡単に自動生成できるように作ってあります。ただ動画を見るだけの受け身の学習から卒業し、AIをフル活用した新しい勉強法をぜひ体験してください。特進アカデミーのYouTubeチャンネルが目指すのは、「高価な参考書が不要になる」学習コンテンツの提供です。これからもどんどんコンテンツを追加していきます。何冊も教材を買い揃える代わりに、当チャンネルの動画とAIを組み合わせて、オリジナルの学習環境をデザインしてほしいと考えています。「AIをもっと使いこなして効率的に勉強したい!」と思った方は、ぜひ特進アカデミーで本格的に学んでみませんか?無料体験はこちらから
習っていないからできませんという子どもたち子どもたちに勉強を教えていると、少し難しい問題や、まだ習っていない問題が出た途端に、できないと言って手を止めることがあります。特に過去問を解こうと提案すると、まだできないです習っていないところはできませんと、できないことを強く訴えてくることがあります。私はそんなとき、できなくていいんだよ。どうできないのかを確かめることも大切なんだよと伝えます。すると少し安心して、問題に取り組み始めます。問題なのは、できないことではない私が問題だと思うのは、できないことそのものではありません。分からないから考えないできないから取り組まないという姿勢です。その背景には、正解できないのはダメ間違えたらダメできないのは恥ずかしいという意識があるように感じます。学校や家庭で、点数や正解数による評価を繰り返し受けるうちに、学ぶことよりも、間違えないことを優先するようになってしまうのでしょう。一度伝えただけでは、なかなか変わらない興味深いのは、その場では納得しても、別の日になると、また同じように、できません習っていませんと言うことです。それを見ると、できないことは恥ずかしい、できないのはダメだという意識が、かなり深く刷り込まれているのだと感じます。私が塾で、分からないことは悪いことではないと伝えても、また元に戻る。その繰り返しです。特に成績が低い生徒ほど、この傾向が強いように思います。意識を変えるまでに、長い場合は数年かかることもあります。学習とは、分からないことを学ぶこと私は、学習とは正解することではなく、分からないことを学ぶことだと考えています。分からないから考える。間違えるから、どこが違ったのかを確認する。そして、自分の考えを修正する。この過程そのものが学びです。間違いは失敗ではありません。自分がどう考えていたのかを知るための材料です。少しずつ、不安を処理できるようになる長く塾に通っている生徒は、少しずつこの意識が薄れていきます。分からない問題が出ても、以前ほど不安にならない。間違えても、必要以上に落ち込まない。評価されることへの不安も、少しずつ自分で処理できるようになります。私は塾で、間違ってもいいから、どんな答えになるか予想してみて、間違っていたら修正すればいいと繰り返し伝えています。大切なのは、最初から正解することではありません。分からなくても考えてみること。できなくても取り組んでみること。そして、間違えたら考え直すこと。私は、こうした学ぶ姿勢を身につけることこそ、教育の基本ではないかと考えています。
なぜ学歴差別だけは許されやすいのか先日、興味深い動画を見ました。なぜ学歴差別だけ炎上しないのか、というテーマを扱った動画です。動画はこちら 人種や性別、出身などを理由に人を見下せば、当然ながら差別として問題になります。ところが、どこの大学を出たのか偏差値はいくつだったのか高卒なのか、大卒なのかといった学歴による評価については、比較的当たり前のものとして受け入れられているように感じます。1、学歴は、その人の価値ではない私は塾で長く生徒を指導していますが、学歴そのものを否定するつもりはありません。ただし、学歴がその人の価値を表しているとは考えていません。試験で測れるのは、人間が持っている能力のほんの一部分だからです。勉強が得意な人もいれば、人と話すのが得意な人もいます。ものを作ることが得意な人、身体を動かすことが得意な人、人を支えることが得意な人もいます。それを一つの偏差値や学校名だけで並べてしまうことには、やはり無理があります。2、受験は目的ではなく、制度として利用する私は受験指導をしていますが、受験そのものを積極的に勧めているわけでもありません。受験は、あくまで今の社会に存在する制度の一つです。必要であれば、その制度を上手に利用すればよい。大切なのは、ただ高学歴を目指すことではありません。自分は何が得意なのかどんな環境なら努力を続けられるのかどんな生き方をしたいのかを考えながら、自分に合った道を探すことだと思っています。無理をして誰かの価値観に合わせるよりも、自分に合った場所を選んだ方が、長く努力を続けることができます。結果として、その方が本人にとっても持続可能な生き方になるのではないでしょうか。学歴は、その人を説明する一つの情報ではあります。しかし、その人の価値そのものではありません。だからこそ、学歴を理由に人を見下したり、人間としての優劣まで決めたりすることは、やはり容認すべきではないと私は考えています。もっと詳しい内容はメルマガでこのテーマについては、教育、受験、これからの時代の学び方という視点から、メルマガでもう少し詳しく書いています。興味のある方は、ぜひメルマガにもご登録ください。メルマガに登録する
以前の記事で、私たちを取り巻いている環境には、人間の思い通りにならないものがたくさんあるという話をしました↓『子供たちとの会話から考える「脳化社会」』理科の生物分野を教えるとき、私は塾生たちに、必ずいくつかの質問をします。森の中に入ったことがあるか。虫取りをしたことがあるか。野生の動物を実際に見たことがある…ameblo.jp先日の熊本での地震。自然災害は人間の思い通りにならない典型的な出来事です。私たちは都会のような暮らしをしていると、その自然について忘れてしまうことがあります。教育について考える子どもは自然である思いどおりに育てようとする教育への疑問私たちは、子どもに対して、勉強をさせれば、成績が上がるはず良い学校に入れば、将来は安心できるはず正しい子育てをすれば、理想的な人間に育つはずと考えがちです。しかし、本当に子どもは、大人の思いどおりに育つのでしょうか。私は、子どもは自然と同じような存在だと考えています。都会は人間の頭の中を形にしたもの現代社会は、ああすれば、こうなるという考え方によって発展してきました。道路や建物、鉄道、商業施設など、都会にあるものの多くは、人間が目的を持って計画し、設計したものです。その結果、私たちの生活は便利で安全になりました。一方で、木々、草、川、沼、虫、動物など、人間の計画どおりに動かないものは、邪魔なもの、扱いにくいものとして排除されやすくなりました。自然を管理し、思いどおりに動かそうとする考え方が、当たり前になっているのです。子育てにも入り込む管理の発想この発想は、子育てや教育にも入り込んでいます。勉強をさせれば、学力が上がる。塾に通わせれば、志望校に合格できる。進学校に入れば、良い人生を送れる。そのように考え、子どもを一定の方法によって、望ましい結果へ導こうとします。もちろん、勉強や教育に意味がないわけではありません。学ぶことで知識が増え、適切な指導によって能力が伸びることもあります。しかし問題は、この方法を使えば、必ずこの結果になると考えてしまうことです。子どもを一人の人間ではなく、操作すれば結果が出る対象として見てしまうのです。学力や学歴は人生の価値なのか経済学者の成田悠輔さんは、米国の選抜高校に進んだ生徒と、わずかな点差で別の高校に進んだ生徒を比較した研究を紹介しています。両者はもともとの学力が近いと考えられますが、その後の学力などには、大きな差が見られなかったとされています。進学校に入ったから優秀になったというより、もともと学力の高い生徒が進学校に集まっていた面が大きいのではないか、ということです。この結果を、すべての学校や生徒にそのまま当てはめることはできません。しかし、偏差値の高い学校に入ることが、その人の人生を決定するわけではないという点は、考える必要があります。学力や学歴は、人生に役立つ要素の一つです。しかし、それは人間の価値そのものではありません。良い学校に入れれば、良い人生になる。勉強をさせれば、将来は安泰になる。そのような考え方によって、子どもに過度なプレッシャーを与えていないか、私たちは見直す必要があります。子どもは設計図どおりには育たない自然の川は、堤防やダムによって、ある程度管理することができます。しかし、大雨や雪解け水によって、予想を超える流れになることもあります。森や海、生き物も同じです。人間が完全に支配することはできません。子どもの成長も、それによく似ています。学ぶ環境を整えたり、生活習慣を教えたり、必要な支援をすることはできます。何に興味を持つのかどの分野で力を発揮するのか誰と出会うのかどのような道を選ぶのかそのすべてを大人が決めることはできません。子どもは、大人が設計図どおりに組み立てる製品ではないからです。大人の役目とは何か子どもは自然なのだから、何もしなくてよいということではありません。ある程度の「手入れ」は必要です。危険から守り、生活習慣や基礎的な学力を身につけさせることです。ただし、環境を整えることと、成長の形を決めることは違います。植物に水や光を与えることはできても、どの方向に枝を伸ばし、いつ花を咲かせるかまで決めることはできません。子どもも同じです。大人や先生の役目は、理想の形を押しつけることではありません。その子が何に関心を持ち、何が得意で、どのような環境で力を発揮するのかを見つめることです。そして、子ども自身が自分の能力に気づき、それをどのように伸ばしていくのかを、一緒に考えることです。子どもは、管理し、完成させる対象ではありません。子どももまた、思いどおりにならない自然の一部です。その事実を受け入れるところから、本当の教育が始まるのではないでしょうか。
中国のとあるテック企業が開発したデジタル黒板。数学の問題を理解するのに、これは便利です!とにかく下のYouTube動画を見てください!AI smart blackboard showcased at WAIC 2026At the World Artificial Intelligence Conference (WAIC) 2026 in Shanghai, Chinese tech company iFlytek unveiled its latest AI Smart Blackboard, powered by its...www.youtube.com先生が学校の授業で使うには、本当に素晴らしいデバイスだと思います。これに近いものは、すでに中国の学校では取り入れられていますが、これはもっとハイテクになった感じですね。日本の学校は、未だに先生が黒板にチョークで、でっかい三角定規と分度器を使って、グラフを描いてるのでしょうか?特進アカデミーでは、もうさすがにそれはやってません。簡単なグラフの説明なら手書きでもいいですが、しっかり教える時は、AIで正確な図を書き出しています。さらにこの動画のように、図形を自分の手で動かして確認できるようなアプリを即席で作ることさえできます。手書きの図だったり、参考書に描かれてある「動かないアナログな図」を見ても、よく理解できな事があります。ですが、図形アプリを使って図を回転させたりして、いろいろな角度から見られるようにすると、イメージがとても湧きやすくなります。やはりリアル感がないと、記憶もなかなか定着しないですから、自分で図形を動かせると別次元の学びができますね。この動画の黒板の機能は、AIにとってはそれほど難しいプログラミングではなさそうですが、アイデアが素晴らしいですね。私も頑張れば同じようなものを作れそうです。特進アカデミーAI部門「AIイノベ塾」のHPが新しくなりました↓
特進アカデミー YouTube中学国語文法シリーズが完成しましたYouTubeとAIで学ぶ、新しい勉強法特進アカデミーのYouTubeチャンネルに、中学国語文法のシリーズ動画が完成しました。第1回の動画はこちら動画を視聴する 解説・例題・問題で理解するこのシリーズは、次の流れで学習できるように作っています。1 解説で基本を理解する 2 例題で考え方を確認する 3 問題を解いて定着させる 動画を見るだけで終わらせないこのシリーズのもう一つの特徴は、ChatGPTやGeminiなどのAIと組み合わせて学習できることです。AIに動画のURLを伝え、動画の内容をもとに問題を作ってもらうことで、見る学習から、考えて答える学習へ発展させることができます。AIへの指示例この動画の内容から確認問題を作ってください一問ずつ出題してください間違えた問題と似た問題を作ってくださいAIは使い方が大切ですAIは、答えをすぐに聞くためだけに使うものではありません。問題を作らせたり、間違えた原因を分析させたりすることで、学習効果を高めることができます。特進アカデミーでは、塾生たちにAIの操作方法だけでなく、勉強に役立つ使い方を教えています。私の体感でも、AIを上手に使っている生徒は、記憶の定着がよく、学習の進み方も速いです。YouTubeとAIを組み合わせた学習へ動画で学び、AIで問題を作り、自分の弱点を見つけて復習する。この学習方法が、これからのスタンダードになると考えています。特進アカデミーでは、AI学習の無料体験授業も行っています。AIを勉強にどう使えばよいか分からない方は、ぜひ一度体験してみてください。
理科の生物分野を教えるとき、私は塾生たちに、必ずいくつかの質問をします。森の中に入ったことがあるか。虫取りをしたことがあるか。野生の動物を実際に見たことがあるか。すると、都会で育った子どもほど、「ほとんどありません」という答えが返ってきます。これは、子どもたちが悪いわけではありません。身近な場所に自然がなければ、自然と触れ合う機会が少なくなるのは当然のことです。■札幌にも自然があふれていた頃私は札幌で育ちました。今でこそ札幌は大きな都市になりましたが、私が子どもの頃は、今よりもずっと身近なところに自然がありました。夏になれば、セミがやかましいほど鳴いていましたし、夜になると、カエルの鳴き声があちこちから聞こえてきました。少し山や水辺に入れば、ザリガニやエゾサンショウウオ、川カジカがいました。トンボやチョウも、さまざまな種類が飛んでいました。ヘビ、キツネ、エゾリス、キツツキ、カッコウ。ごくまれに、ヒグマの話を聞くこともありました。人間の暮らしのすぐそばに、たくさんの生き物がいたのです。しかし、開発が進んだ現在では、山の虫や水辺の生き物を見かけることが、ずいぶん少なくなりました。そんな昔の話を塾生たちに聞かせると、ときどき、こんな言葉が返ってきます。「虫とか動物って、邪魔じゃないですか?」「それって、必要なんですか?」その言葉を聞くと、私は少し残念な気持ちになります。同時に、「ああ、やはりそう感じるのか」とも思います。■自然の大切さを知識として学んでいても学校でも、自然や生態系の大切さについては教わっているはずです。しかし、自然について知識として学ぶことと、実際に自然に触れることは、同じではありません。土の匂いをかいだことがある。虫に驚いたことがある。川の水の冷たさに触れたことがある。そうした経験がほとんどなければ、自然がどのようなものなのかを実感することは難しいでしょう。これは、子どもだけの問題ではありません。多くの大人にとっても、自然は、「よく分からないもの」「扱いにくいもの」「思い通りにならないもの」として捉えられているのではないでしょうか。■都会から取り除かれていくもの都市の中を見ていると、そのことがよく分かります。大きな木があると、落ち葉が増えて困る。石ころや雑草があると、邪魔だと感じる。公園では草が短く刈られ、落ち葉もきれいに片づけられます。空き地に雑草が生えていると、管理が行き届いていないとして、所有者に苦情が入ることもあります。もちろん、安全や衛生、暮らしやすさを守るためには、一定の整備や管理が必要です。すべてを自然のままにしておけばよい、という話ではありません。しかし、私たちはあまりにも簡単に、「人間にとって都合が悪いものは取り除く」という発想に傾いてはいないでしょうか。自然を取り除き、土地を平らにし、家や道路、ビルを建てる。そのような大人たちの行動を子どもが日常的に見ていれば、「自然は必要のないもの」「自分たちの生活とは関係のないもの」と考えるようになっても、不思議ではありません。■なぜ自然を自分と切り離すのかでは、なぜ私たちは、ここまで自然に手を加えるのでしょうか。場合によっては、森や川、生き物の暮らす場所を壊してまで、自分たちにとって都合のよい環境をつくろうとします。私は、この背景には現代の教育や社会の価値観も関係していると考えています。現代社会では、理屈で説明できるもの、効率を高められるもの、情報として整理できるもの、利益につながるものが重視されます。一方で、人間の思い通りにならない虫や動物、森、川、海などは、「人間とは別のもの」「扱いにくいもの」「必要性の分からないもの」として切り離されがちです。自然と自分の暮らしが、どこでつながっているのか。そこまで考える機会が少なくなっているのではないでしょうか。私は、そのことを象徴している言葉の一つが、環境問題という言葉だと思っています。もちろん、環境問題という言葉そのものが悪いわけではありません。環境を守るために必要な言葉でもあります。ただ、その言葉の背景には、「人間がいて、その周囲に環境がある」という考え方が含まれています。つまり、人間と自然を分けて捉えているのです。しかし、本来、人間は自然の外側にいる存在ではありません。私たち自身も、自然の一部です。■食べたものが自分の体になるそこで私は、子どもたちに、こんな質問をします。「田んぼのお米も、畑の野菜も、全部自分たちの体になっているんだけど、分かっている?」すると最初は、多くの子どもが、「何のことだろう」という顔をします。私たちの体は、最初から今の大きさだったわけではありません。始まりは、肉眼ではほとんど見えないほどの小さな受精卵です。そこから数十キログラムの体へと成長していきます。では、その体をつくった材料は、どこから来たのでしょうか。言うまでもなく、私たちが食べてきたものです。田んぼで育ったお米。畑で育った野菜。海で取れた魚。家畜から得られた肉や卵。それらが消化され、吸収され、私たちの血液や筋肉、骨、皮膚になっています。つまり、田んぼのお米や畑の野菜は、将来の自分の体になるものなのです。この話をすると、子どもたちはハッとします。食べたものが自分の体になっていることは知っていても、その意味を深く考えたことはなかったのでしょう。■米や野菜を育てているのは誰か次に私は、お米や野菜がどのように育っているのかを説明します。作物が育つためには、土と水、太陽の光が必要です。そして、土の中に養分がなければ、作物は十分に育ちません。その土壌を支えているのは、菌類や微生物、虫などの小さな生き物たちです。落ち葉や動物の死骸、排せつ物などが分解され、再び土の養分になっていきます。その循環の中で、植物は育っています。もちろん、農家の方々の知識や技術、日々の努力がなければ、私たちは安定して農作物を手に入れることはできません。ただし、人間が何もないところから米や野菜をつくり出しているわけではありません。人間は、土、水、光、微生物、昆虫などがつくる自然の仕組みを利用しながら、作物が育ちやすいように管理し、手助けをしているのです。自然の力がなければ、どれほど優れた技術があっても、食べ物をつくり続けることはできません。■食べ物はスーパーで生まれるのではないしかし現代では、お米や野菜がどのように育っているのかを、あまり意識せずに生活することができます。特に都会では、田畑や生産現場を見なくても、スーパーやコンビニに行けば、いつでも食べ物が並んでいます。そのため、食べ物がどこから来たのかを考えなくても、日常生活が成り立ってしまいます。もちろん、子どもたちが本当に、「食べ物はスーパーでつくられている」と信じているわけではありません。しかし、実感としては、それに近い状態になっているのかもしれません。畑で何が起きているのか。天候によって収穫量がどう変わるのか。どれほど多くの人が生産や運搬に関わっているのか。そうした過程が見えないまま、完成した商品だけが目の前に現れるからです。■頭の中でつくられたものに囲まれる社会都会は、人間が頭の中で考え、設計したもので埋め尽くされています。道路、建物、信号、電車、コンビニ、スマートフォン、インターネット。その多くは、「ああすれば、こうなる」という人間の計画によって動いています。ボタンを押せば電気がつく。注文すれば商品が届く。蛇口をひねれば水が出る。お金を払えば食べ物が手に入る。こうした環境の中で暮らしていると、世の中のすべてが人間の計画どおりに動いているように感じてしまいます。そして、計画どおりに動かない自然は、「不便なもの」「効率の悪いもの」「邪魔なもの」として見られやすくなります。このように、人間が頭の中で考えたものによって社会が覆われ、現実の身体や自然とのつながりが見えにくくなっていく状態。これが、養老孟司さんのいう脳化社会という考え方です。■都会は都会だけでは生きられない都会は、それだけで独立して存在しているわけではありません。地方でつくられた米や野菜、肉、魚が運ばれてくることで、都会の生活は成り立っています。水や電気、燃料なども、都市の外側にある自然や施設によって支えられています。もし、その供給が止まれば、都会の機能は短期間で大きく揺らぎます。しかし、普段の生活の中では、そのつながりを意識する機会がほとんどありません。そのため、都会だけで社会が完結しているかのように錯覚してしまうのです。虫や微生物、土や水、農村や漁村。一見すると自分の生活とは関係がないように見えるものが、実は私たちの命を支えています。自然は、人間の周囲に置かれた飾りではありません。私たちは、食べること、呼吸すること、水を飲むことを通して、今この瞬間も自然とつながっています。■思いどおりにならないものを学ぶ意味「ああすれば、こうなるはずだ」その考え方は、科学や技術を発展させるうえで、とても重要です。しかし、現実の世界には、人間の思いどおりにならないものも数多く存在します。生き物、自然、身体、そして人の心も、その一つです。自分の考えが及ばないものを無視したり、思いどおりにならないものを排除したりする姿勢は、自然との関係だけに現れるものではありません。私は、この問題が現代の教育のあり方とも、深く関係していると考えています。そのことについては、また次回、考えてみたいと思います。