解釈の中での可能性 | 扉への道

扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る
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外世は本物なのかとカリカリ梅の話で書きましたが、正解であり間違いなのです。

答えは過去のブログにも書いてあるので同じことを書いているが、外世は幻想で映し出されたものに過ぎないし、私たちの個々の解釈によって作られている曖昧な世界ではあるが私たちが見える範囲での物質の振動によってそこに有ると認識でき本物と解釈できる―――――――ですから、本物であり幻想であるのです。

私たちが見える範囲はとても狭くその範囲だけをとって本物と勘違いをしてしまう―――――もっと範囲を広げることで「この世は私たちの解釈によって創られているとても曖昧な世界」と気づくことが出来るのです。

気付きが起きることで解釈が広がり全てが見え可能性が無限に私たち自ら創造できることに安堵し行動が豊かになれるのです。

ここでひとつの。

可能性が広がるとブログで書いていますが、これは全ての道筋が見えると言うこと――――すなわち、自分における「良い」「悪い」が見える(判断してしまう)。
折角、解釈が広がり全てが見えても一瞬にして見えなくなってしまう。

そうならないように、常に空間を知ること、空間に有ると認識することが重要なのです。

私たちは空間「そのもの」で在ると気づくこと――――そして、その気づきののエネルギーを「私」に注ぎ込むのです。






皆様が、常に「いま」に在りますように



    【インフォメーション】
次回は  


3月22日18時30分頃


ツイキャスで生放送で行います。
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