新型コロナウイルスで、いろんなことを学んでいるような気がする。
疫学、医療業界、政治、政治家・・・。
そして、情報の質と量。
NHKの報道は有益に感じるが、重複も多いし、ツマラナイと思う事も。
民法やBSは、坂上忍さんがしたり顔で楽しませてくれたりするが、毎日登場する専門家の生業はよくわからない。
いわんや、おぎやはぎ、をや。小木博明さんに語られてもねw
ネットの情報も、似たような状態。
多くの人にとって、本当に知りたい情報は入手困難であるのは間違いない。
一方、逆の立場で伝える側を考えてみる。
「今が正念場」というメッセージって、使いタイミングを間違うとオオカミ少年。
機は大切だが、慎重過ぎると不満は倍増。「まだか」「遅い」の怒声を浴びることになります。
メッセージの出し方も重要。
回りくどいと伝わらず、簡潔過ぎるとインパクトや背景が伝わらない。
百戦錬磨の総理でさえ「形容詞多すぎ」「言いたいことわからない」「何故を説明すべき」など苦労されているようです。
そもそも彼の問題は、国民との信頼関係の構築を軽んじてきたツケかもしれないが。
いずれにしても、然るべき人にとって、多くの人に広く伝えたいことを拡散することが如何に難しいか。
また、感情というのもやっかいである。
情報を取捨選択しながら実行していく場面になるわけですが、同じメッセージの手洗い動画でも、伝える人によって印象は異なる。
タレントを身近に感じながら手洗いを習慣化。素晴らしいことである。
マスクも然り。
「手洗いとマスク」を多くの人に習慣化できているのは、ひとりひとりの感情。
感情を動かしている発信者には頭が下がる。よいお手本となっている有名人は、厚生労働大臣に表彰されるべきである(笑)
がしかし、めんどうな感情もある。
ある程度、習慣化が広まってくると、周囲が気になる。自分が習慣化しているのに、なぜ、あなたはしないのか。
まずは、手洗い。家族の行動レベルがばらつくと気になる。ダメだしする。そう。身を守るために、当たり前なのかもしれない。
次は、マスク。最初は、密になりそうな時だけマスクをしていたが、マスクがないと入店できないスポットや、散歩だけでも冷たい視線を浴びる経験などを通じて、今や家の扉を出るときには、マスクをするようになってしまった。新聞や郵便物を受け取るのさえマスクが必要だ。
空気を読みすぎているのかもしれないがw
マスク率99%の公園散歩の人々の中にマスクをしていない人がいるとイラっと来る。
犬の散歩をしながら雑談している人達をみて「密」だなと思ってします。
むっむっ、病的なのである。
家にいて、自分に集中していれば、大きな問題ではないはずだが。。。
「手洗い」は家庭内の話が大半だが、「マスク」は実に深い。
パチンコ屋さんのように吊し上げにあうかも、という恐怖が付きまとう。
感情のコントロールは、めんどうである、という話でした。