市民政府論 | 女神★降臨

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「世界一やさしい 日経225先物の教科書」を買って読まないと、と思っていたのだが今月、色々と出費がありそうなので保留…。

ロックの市民政府論を読むことにした。

 

 

 

まだ全部は読んでいない。

第8章の政治的社会の発生についてのあたりまで。

 

この市民政府論は、自由主義/民主主義を根源的に考えたい人にオススメとのことなので読んでみることにした。

大抵の人にとっては「教科書に載っていたあの本」くらいの認識かもしれない。

 

今の所、読んでいる印象としては、以前読んだルソーの社会契約論(とジュネーヴ草稿)と比べると色あせた感覚…。

というのは内容があまりにもキリスト教原理に偏っているから…。

男尊女卑的な主張もウーンだし…。

社会契約論を読んだのは2年前なので内容が、かなりうろ覚えにはなっているけれども宗教に関して言えば、人間を上手く統治する上で役立つもの、といった主張をしていたと思います。

宗教観に基づいて言及するというよりも。

うろ覚えなのでハッキリ言えない部分ある(笑)

ハッキリと内容を覚えている本、うろ覚えになっている本。

どうしてこういう違いが出るんだろうね。

しかし思い返してみれば何度も読んでいる本は覚えているわ…やっぱ読み返しているかどうかの違いなのか。

例えば私、種村有菜さんの初期の漫画とかは割と覚えていると思う。

 

 

 

 

 

↑これとかw

 

種村有菜先生の作品は好きでデビュー作から「満月をさがして」まで読んでたんだよねえ…。

あと「神風怪盗ジャンヌ」はイラスト集も買いました。

イラスト集は当時、カードキャプターさくらも買ってましたね〜。

 

 

 

 

 

どちらも美しく、見応えありでした。オススメ。

やはりバックに花が飛び散る少女漫画が好きですね。

今は、もっぱら夜眠る前に森園みるくさんの「クレオパトラ 氷の微笑」を読むのが、おきまりの流れになっているけれど…。

 

話が大分逸れた。

 

キリスト教は私自身、「奇跡のコース」愛読者なので精神的な意味で、全く馴染みがないというわけではない。

けれども、そうしたニューエイジ的な方向性ではなく、従来の王道的な宗教として受け継がれているキリスト教は好きじゃないし、聖書は差別的表現多数で引っかかる。

差別的表現多数というあたりで、そもそも「好きじゃない」という感情的な域とは別の次元の話になるよね。

そうした差別的な認識と特定の宗教観に基づいたシステムは、やっぱり時代遅れだと思う。

ただ差別的な認識を単純に時代遅れだと言うべきではないように感じる。

 

今、特に焦点が当てられている黒人差別だって「時代遅れ」で片付けられる話ではなく、今なお起こっている問題なのよね。

今の時代ですら起こっている。

今も、そういった差別意識が根強く残っているのだな。

だから「差別的な認識に基づいたシステム」は時代遅れだけど、「差別意識」は今もなお根付いているもの。

もし「差別なんて、ここでは感じられないけどなあ」と思うなら、差別に対して理解がないだけ。

当事者のことを理解していない。

 

社会契約論を読んだ時にも、ある種の時代遅れ感を感じたけれども、それは物理的な制限から見た時代遅れ感が強かったので色あせた印象は残っていない…私の中で、その他のことが印象に残っていないだけかもしれないけどね(苦笑)

 

ただ色あせた部分は色あせた部分として脇に置いて、国家が私たちに、どういった影響を与えるのか原点に戻って知りたい/考えたいのであれば読んでおいても良いのかもしれない。

「かもしれない」程度の発言しか出来ないのは現時点で私が十分な知識を得られていないから。

十分な知識を得られていないと感じているので本を読むわけです。

で、ならどうして、ここで、わざわざ文章にするのかというと、私自身の星が持つエネルギーを昇華したいからです。

これは何度も、このブログで書いていることですね。

 

運が良い人って自分の星を、きちんと使いこなせてるんですよ。

代謝が良いってことですよね。

食べても出せなきゃ詰まります。

詰まれば病氣になります。

 

読書も、そういう部分ありますよね。

読むだけ読んで知識を詰め込んでも、出さなきゃ持ち腐れる。

その知識を使って、どう生きるかが重要なのだと思います。

 

しかし最近は、あまりにも古典的な本ばかり読んでいるので

 

「これ読んで自分自身に、どの程度役に立つのかな…」

「今の社会をより良くするための知識として、どの程度役に立つのかな」

 

という疑問が、ふつふつと湧いています。

 

市民政府論を読む前にカントの「永遠平和のために/啓蒙とは何か」を読んだけど、こっちもキリスト教色は強かった。

といってもニューエイジ的な視点と重ねて考えられる部分もあったので、そこまで氣にならなかったけれどもね。

 

私が思うのは、これらを読んで、どの程度、現代で生かせるのだろうという…。

疑問だよね。

 

一応、次は先物の本をのぞいてw

ルソーの「人間不平等起源論」を読むつもりではいるけど、どの程度、読む価値ありなのだろう…。

 

先物の本は読む価値ありです(笑)お金になるので。

 

お金になる

自由とは何かについて考えられる

 

このあたりは自分にとって特に読む価値ありの基準になっているのかな。

 

ここまで「キリスト教原理主義は好きになれない」という話を大分しているけれども実のところ自分自身、以前はもっとニューエイジ的な世界/社会体制を理想としていたのよねえ。

いや、今でも、そういった理想はあるのだけれども…今の人間の精神性では無理だと悟った。

ちなみに私はキリスト教徒ではないが、キリスト自体は好意的に見ている。

マリリン・マンソンも昔、似たようなこと言ってなかったかな。

「神は嫌いじゃないけど、キリスト教は嫌いだ」みたいなことを…。

ブラックメタルの思想も、そういう部分あるよね。

キリスト教が流入してきた時に、土着の信仰を悪魔呼ばわりされたから「自分たちは悪魔教徒だ」と名乗り始めたとか言う流れあたり。

 

こういった流れはvegan界隈でも私は感じる。

「過激派vegan」とか言う言葉ね。

この言葉自体に特別な定義なんてないから、かなり恣意的に使われていると思う。

氣に入らないやつは過激派vegan呼ばわりよ。

 

デモを含め、主張すること自体は何ら過激じゃないでしょ。

 

で、この「過激派vegan」と呼ばれることに対して、veganの人がやけになって「自分は過激派だ」って主張するのは良くないと思うわ。

それは自分自身が過激派であることに、お墨付きを与えることになるし。

他のveganの人まで「過激派」って呼ばれることにもなるわけよ。

そうするとveganismそのものが過激だと誤解されかねない。

なぜなら、主に過激派と恣意的に呼ばれる人たちこそが「搾取に反対する」というveganismのスローガンを忠実に生きている人たちだから。

呼ばれない人たちって、ただダイエットしているような人たちだったりするからね。

プラントベースの。

食生活だけならveganじゃないし。

 

veganismは過激だという印象が強まれば、マジョリティの理解を得るのは、なおさら難しくなると思うわ。

言うまでもないことだけど、マジョリティは無難でいることを好むからね。

中立ぶって無難な発言しかしない連中って私、苦手だわ。大して考えていないだけのパターンが関の山だし。

 

また話が大きくズレたけど、ニューエイジ的な世界について。

以前にも書いたと思うけれどニューエイジのスピリチュアルっていうのは基準として大抵

 

・ハートのワクワクを大事にする

・ポジティブなもの(愛)にフォーカスする

 

の2点があげられる。

つまり、

 

やりたいことだけをやる。

やりたくないことはやらない。

全ての人間の善意を信頼する。

エゴなき世界。

 

という聖人君子しか息をしていないような世界を理想としているわけよ。

 

人が労働をするのは、喜びのためであり、献身のためなので対価をもらう必要はない。

労働は与え続ける愛の形であり、人は存在するだけで価値があるので周囲から愛され、必要なものを与えられる助け合い。

シェアすることは喜びなので自分だけが物を独占することはない。

富とはシェアすることで生み出されるものである。

なぜなら人は持っていない物を与えることは出来ないからだ。

与えないのであれば、それは持っているとは言えない。

「なくなってしまう」という感覚は欠乏感であり、富とは真逆のものである。

したがって与えることなしに富の感覚を得ることは出来ない。

 

ポジティブなものにフォーカスした世界なので警察もいなければ、軍隊も裁判所もない。

他者を裁くことは、二元性の世界を見ることであり、善悪を生み出すので愛に基づいた世界には存在しない。

防衛は「私は弱く、傷つく存在である」という信念を反映するものであり、痛みにフォーカスするものである。

したがって防衛は自ら進んで手放す。全ての人間の善意を信頼します。

 

とまあ理想とか言いつつ、結構な無政府状態が出来上がるわけよ。

私は無政府主義者だったのかもしれない。

 

ルソーもロックも確か統治にあたって(特に絶対君主制において)トップに立つ人間は「天使のような存在でなければ」とか言ってたと思うけど本当にその通りだよね…

 

私に至っては全人類は聖人君子前提の世界を夢想していたからな

 

上に立つ人間だけが天使とかいう生易しい次元じゃないのよ。

裏を返せば、それだけ以前の私は人間の善意を信頼して生きていたわけよ。

20代前半の話ね、これ。

20代まで私、本当に「私の周りの人は嘘つかない」って信じてたからね。

すごいでしょ。

自分自身が忠実に、そういう生き方が出来てたから、そう思えたのよ。

Innocent as dovesだったのよ。

(マタイ10ー16 Be wise as serpents and innocent as doves 蛇のように賢く、鳩のように素直であれ)

 

つまり、私が理想とした世界の中で絶対的な君主は神そのものなんだよね。

神は実在する愛そのものなので。

善意そのものです。

だから「キリスト教色強すぎ」とか言えた立場じゃないかもしれない(笑)

 

 

さて話は変わって。

最近はリスミィさんでの活動に注力しています。

嬉しいレビューをもらっているので、ここでもシェアしますね!

(運営さんからの掲載許可いただいております)

 

 

 

クライアントさんたちの、ありがたいレビューです。

こんな堅い内容のブログでシェアするのもあれですが(笑)嬉しいレビューだったので載せちゃいました。

 

みなさん、本当にありがとうございます。

またいつでも、お待ちしております。

みなさんの言葉、本当に励みになります。

 

占い鑑定を通して癒しを提供する。

それは私が願う鑑定カウンセリングのあり方です。

そして鑑定を通して私自身も癒される。

まさに。労働という愛の形ですね。

愛することで豊かさを受け取っています。

存在するだけで愛される価値のある、みなさんからね…。

 

もっともっと癒しが世界に広がりますように。

そして私が本当に理想としたような世界が、いつか訪れると良いですね。

 

リスミィさんでの占い鑑定は、こちらから、どうぞよろしくお願いいたします。