ミホノブルボンが亡くなりました。
「幻の三冠馬」
「坂路の申し子」
この馬に関しては
改めて語ることがないくらい
皆さんも御存知だと思いますが。
今の僕が
1992年のクラシックシーズンに
タイムスリップしたら
果たしてミホノブルボンにどんな印を打ったか。
現実の1992年日本ダービーでは
16番人気で2着したライスシャワーを狙っていたものの
ミホノブルボンを少し疑っていたために
残念な予想に終わってしまったわけですが。
今の僕だったら
◎ー○の本線で的中できたかなぁ
とぼんやり妄想してみました。
でもやはり
菊花賞では◎ライスシャワーで
ミホノブルボンを再度過小評価したかもなぁと。
ちなみに
デビューから無傷の7連勝目を決めた
ミホノブルボンの菊花賞トライアル(京都新聞杯)は
2200mの距離を2.12.0。
1ハロン平均が12.0秒という
限りなくこの馬の最大パフォーマンスを
引き出すための正確なペース配分で
走った「伝説のレース」だと今でも思っています。
(もちろん実際のラップは多少起伏がありましたが)
「鍛えれば距離が持つ」
という調教方針。
今の競馬の坂路の使い方とは
随分違う気もしますが
「栗東の坂路」を世に知らしめた
最初のスターホースでした。
安らかに。