みちのく<怪談の夕べ>を聴いてきました。
東日本大震災の記録を目的としたせんだい3.11メモリアル交流館は、地下鉄東西線荒井駅直結の施設で、とても便利です。
震災以降、わたしの地元でも、様々な幽霊話がありました。いまも、あります。
それを、不快に思う人もいらっしゃるでしょう。
わたしの知り合いは、閖上で幽霊が出るという話しがでたときに、怒鳴ったことがあります。
そんな道端で迷っているワケがない!と。そんなところでフラフラしてるくらいなら、家族のところに行くはずだ!と。
その幽霊の特徴が、その知人のみつからない家族の特徴にそっくりだったんです…。
ともかく、あるにはあって、そういったお話を採取したり、採取したお話をもとに小説を書いたりする活動があったようです。
今回は、そういったお話の朗読会でした。
司会進行のお三方のコメントも、面白いお話があったのですが、中でも一番印象に残ったのは、阪神淡路大震災のときには、こういった幽霊話は、あまりでなかったこと。
そして、東北では、怖い話としてではなく、伝わっていること。生の世界と死の世界のあわいが、とても曖昧であること、といったお話でした。
ご先祖様と生きる、そういった観念が強いのかもしれませんね。
震災を伝える、記憶する、そういったことの限界を、被災地に生きる私たちも、感じています。
いつまで、被災地なのか?そんなことに迷いつつも……。
いまは、生々しく個人を思い出させる幽霊話しも、いつか、個性はあいまいになり、幽霊という名詞しか、残らなくなる日がくるはずです。
文学として、あるいは、時を経て伝承として、残っていってくれるのならば、そういう伝わり方もありなのだな、と素直におもいました。
伝えていくこと、それが一番大事なことだと思うので。