蝉がミンミンと、くそ五月蠅いこの時期に信玄公まつりのネタであるwおそらく暑くて頭がおかしくなったのだと思う。

 

城マニアになりたくて、はや3ヶ月!(短っ!)絶賛猛勉強中www 野面、打ち込みハギ、切込みハギ、土塁、曲輪に虎口、堀北真希、いや堀切といろいろな城用語を覚え、更に城マニア諸先輩方のコラムや「中嶋卓偉のお城へ行こう!せーの、キャッスル!キャッスル!(TVK)」を見て、城の作りや歴史などを学び、城攻めの妄想をしてる今日この頃…ホント、マジで気持ち悪いw

 
さて、城を学ぶならまずは地元のお城ということで、甲府城(舞鶴城)について調べてみた!山梨県甲府市にあるお城といえば?はい、志村!(山梨県民なら分かるフレーズ)ほとんどの山梨県民は甲府城と答えると思う。自分も職場から近く昔からある馴染みのお城。県外から来県された方もJR甲府駅を降りると目の前にあるので、「山梨県=武田信玄=甲府城」というイメージが強いと思う。というか甲府駅自体も甲府城の一部だったので、言ってしまえば城に着いたようなものである。「8:00発〜特急かいじ、甲府城行きが参りま〜す、黄色い線の内側でお待ち下さ〜い」と新宿駅の駅員さん若しくは中川家の礼二さんに言ってもらいたい・・・。また、毎年桜が綺麗な時期には信玄公(武田信玄)まつりで信玄公役の役者さんが甲府駅前から甲府城まで「出陣じゃー!」と言って進軍するのである。これを見ると誰もが甲府城は信玄公が作ったお城と思ってしまう。
 
しかし実はそうではない、「あれ?甲府城が築かれたのは武田家滅亡後じゃね?」「信玄公のお城って躑躅ヶ崎の館じゃないっけ?」「勝頼公が造ったのも新府城だよね?」と、気付いた人がどれだけいるのか?誰が甲府城を建てたとも知らず、やれ、信玄公まつりでたこ焼き美味しいーと言ったり、信玄公役の松平健さんにうっとりしたりする山梨県民のなんて多いことか・・・今こそすべての山梨県民に問いたい、甲府城作ったのはいったい誰なのか?(チコちゃんに叱られる面白い)
 
甲府城は武田家滅亡後、豊臣秀吉の甥の羽柴秀勝の命で築城を始め、浅井長政・幸長親子にて完成し、徳川時代に柳沢容保によって発展したのだ。つまり、全く信玄公は関係ないのである。多くの人が甲府城の天守台に上り「さすが戦国最強と言われた武田信玄が造ったお城は凄いね!」と褒め称えても、当の信玄公は戸惑うに違いないのである!まるで全く記憶にない人に「久しぶり~元気?」と言われ、微妙な空気になってしまっているのと同じである。郷土史をしっかり伝えるためにも、甲府城の入り口にデカデカと「このお城は武田家滅亡後に築城されたもので、武田信玄とは一切関係ありません」と看板を設置して貰いたい。
 
長々書いたが、何を言いたいかと言うと、知り合いには言っているのだが、信玄公まつりのスタートは躑躅ヶ崎の館にして貰いたいのである。そこから「出陣じゃー!」というのが筋だと思う。逆に甲府駅スタート、躑躅ヶ崎の館ゴールとしたら「凱旋じゃー!」として貰いたい。信濃国で亡くなったと言われる信玄公も帰る家を間違えたら恥ずかしいはずだ!酔っ払って違う人の家に入ったのと同じくらい恥ずかしい行為を甲斐の国の誇りである信玄公にして貰いたくないのであーーーーーーーーーる!!!!!!!

はぁはぁはぁはぁ…ついつい興奮してしまった…失礼…

ついでに言うと、躑躅ヶ崎の館の本来の入り口(大手)は武田神社の東側にある駐車場入り口で、武田通り正面に出てくる橋は後で作ったもの、あと乗せサクサクお揚げで勝負ありなのだ。ちなみに武田神社が創建されたのは1919年、第一次世界大戦でのベルサイユ講和条約が結ばれた年、日本は大正時代なのでけっこう最近なのだ。

子どものお宮参りや七五三で武田神社に行くことがあるので、よく見るようにしているが、遺構がたくさん残っていてとても面白い、全く興味のなかった人に是非見て貰いたい!

以上、信玄公祭りのスタートを変えようのコラムでした!

※内容に間違いがあったらすみません!なんせ仮免中なのでw