郷里を離れ、移住して行く漢民族の中には、人口の稀薄な西部地域の現・四川省や雲南省・貴州省へ移住して開拓農業を営む者がいた。又その一方では都市に移る漢民族もいた。都市へ移る者は農業では生活が出来なくなった為に農業以外の職を求めて出て行くのであった。 続く
郷里を離れ、移住して行く漢民族の中には、人口の稀薄な西部地域の現・四川省や雲南省・貴州省へ移住して開拓農業を営む者がいた。又その一方では都市に移る漢民族もいた。都市へ移る者は農業では生活が出来なくなった為に農業以外の職を求めて出て行くのであった。 続く
日本が横浜開港当時の頃、清国では、台湾を併合した康熙帝(こうきてい・在位1661年~1722年)。文化事業方面で、四書全集の編成という業績を残した乾隆帝(けんりゅうてい・在位1735年~1795年)の清朝全盛期を既に過ぎていた。その当時、漢民族は確実に人口が増加していた。それに連れて、大土地所有者の地主から土地を借りて小作する佃戸(でんこ)も増大していった。だが人口が過密になってくると、充分に土地を借りれなくなる現象も起きてきた。農業労働者として生計を立てる者も増加してしまった。そうなると、郷里を離れて他所の土地へ移住していく者も増えてきた。
続く