「東南アジア」と、いう地名の由来及び地域概念の成立についてであるが、1943年連合国側は「東南アジア総司令部」をセイロン(現スリランカ)に設置した。これは日本軍の南方地域への展開に対する連合国側の反攻作戦の指揮統括が目的であり、この時の指揮権は英国のマウントバッテン提督にあった。その当時、日本軍の進出作戦地域は英国領ビルマ及びマレー、仏領インドシナ、蘭領インドネシア、米国領フィリピンとタイ王国の欧米列強4植民地と1国であったが、それらの地域を全て網羅して呼ぶ総称はまだ存在してはいなかった。日本軍側はそれらの地域を包括する呼称として「南方」又は「外南洋」と、いう言い方を主に用いており、それに対して連合国側は「東南アジア」という呼称を用い始めた。現在のいわゆる東南アジアと呼ばれている地域は、タイ1国を除いては全て、かつて欧米列強の植民地であり、更に日本統治時代を経て現代に至っている。又、東南アジアという呼称そのものは連合国側、つまりは白人種の用いた軍事的表現に由来する。 続く

