「東南アジア」と、いう地名の由来及び地域概念の成立についてであるが、1943年連合国側は「東南アジア総司令部」をセイロン(現スリランカ)に設置した。これは日本軍の南方地域への展開に対する連合国側の反攻作戦の指揮統括が目的であり、この時の指揮権は英国のマウントバッテン提督にあった。その当時、日本軍の進出作戦地域は英国領ビルマ及びマレー、仏領インドシナ、蘭領インドネシア、米国領フィリピンとタイ王国の欧米列強4植民地と1国であったが、それらの地域を全て網羅して呼ぶ総称はまだ存在してはいなかった。日本軍側はそれらの地域を包括する呼称として「南方」又は「外南洋」と、いう言い方を主に用いており、それに対して連合国側は「東南アジア」という呼称を用い始めた。現在のいわゆる東南アジアと呼ばれている地域は、タイ1国を除いては全て、かつて欧米列強の植民地であり、更に日本統治時代を経て現代に至っている。又、東南アジアという呼称そのものは連合国側、つまりは白人種の用いた軍事的表現に由来する。      続く

 

 

中華人民共和国建国70年を祝う国慶節の日に香港では市民に対して香港警察が発砲する事態に至りました。その為香港市民からは香港警察と香港政庁及び林鄭月娥行政長官に対し強い批判が起こっています。しかし、私は個人的に香港警察と林鄭月娥行政長官を大変気の毒に思っています。香港市民と中共政権の間に立たされて、どちらからも責められてとても苦しい立場です。香港市民にしてみれば、自分たちと同じ香港人なのに何故香港人の味方をしてくれないのか!!!?と、思っているでしょう。でも、それが出来ないから苦しんでいるのです。特に林鄭月娥行政長官は辞任したいけれども、中共政権が絶対それを許さない、辛い立場です。あまり両方から責めたてられて、自害しないか心配です。

香港が英国から中華人民共和国に返還されて中国の一部となってしまった現在、香港が中国と完全に袂を分かつには独立するしかありません。ですが、あの人がそれを許すはずもありません。香港が返還された22年前、世界の多くのメディアが、これからは香港が中国化するのではなく、中国が香港化していくと見ていました。実際その時には、その方向へ動いていましたし、つい最近まではそうでした。あの人が皇帝に即位する前までは。

香港返還当時、私は上海で暮らしていました。その頃の大陸は、今よりもずっと自由でした。中共政権を批判する上海人も大勢いました。私はこのまま中国が香港化していくのだなと、のんびり思っていましたし、周りの上海人も同じ様なことを言っていました。今となっては、日本に帰国していて良かったと思います。

香港独立の話ですが、もし香港市民が一致団結して中共政権と全面対決したとしても、香港の人口と面積ではとても太刀打ち出来ません。誠に残念ながら、それが現実です、今のところは。でも、いつまたどんな時代がやって来るかもしれません。実際、中共政権といっても、それは表向きのことで中身は習王朝です。始皇帝の開いた秦朝も、超強硬路線でしたが半世紀ももちませんでした。あの人はもしかして、始皇帝の生まれ変わりかも?と、思う時もあります。