行間を読めるようになるために
始めた読書ですが
向田邦子と林真理子から読み始めました
行間を読むとは、
「文章には直接表現されていない筆者の真意をくみ取ること」をいいます(出典:『デジタル大辞泉(小学館)』)。 一般的には、文章だけではなく会話においても、「相手が言葉では明確に表現していないけれど、伝えたいと思っている意図をくみ取る」という意味でも使われます。
または
「行間を読む」とは、
文章には書かれていないが筆者が本当に伝えたい「隠された意図や意味合いを読み取る」ことを意味する言葉
こんにちは、みやこです。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
近頃は
シワ対策はまあまあ努力次第なものの
筋肉の硬くなりようはなかなか防ぐのは簡単ではなく、未だに腰回りが硬いままの状態で
ストレッチがおすすめと周りから聞いていたもののすぐには取り組む気になれず
やっと、今朝、ストレッチの動画を見ることを始めました。
M君とラインで喧嘩になってから、ごはんデートを3回したものの、すっかりM君に恐れを持っています。
全く理解してもいない相手(わたしのこと)に、ごく近しい関係を5年も続けてきたM君が、得体の知れないものに思えたからですが、
M君がわたしに対して
違和感だらけの言葉の数々を思い出して、
M君が私のことを
『信じていない』
と考えると
今までに言われた言葉に感じた『違和感』が、全て繋がった気がする。
『信じてない』
っていうのは、
『友だち以下』では無いのか?
友だち以上恋人未満
はよく聞くけれど、
『友だち以下』ってなに。
そんな心のまま
M君に対して、自分のなかのぐちゃぐちゃな思いを書き出してみた。
しかしながら、書いて並べてみて、それをM君に伝えるとするとどうもただの不平不満のあげつらねになってしまう。
ならば、いったいわたしはM君に
どうして欲しいのだろう。
(そんなこと自分で分かれよ…)
そんな時、
いつか岩熊コミュニティの、
近頃お嫁入りしたばかりのNっちが
先日の企画の相談会で、岩熊さんにもらっていたアドバイスを思い出しました。
それは
『行間を読めるようになるには、今から年末までにジャンルは問わないけれども、テーマを決めて、50冊の本を読むことをお勧めします』
と言うものです。
わたしは言葉数が少ない方で、その言葉もまた表現が拙く、なかなか思う通り100%を伝えられないので、
この『年末までに一つのテーマ50冊』を読むことができるならば、わたしも変われるのではないかと淡い希望を胸に、M君の話題によく出てくる『向田邦子』と、たまたま目についた『林真理子』を3冊ずつ買って読み始めました。
すると、2冊ほど読み終えた時、なんだか今の『自分』を一般社会はどう見るだろうかと、思えるようになり
M君をわたしにとって『一般社会』だとすると、『こう言ったらM君はこう思うかも知れない』と、言う考え方ができ、
なんか、それまでの何ヶ月も1人で悶々としていたものから抜け出せました。
そして、後日『今度の平日、時間取れるよ』
とM君からの返事に、今度は手土産を持って(会いたくない気持ちはどこかに行っていたのか?)会いに行き、どうにか『1ミリくらい信じてくださいね』と、伝えることができました。
それから、M君との話の流れの中、恨みごとをひとつ、言うこともできました。
(そう言うイヂワルは言わないでねと)
気学では
わたしは寅年なので、八白の中では1番『現状不満型』だそうで。
向田邦子の『春が来た』と『隣の女』を読んだことで、M君の言葉の意味を『自分を見栄っ張りと思ってる』と解釈して、凹んだり、『淫らな生活してると思われてる』と思って凹んだりしたけれど、
いざM君と会ってみると、M君は努めていつも通りで、ごきげんを装い、家まで遠いのに送ってくれました。
(エッチなこともなくて、拍子抜けしてました)
わたしだって、本は読もうとすれば読める。
ただ、ついつい活字を読みこなしてしまいがちなので、機械的にならないよう、もう少し読んでみようと思ったのでした。
50冊読む!と言わないところが自分の甘いところですが。
Nっちありがとうございました😊