2026.08.03から禁酒を開始して6日目、初めての週末を飲まずドライに乗り越え迎えた日曜の朝、私は台所でウェッティに号泣しておりました。

そもそも禁酒ブログなんだから禁酒始めた日から書けよ半端すぎるだろと思われた諸兄諸君には申し訳なく思っております。すみません。

そもそも日記を書く習慣がない私。「たまに見返したりして、あの時こんな事考えてたんだーって思うウフフ♡」みたいな話に触発され、数冊書いたこともあるのですが、「たまに見返し」の「た」のあたりで過去の自分のあまりの情けなさに打ちのめされ、そっ閉じ。

捨てるわけにも行かずしかしもはやページを開くこともできずどうしたらいいものか、日記帳が我が家のリビングでアンタッチャブルな存在と化しています。見るたびにちらっとその中身が脳裏によぎり、いたたまれない気持ちになるのですが、それならば目につかないところにしまい込めばいいかといいますとそれがそうでもないわけで。

目の前にないものは完全になかったことになる忘却検定1級の持ち主ですので、存在ごと完全に忘却し、数年後に何かの拍子で目にしてノーガードで正面パンチを喰らう可能性が高く、チラ見で受ける日々の小さなダメージの蓄積と、忘れた頃にやってくる致死量の恥を比較検討した結果、今日もまたリビングにあるヴォイニッチ手稿から目を背け続けている次第です。(ちなみに友人がこれを「ジョコビッチ手稿」と言っておりました。それはただのジョコビッチの日記です。読んでみたい)

ジョコビッチの話をしているうちに涙も乾き、台所では私の嗚咽のかわりにやかんがシュンシュンと泣いています。おおよしよし、何かつらいことでもあったのかい。話を聞いてあげようね。どうしたどうした、いい子よ、どこか痛いのかい。悲しいのかい。

そう声をかけても、頭(蓋)を撫でても(熱っっっつっっつ!)だめでしたが、火を消したらやかんはあっさりと泣くのをやめました。ずっとつらくてずっと泣いていて、その止め方が分からない。誰の声も届かない、誰に慰めてもらっても止まらない。ずっとずっと、水が全部蒸発して、カラカラに乾いてしまうまで、泣いて泣いて。

スイッチを押して、火を消せばいいだけなのにね。そのスイッチの場所がね、わかんないんだよね。


唐突ですが、私の母は何でも出来てしっかり者でした。その分我も強く頑固で強固なマイルールを持ち、私が母のルールに逆らうことを許しませんでした。私自身、だいぶボケーーっとしていたこともあるでしょうが、学校も部活も結局は母の決めたとおりになりました。そんな母は私によく「お父様(私の祖父)はとても厳しかった、絶対だめだと言われていたけれどやりたかったから登山部に入った」「絶対だめだと言われていたけれど行きたかったからこっそり友だちと出かけていた」と話してくれ、その武勇伝を『だからアンもやりたいなら私(母)に禁じられてもやりなさい、という教えなのだ』と解釈した私が高校卒業後に禁じられていたパーマをかけた結果、母に引くほど大号泣されキレられて、お金を出してくれた父にも類が及び家族ぐるみの大問題に発展した苦い記憶は、あのとき投げられた醤油差しで汚れたお気に入りのストールとともに、今でも鮮明に残っています。忘却検定協会に知られたら1級の資格剥奪の危機ですのでデビルマンの正体同様誰も知らない知られちゃいけない秘密です。

就職して家を出て一人暮らしを始められたのは私の人生における初めての反抗であり快挙だと今でも思っています。家庭内で色々いざこざがあり、そこから逃げ出すかたちでの一人暮らしだったのですが、「あなたは遊びたいから家を出るのだろう」と散々に詰られた挙句「一人暮らしではなく試しにウィークリーマンションに住んでみればいい」とウィークリーマンションを契約されそうになったことも忘れません。(友だちが自分の家の近くの不動産屋にいい物件があったからと「今アンの代わりに不動産屋で話聞いてる!ここ良さそうだよ!」と連絡してきたのも別の意味で忘れられませんが)

長じて今、母は私が母の思うとおりにならなかった部分については、ため息とともに「あなたの人生だしね」と『許容』してくれるようになりました。とはいえ歳も取り、自分の手足が思うように動かなくなると、思い通りに動くべくは私の手足となるわけで、ああしろこうしろここからお金を下ろしてこっちに動かせやっぱり戻せ赤の1が青に、はい田中さん早かった、それではアタックチャンス。


母への愛情はもちろん揺るぎなくあるものの、リビングに置かれたジョコビッチ手稿(ジョコビッチの日記)を見るたび心に積もる小さなダメージ同様、ずっとずっと、なんだか割り切れないようなモヤモヤも心の中にありました。ふとすると、私は母を嫌いなのかもしれないと思ってしまうような、揺るぎないはずの愛情が揺らぐような、そんな気持ちがありました。それが今朝。

お酒を手放して、私の人生の次の章が始まるのだと思いながらやかんを火にかけ、ふと思いました。

手放すべくは、お酒への執着、そして、母への執着だと。

もっと愛されたかった、話を聞いてほしかった、私だって大丈夫、ちゃんとやれると認めてほしかった。

そんな子どもの自分が、シュンシュンシュンとずっと泣いていたのです。

いたーー!!見つけたーー!!インナーチャイルド!!!

あなた、インナーチャイルドっていうのね?私の中のメイちゃんが語りかけようとしましたが、どちらかといえばむしろやツチノコ。ほんとにいたんだ、え、ちょ、待てよ!大丈夫大丈夫、怖くない……ね?

キムタクからナウシカまでを総動員して、ようやく現れたインナーチャイルドと、それからよーーく話をしました。

わかってもらえなくて悲しかったこと、信じてもらえなくて悲しかったこと。一人暮らし初めての夜、さみしくて一晩泣いてたのに、「私(母)は全然子離れできないの、アンは情が薄いからあっさり親離れしたんだけど」と、目の前で親戚に言われたこと。父が亡くなったあと「アンは父親が亡くなったより犬が死んだほうが辛いんですよ」と、目の前で親戚に言われたこと。ずっとずっと愛してるのに、分かってもらえなかったこと。

ほうかほうか、そりゃあ辛かったのう。悲しかったのう。

うんうん頷いて「でもね」そして言いました。でもね。

悲しいことだけど、さみしいことだけど、今まで何年間もずっとずっと分かってほしかったと思う気持ちを、今の母に持ち続けても、今の母に訴えても、それはもう、無理なんだと思うよ。

分かってくれるなら、もうとっくに分かってくれてたはずだもの。

あなたの思う「愛され方」と、母の思う「愛し方」は、かたちが違っていて、

それはどっちが合ってるとか、間違ってるとか、そういう話じゃないんだと思うよ。たぶん。

その気持ちを、持ち続けるなとは言わない。忘れろとも言わない。忘却検定協会にも、内緒にしておいてあげる。

ただね、それを、母にどうにかしてもらおうと思うのは、もう、やめよう。そこは、諦めよう。

小さな子供のままで、今の母にがむしゃらに泣きつくようなことはもう、やめよう。両親がちゃんと育ててくれた、立派なおとなになれた、だからこれからは立派なおとなとして、母と向き合っていこう。

あなたのことは、私が分かってあげる。大事にしてあげる。かわいそうだね、つらかったね、もう大丈夫よって言って、熱くて火傷しそうになっても、頭を撫でて、そして火を消してあげる。


禁酒を始めて6日目、なんとも中途半端なこの日が、私にとってまた一つの区切りとなりました。