またまた更新が遅くなってしまいました。ごめんなさいですm(_ _)m

前回の続きになりますが、北海道の開拓も徐々に進み農業も盛んになります。
馬も洋種馬の交配で大型になり力のある馬が誕生し、鉄器具も外国から取り入れ
馬を使った農耕が広まって行ったようです。

ばんばの子孫かもです。

 
 

北海道の炭坑は明治12年の三笠市幌内炭坑から始まったそうです。

 
この炭鉱も、北海道の発展では重要な歴史だと思います。


この蓄電池機関車は、昭和40年代まで三井砂川炭坑で坑内で採炭された
石炭を運んでいたそうです。
 
 

この後は、ちょっと懐かしい生活用品等が展示されていたので紹介します。

これは、石炭ストーブです。冬の北海道では必需品でした。この頃は石油ストーブ
なんて無かったので、ストーブが赤くなるなるくらい暖かくしていました。
石炭は長時間持つので薪ストーブより楽ですね。 





 一般の家庭にも昔はあったジンギスカンのお鍋です。フライパンのような感覚で
どこの家にもあったと思います。 今では、家庭にあるのが珍しいと思います。

 
 

初期の電気洗濯機です。当時は、高価なものだった思います。
ハンドルの絞り器は、とても便利で楽だった思います。
今は、遠心力で脱水して乾燥も出来るんだから凄いなと思います。
でも、洗濯槽の基本は今も同じかもね^^

  
 
  

このカメラ、昔は何の位の値段だったのかな・・・・・一般庶民が使っていたのかな。
この頃は、カラーフィルムってあったのかな?

 
 



美顔器と書いています。女性用のアイテムですが、蒸気を発生させて
顔を近づけて きっと 何かの効果があったのでしょうね。

 



トヨタパブリカ  1960年代前半に生産された車で、公募により車名決まりました。
当時で40万位でした。排気量は800ccクラスでした。大衆車として販売されましたが
高価な乗り物だったと思います。

 

北海道のスケートの歴史を見てみると、下駄のスケートやゴム長靴を履いて滑る
スケートもありました。


 



この三輪車を見ていると、とても 素朴で哀愁を感じます。

 
 
実は、今回の写真は昨年の4月に北海道開拓記念館から北海道博物館となり
新しくオープンした時のものでした。
そして、アンケートが実施されていたのですが、テーマは
「あなたはヒグマと共存できる」との質問でした。

 
  
紙には 小さな子供からお年よりと色々な世代の人たちの意見が書かれていました。

 


結果は、ご覧の通りですよ。
熊は怖いと思うけど、人を襲うために出没するんじゃないから・・・
住宅街に出没する熊は怖いけど、山の中に居る熊はよいとか・・・・
この時点では、共存出来るが大多数でした。

 


そろそろ帰りの時間になりた。2階からナウマンゾウやマンモスを見て帰ることに
しました。

 

 


2階見た正面玄関、昨年は雪解けが早かったので春の風が流れていました。


 


レンガ造りの博物館は、北海道の歴史にピッタリの建物だと思います。

 


春の雪解けで前庭に置かれていたベンチもすっかり姿を現していました。
3月26日に北海道新幹線が開通し日本列島が繋がりましたが、これも
北海道の新たな歴史として刻まれました。
これからの北海道の歴史が、とても 楽しみですね^^