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わらび餅のブログ

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 どうもお久しぶりです。もう三月ですね。
 以前告知した王羲之展はもう終了してしまったようですが、皆さん行かれましたか?行けた方、行けなかった方、そもそも興味が無かった方。色々いらっしゃると思いますが、できればこういう機会は逃さずに一度見てみることをお勧めします。いい意味で予想を裏切られるようなことに出会えるかもしれませんよ。

 さて、今回は長らく停止していた無常という名の病の続きを要約していきたいと思います。

Ⅴ、無常とは何か
 佐倉の歴博に勤めていたという話から、京都の散歩は歴史を歩くということ。そして、今の京都旅行者は寺で仏像の前を素通りして庭で足を止めるという話。そして、日本文化の精神世界の広がり、日本における無常とは、と話は変わり最後は仏教と心理の関係についての記述で締めくくられます。
 一見話に一貫性が無いように見えますが、全体で見ると整合性がとれているという何とも凄まじい章であります。個人的にこういう話の組立ができる人には憧れますね。お喋りとか講演では一番聞いていて頭に入る話し方だと思っています。
この章の見所は何といっても庭についての考察部分。非常に詩的。ここまで書ける人は作家と呼ばれる人の中にもそういないだろうと思う。そのくらい凄まじい。情景がありありと浮かんでくるような表現です。是非読んでみてください。

Ⅵ、果たして人間は疑う葦か
 日本社会の構造について。前半はいじめ問題と若者宿について。後半は内部告発について述べています。割合としては前半が九割以上で、後半が一割くらいですね。
 ざっくりと申しますと前半では【いじめは若者宿に起因しており、それは元々サモアなどの南方系の風習
である。そして他の地域ではそのようなことがない。これは各社会での人間観の違いからきているのではないか】 ということ後半は【内部告発は日本の組織原理といずれぶつかりあう(これは内部告発が悪いといっているわけでも、日本の組織原理が悪いと言っているわけでもありません)】という内容であります。
 現代社会にとっては色々考えるべきことが多い項目ではないでしょうか。

Ⅶ、悪とは何か
 これは題名通り。悪についての考察です。坂口安吾の堕落論から親鸞まで語り、日本では悪というものについて考えられてこなかった。そして、それは【無】という考え方が原因であると述べられています。二元的な思考を超えて展開される無の思想。たしかに、そこからは悪という考えは出てこないかもしれません。

今回はここまでにしておきたいと思います。残りは近日中にでも。それでは