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5月3日、早朝3時30分。


4時間半のフライトを終え、飛行機からバンコク・スワンナプーム国際空港のボーディングブリッジに降り立つと、


モワ〜〜ッとした、身体全体にまとわりつくような、密度の濃い空気に包まれた。


そう、これこれ。この感覚。

7年ぶりにタイ🇹🇭にやってきた。


すぐに冷房の効いたターミナルビルに入る。

金属類がむき出しで、無機質な印象のスワンナプーム国際空港。7年経っても変わっていない。


↑相変わらず無機質な到着ゲートからの通路

↑これは出発ロビー


早朝のせいか、イミグレーションは空いていた。

両手の指紋と顔写真をとられるのは以前と変わらないが、機械が新しいものになっていて、入国手続きに掛かる時間が短くなったような気がする。


入国管理官のお姉さんにパスポートへスタンプをポン!と押してもらって手続き完了。


荷物をターンテーブルから引き取り、出口へ。時刻はまだ朝の4時過ぎだ。



これから7時発のバスでパタヤに向かう予定だ。しかしバスのチケット売り場もまだオープンしていない。



とりあえず、24時間営業の空港のフードコートに向かう。少しわかりにくい場所にあるけれど、そこは勝手知ったるスワンナプーム空港。迷うことなく到着。


100バーツ(420円)分のクーポン(7年前はホントに紙のクーポンだった。今はQRコードが書かれたカードになっている)を買い、フードコートを一廻りして、チキン入りのおかゆを食べることに決めた。
55バーツ(230円)。
物価高なのは日本もタイも変わらないが、空港内にもかかわらず街中とほぼ同じ価格で食べられるこのフードコートは、とてもありがたい存在だ。

クーポン売り場でカードと引き換えに残金45バーツを受け取り、次に向かったのはこれもマニアックなミニスーパー。
場所がわかりにくくて、一般客はあまり来ない。ここじゃないと、空港内では目的のモノは売っていない、と読んだのだ。

それはライターである。

スワンナプーム空港は2019年に全面禁煙化された。だから空港内のコンビニに行ってもライターは売られていない(と思う)。


実は、スワンナプーム空港に来る前に上海で乗り継ぎをした。

その際、持ち物検査でライターを取り上げられてしまったのだ。

中国では今でも、飛行機に乗るときにライターは持ち込めない。911テロから20年以上経っているのに。


予想通り、このミニスーパーではライターを手に入れることができた。価格は17バーツ(72円)

せっかく買ったけど、また帰りの上海空港で取り上げられる運命にある。

それに空港内は全面禁煙なので、タバコを吸えるのはパタヤに着いてからになる。




「なんかいつもとちょっと違わないか?」

という声がそろそろ出てきそうだ。

『どうして、航空券がくっそ高そうなゴールデンウイークに海外に行ってるの? いつもオフシーズンにしか海外行かないじゃん。らしくないんじゃない?』

『中国の上海経由ってなによ? あんた以前に中国の航空会社の悪口を散々書いていなかったっけ?』



そうなのだ。

今回はいつもの《溜まった休みを使ってタイに行ってきまーす》ではないのだ。



実は、転職が決まった

4/30まで前の会社に出勤してその後有給休暇を消化。

5月下旬から新しい会社に行く。

新しい会社は東京なので、52年間住み慣れた愛知県から転居しなくてはならない。


転居の準備はしなくてはならないけれど、5月にポッカリ時間が空いた。

これは早いうちにタイに行くしかないでしょう!!


でも、航空券高いだろうなぁ…と思っていたら、妻がスカイスキャナーでとんでもない航空券を見つけてきた。

5月2日出発、9日帰着限定なら、諸費用込み4万円で行けるよ!!」


マジか!?


航空会社は中国東方航空(MU)だった。

正直、苦手なんだよな…

最後にMUに乗ったのは15年くらい前になるが、遅れまくるし、機内のトイレは離陸後2時間で使えないくらい汚くなるし、機内食は???なものが出るし、乗客はやかましいし…


同じような日程を他の航空会社で検索すると…

日本航空∶22万円

(大好きな)チャイナエアライン∶9.5万円

ベトナム航空∶8.5万円

ベトジェットなどLCC∶6万円以上


LCCよりはるかに安い。

これは、MUで行くしかないんじゃないか?

途中、不愉快なことがたくさん発生するだろうけど、仕方がない。

この値段で運んでくれるだけでもありがたいじゃないか、と思えるようになってきた。




こうして4月下旬、バンコクに行くことが決定したのだった。