本当にダラダラと書いてますのでお時間のある方だけお付き合いくださいね〜
11月24〜25日
古仁屋から定期船に乗り、約1時間15分。
母の故郷、「請島」が見えてきました。
裏側ですが、いつもはここから家に入ります。
約30年ぶりの家は、すっかり古くなってました。
今回泊まった叔父さんの子供が、T兄さんとY姉さんです。本当のお姉さん、お兄さんみたいに、いつもくっ付いて遊んでいました^ ^
桟橋には、従姉妹のY姉さんが迎えに来てくれました。
荷物があるからって、島の人は車がない代わりに一輪車を持ってきて、それに乗せてくれるんです。
唯一、お店をしている方が軽トラで来ていたので、いくつか荷物を乗せてもらいました。
桟橋近くの待合室に立っている案内板。
母の実家は、請島の中の「請阿室 ウケアムロ」という所です。
スーパーも病院もない不便な生活に、もう殆どの住民は古仁屋の町の方へ移住しています。
学校は、隣の「池地」という所まで、一山越えて行きます。
小中学校で複式学級ですが、最近は子供達がいなくて閉校していましたが、去年から再開したそうです。
でも、その子供達は、地元の子ではなく、親元離れて都会から来た子供達みたいです。
人口は約150人と書いてあるけど、そんなにいないんじゃないかな〜?
↑上の写真の場所は、(これはお借りした違う島の写真ですが〕昔は家の前は、こんな感じの浜でした。
私は、島に行ったら毎日泳いでました。
従姉妹達は、洋服を着たまま泳ぐんです。私だけスクール水着(笑)
16時頃から暗くなる19時ぐらいまで、泳いだり、浜で遊んだり…
子供達だけで泳いでいて、今の私なら、我が子だけで泳がせるなんてしないですけどね(^-^;
なので、誰かが溺れることもありました。私も1回溺れて、従姉妹のお姉さんが助けてくれて、目が覚めたら布団の中だったって事がありましたね〜(笑)
暗いけど、ここを通って〜
家が見えてきました‼️
家の近くでは、96歳になる叔父さんが迎えてくれました。
96歳とは思えないほど、しっかりしていて元気です。
私のことを覚えてくれていましたが、なんと主人の名前、子供達の名前も覚えていて、ビックリ‼︎
母は9人兄弟の6番目で、叔父さんが長男です。
ここは、昔 豚小屋で豚がたくさんいました!
約30年ぶりの家は、すっかり古くなってました。
昔、この井戸を使っていました。
五右衛門風呂。今は使ってないみたい。
この五右衛門風呂、リフォームされて浴室の中にありますが、昔は板で囲っていただけで、ドアもなく丸見えでした(笑)
海で泳いだ後は、そのままこのお風呂に子供達で入ってましたね〜
これに板で囲って、浴室のフロアの代わりが、大きな岩をいくつかくっつけてありました。
家の中に入って、荷物を置いたら、外が明るいうちに、お墓参りへ。
土俵が作られていますが、先日の台風24号で屋根が壊れたようです。
奄美大島は、相撲が盛んで、奄美出身のお相撲さんが多いんですよ^ ^
昔は、この公民館、昼間は保育所になっていましたが、今は小さい子供がいるのかな?
広場では盆踊り大会がありました。
懐かしいな〜
公民館の向かいに墓地があります。
墓地に来た時に、軽トラが止まり、叔父さんが声をかけて来ました。
「あんた、誰ね?」
桟橋で見かけた見知らぬ人は、すぐ島の噂になるんです(笑)
そして、名前を聞かれて母がそれに答えると、叔父さんはにっこり(笑)
だいたいが母の従兄弟や遠い親戚です。
あ、この叔父さんは、一緒に来た叔母の同級生でした。
あと、先ぽどの船で受け取った郵便物を自転車で配達している男性に会いました。
この人からも「あんた、誰ね?」
この人は、母の従兄弟の子供さんでした(笑)
そして、夜は従姉妹のY姉さんの美味しい手作り料理を頂きました♡
叔父さんとY姉さんは、叔父さんの通院もあるので古仁屋にアパートを借りて住んでいて、1ヶ月の半分ずつをアパートとここの請阿室の家を行ったり来たりしているようです。
祖父が99歳で亡くなったので、叔父さんは100歳までは生きるぞ!って言ってました。
昔は畑仕事に豚の世話、自分の船も持っていて豚の競りに出しに行ってました。(私達も古仁屋まで送迎してもらっていました)
小さい頃は、叔父さんのことを本当に頼もしくて何でもできる器用なイメージでした。今はすっかりおじいちゃんになってますが、やはり力強さはそのままです。
島で過ごす夜は、現実から離れた とても静かで落ち着いた夜でした。
そして、ぐっすり眠ってしまい、起きたら母は朝の散歩を終えて、もう動き回ってました(笑)
時間はあっという間に過ぎ、残念ながら帰る時間です。
この日は定期船は16時頃の1便しか出ないため、陸周りで乗り換えて行くことになりました。
丸1日もいられなかったけど、島に行ってよかった。
本当に本当に行ってよかったなと思いました。
船に乗り、手を振る二人の姿がどんどん小さくなって…
乗り物の中で、船での別れが1番辛いですね
よく見とかなきゃ!
そこから、またフェリーで古仁屋へ。
また、従姉妹のEちゃん達が車で迎えに来てくれて、飛行機の時間までEちゃんの家で休ませてもらうことに。
旦那さんは盆栽が趣味だそうで〜
毎日、盆栽好きな方が見に来られるそうです。
釣りや料理や、何でもできる旦那さん。羨ましい〜
お昼もご馳走になり、旦那さん運転で、Eちゃん、M姉さんが奄美空港まで送ってくれました。
本当に何から何まで親切にしてもらい、感謝感謝です❣️
私の仕事の都合で、あまりゆっくりできなかったけど、母も元気なうちに生まれ故郷に帰れてよかったです。
元気なうちに… って、まだまだ元気でいてもらい、これからも何度か行けるといいな。
…と、ここで美しく?記事を終わらせようと思ったのですが、空港でEちゃんと話している時に、船より飛行機がいいけど、お金が高い〜という話になり、
Eちゃんが
「えー?ミルクちゃん、JALのカード作れば片道3500円で行けるんだよ〜
まともな金額払ったの?もったいない!」
と、教えてもらってショックでした
そんな安くで行けるなんて!
この倍以上、払ったよ〜


…と、言う訳で、帰りの飛行機も無事に乗れ(変なハプニングを期待してませんでしたか?w)
鹿児島空港からの高速バスも無事に乗れ、我が家に帰ってきました〜
長いグダグタ記事に最後までお付き合い下さって、ありがとうございました😊
最後に… (え?まだある?w)
島での思い出の写真
従姉妹達です❣️
従姉妹は全部で23人。その中で、島の従姉妹が15人! みんなに遊んでもらいました♡
↑手前の後ろを見ているのが私です^ ^
みんな靴を履かないで裸足で歩いてるんです。
みんなの真似して裸足で歩いてみるけど、足の裏が痛くて痛くて(^_^;)
当時は名古屋に住んでいたので、一応都会っ子?の私は、カルチャーショックなことばかり!
五右衛門風呂、そしてトイレも便器はなく、四角い穴が空いたところに用を足すというポッチャントイレだったんですよ〜
色が白いのが私です(^_^;)
小学6年生のときに、従姉妹達と隣にある木山島という無人島へキャンプに行ったのが1番の思い出です!
奄美大島はハブがいるのですが、木山島にだけハブがいないので、キャンプ場になっているんです。←と、キャンプ場と言っても全く何もない自然過ぎる所です。
でも、実際ハブとは遭遇したことないくらい、人間の前にあまり出てこないみたいです。
今回泊まった叔父さんの子供が、T兄さんとY姉さんです。本当のお姉さん、お兄さんみたいに、いつもくっ付いて遊んでいました^ ^
なんか「昭和の暮らし」ブログになってしまいましたw
(画像を一部お借りしました。)




























