懐かしい福岡の景色に導かれて、TikTokのライブ配信を見るようになった。視聴時間も伸びて、コインを頂いてギフトを投げ始めた。


 そのうちギフトを投げる為に、コインを買うようになった。心の底から配信者を応援するようになり、欲しい物リストにのっている物を購入して送った。


 毎日の生活はその配信者とモデレーターのスケジュールを中心に流れるようになった。


 それでも楽しかったし、投票したり、動画を作って本気で応援しまくっていた。


 配信の中で言葉を交わす仲間もできて、どん底にいた私は少し救われていた。サブスクにも入った。コインもすぐになくなるから、少しずつ少しずつギフトを投げる工夫をする。

 目立つギフトは送れなくて、なんだか悔しい気持ちにもなっていた。


「お金ないから、ご飯食べれない」


 そんな言葉が切なくて、使っていなかったPayPayをダウンロードしてコンビニからお金を入れる。そして、時々ポチ袋でお金を送金していた。一瞬で消えるギフトを投げてなくなるよりも、実用的でいいから……と私は考えていたから。



 ………バカだった。



 景色の配信をする人が、旅行をお勧めする人が、必死で応援している人が。


 私の住む街が好きじゃないと言った。

 その言葉を聞いたリスナーからも同じ言葉がコメントされた。


 ……ショックだった。とても悲しい気持ちになって、モデレーターさんにDMを送った。


「悲しかったです」と。


 私はその気持ちを知ってて欲しかった。ただ、それだけ。


 だが、返ってきた答えはそうではなかった。配信者も人間だから、体調や気分もあるから仕方ないことだと。

 

 そのまま私も返した。

 私も人間だから、体調や気分もありますよと。配信者とフォロワーという関係に上下関係などはないと思っていた。


 フォロワーがたくさんいるから、人を誰も傷つけないように配信をするのは無理なんだそうだ。配信者が自由に発言できなくなると。


 果たして、そうなのだろうか。

 私なら、フォロワーをそんな気持ちにさせてしまったら申し訳なかったなぁーと思うのだけれど。

私はその配信を見るのを辞めることに決めた。そして、ストーリーに短い言葉を添えて投稿すると、モデレーターからDMが届いた。いつもいつも自分たちの動画にはいいね!とコメントをして!という彼らは、私の動画に反応することはなかったのに。


「フォロワーさんを巻き込んでどういうつもり?」


 配信者は自由に発言も動画も出せるのに、フォロワーの私は自由に動画も出せないのかい?ずっと一緒に旅ができると思ってたのになぁー……と残念な気持ちをのせた動画。

 問題があるならば運営から警告や削除されるであろう。私の動画はそんなにひどいのかい?私は自由に発言できないのか。


 ブロックしてやった。

 サブスクも期限は残っていたけれど、そのまま行くのをやめた。やたらといろんな人の配信を見るのもやめた。


 ひとりだけ。

 安心できるところだけ。

 無理にコインも買わない。

 居心地の良いところだけ。


 そしたら、時間に余裕ができた。心が沈んでいるときは、大好きな推しの動画を見る。

 言葉を綴る。

 娘の所に行く。


 要らないものはすぐに捨てよう!