初めて住む街
新たに出会う人たち

わたしがJWであったことは
誰も知らない

仕事中のだれかの会話
 「よくまわってくるよね、宗教の勧誘
  エホバとか」

ただそれだけ
何もそこから発展することもない
そこにいる人々の日常のことば

ドキッとした
わたしは何も言わなかった
日常を紡ぐ話題は当たり前に流れていく
わたしの心が立ち止まっていたことに
誰が気づくこともない





家から家へと宣べ伝える姿
それがエホバの証人のはずなのに

奉仕中のJWらしきと思える人々を
まだ一人も見かけない
ポストにはまだなにも投函されない
王国会館もわたしの前に姿を現さない

唯一見かけたのは
さびれたデパート側にある小さな交差点の片隅で、公の証言をしている婦人たち
一目見ただけでは見逃してしまいそうなほど、なにかひっそりとした雰囲気を感じた


さみしく思えてしまうのは
なぜだろう

熱心に喜びにあふれて
聖書から語るエホバの証人は
どこにいるのだろう

それでも
同僚の放った何気ない一言に
この街でもエホバの証人はよく知られているのだということが分かり


スーパーでカートを押しながらすれ違う仲の良さげな品の良い夫婦や
平日の昼間に激安スーパーとは不釣り合いな服装で買物をしている若い女性を見ては
もしや彼らはJWではないかしら?などと
憶測と妄想を膨らませているわたしがいたり


ここには
わたしを知る人はいない
それなのに
JWの姿を探してしまう自分がいる


まぁね
そんなものなのかも、しれないね





これまでの住み慣れた地とは異なる風習だとか
言葉だとか、季候だとか、人の気質だとか
覚えること、慣れること
その負荷は確かにあって
気が抜けない日々でもあるけれど

そうした違いを楽しんで
日々を過ごす
小さな幸せを見つける
小さな幸せを作りだす

どこに住んでも、誰と出会っても
そうした日常があることの安心感

心が満たされることを感じながら
ロゥとふたり、まったり暮らしてる




海が見えない暮らしなのは
少しさみしいけれど
玄関を開ければ
やがて海へと繋がる一級河川が
目の前に広がる




ランチにいっしょに行ったり
自宅に招いたり
そんなことができる同僚もいる


JWだったわたし、から、やっと
 “元JW” という自分に慣れてきて

今は、もっと自然に

世の人はもう “世の人” じゃない
わたしも、道行くあの人もこの人も
JWも、そうじゃない人も
誰もがみんな、この世の中の人

そこに違いはとくにないって
当たり前に、自然に、そう思う





みんな、お元気ですか?