面会時間の19時を過ぎたので、奥さんと娘さんに別れを告げ我々は病院をあとにした。
それで飯でも食おうと言うことになり、バスですぐの新宿のとある居酒屋に入った。
みんな気分が滅入っていたためか、気がつくと溜め息ばかりで早々に店を出た。
わたしはホテルに戻り、次の日の飛行機で福岡に帰ってきた。
福岡に帰ってきて数日経った頃だろうか、奥さんからメールが入った。
なんと我々が見舞った次の日あたりから肝臓の機能がわずかずつであるが回復してきたというのだ。
一瞬信じられなかったが、もちろん嬉しい知らせだった。
その後定期的に病状を知らせてくれた。酸素マスクは外され、意識もしっかりしてきたということだった。
すぐにでも本人に会いたいと皆思ったのだが、外部感染予防の観点から面会は控えた方がいいという病院側の意向により、もう少し落ち着くまで見舞いは延期しようということになった。
そして前回見舞ってから約40日後の11月15日に、またみんなで見舞いにいった。
そうしたところ、彼は普通病棟の6人部屋に移っており、点滴も受けずに暇そうにテレビを見ていた。
あのまさに死にそうだった男とは別人であった。
我々は握手を交わし、抱擁しあった。
それで飯でも食おうと言うことになり、バスですぐの新宿のとある居酒屋に入った。
みんな気分が滅入っていたためか、気がつくと溜め息ばかりで早々に店を出た。
わたしはホテルに戻り、次の日の飛行機で福岡に帰ってきた。
福岡に帰ってきて数日経った頃だろうか、奥さんからメールが入った。
なんと我々が見舞った次の日あたりから肝臓の機能がわずかずつであるが回復してきたというのだ。
一瞬信じられなかったが、もちろん嬉しい知らせだった。
その後定期的に病状を知らせてくれた。酸素マスクは外され、意識もしっかりしてきたということだった。
すぐにでも本人に会いたいと皆思ったのだが、外部感染予防の観点から面会は控えた方がいいという病院側の意向により、もう少し落ち着くまで見舞いは延期しようということになった。
そして前回見舞ってから約40日後の11月15日に、またみんなで見舞いにいった。
そうしたところ、彼は普通病棟の6人部屋に移っており、点滴も受けずに暇そうにテレビを見ていた。
あのまさに死にそうだった男とは別人であった。
我々は握手を交わし、抱擁しあった。