23歳で夫と離別して出家し、

 

長岡の閻魔堂の庵主となっていた貞心尼。

 

彼女が良寛のもとを訪ねたのは、1827年の夏。

 

当時貞心尼は30歳。

 

 二人の交流を艶めいたもの、と邪推する声は古今絶えない。

 

 

しかし、

 

作家の瀬戸内寂聴は、

 

小説「手毬」で、プラトニックな関係を保ったまま、

 

悟りを開いていく貞心尼の姿を描いている。

 

 

  誘ひて行かば行かめど人の見て

 

       あやしめ見らばいかにしてまし   良寛

 

 

  鳶はとび雀はすずめ鷺はさぎ烏はからす  

 

              なにかあやしき    貞心尼

 

 

一緒に歩けば周囲に怪しまれるかな、という良寛に、

 

仏につかえる身ですから何もやましいことはないと

 

きっぱり答える貞心尼。

 

 

最晩年の良寛と貞心尼の交流は三年半―

 

二人が会う機会はさほど多くはなかった。

 

 

 貞心尼が住む福島の閻魔堂から

 

良寛の庵がある島崎までは、20キロ。

 

途中に塩入峠という難所もあり、

 

冬は峠をこえることは難しかった。

 

 

   ことしげき葎の庵にとじられて

 

       身をば心にまかせざりけり   貞心尼

 

良寛を訪問できない貞心尼は、会いたくとも会えないことを嘆き、

 

 

   梓弓春になりせば草の庵を

 

        とくでて来ませあひたきものを  良寛

 

 良寛は「春になれば会いに来なさい」と呼びかける。

 

 

埋めがたい距離と年齢の差。

 

この障壁を除くものこそが、仏道と歌であり、

 

二人をつなぐ接点だった。

 

 

またね新月満月