昨日のツイッターに引き続いて考えたこと
なぜ「痛みは呼びかけ」なのか―
「痛み」「疼き」とは、そもそもどういうものか?
同じ出来事であっても、ある人にとってはたいへんな苦痛であり、
ある人には解決不可能の問題に見える。
ある事態が、ある出来事が苦痛であるというのは、
その人にとって普通のことではないから。
それまでのやり方が通じなくなったり、
それまでの自分ではどうにもならなとき、
私たちは「痛み」を感じる。
それは肉体的な痛みについても、精神的な痛み、社会的な痛み、
そして最も深いところに生じる霊的な痛みについても同じなのだろう。
つまり、そのままでよいのなら、「痛み」はない。
安心してそれまでのやり方を繰り返せなくなったこと、
それまでの自分を安心して続けられなくなったことが「痛み」の本質。
そしてまさに、その点こそ、
「痛み」が呼びかけであることを示しているといえないだろうか。
「痛み」は新しい感じ方、新しい生き方、
新しい自分を呼び出そうとしている。
つまり、傷みを受け止め、それを切り捨てるのではなく、
正面から引き受けようとするとき、
私たちは同時に、それまでとは違う世界を引き寄せずにはいられない。
人が挫折の中で生まれ変わり、本当の強さを持つことは、
誰もが感じていること・・・
私たちは苦労が人を錬磨し、本質を引き出すことを知っている。
新しい道は、苦しみからしか始まらなかった、といっても過言ではないほどに、
いかなる創造も、矛盾と葛藤を抱えた中から起こってきたもの。
それまで示されなかった解決法の模索は、
「痛み」を引き受けることから始まる。
それにしても、私はずっと模索中だな・・・
またね![]()
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