四月の初め、桜を待つようにして帰天した人がいる。


突然の訃報だった。



その人は、パートナーの後輩にあたる人で、


いつか、お会いする機会があればいいな・・・と思っていた。



私には、笑顔を失った年月があったが


風穴を開けてくれたのが ある年の彼からの年賀状だった。



文面と写真を見るなり、私は思わず吹き出して


涙ながらに笑い転げた。


そして、「ああ、私 笑ってる」と思った。



自分の凍りついてしまった感情に、手を焼いていた私は


あの時、本当に彼には感謝した・・・





昨夜、


余命幾ばくもないことを悟った彼が


自分の葬儀の参列者に向けて認めたあいさつ文が、


葬儀の後に見つかったということで


私も読ませてもらった。




早くに去らねばならぬ無念は胸中に秘めて


感謝と親愛に満ちた清明な文章だった。



参列者の健康と、一人ひとりそれぞれの充実した悔いのない人生を


祈念し、末筆には このように記されていた。


諸事ご多用の折、大変厚かましいお願いであろうとは


存じますが、今後はどうか末永く折に触れて、


私がかつてこの世におりましたことを思い出してくださり、


また、その生あった証しについて何がしでも思い出していただけるものがあり


それについて語り合っていただける機会がありましたら、


私にとってこれに勝る喜びはありません。―




私は彼に心を合わし、


「あのときは、本当にありがとう」といい、


「私も、あなたのような純化された透明な心に至りたい。


あなたのことを、忘れない。」と述べ伝えた。



彼の御霊が魂の故郷で永遠の安息を与えられますように―


光によって導かれますように―




また、明日新月満月