塩入峠―塩法峠とも書く
今はトンネルが貫通して楽に通行できるが、当時は難所だった。
冬は深い雪に閉ざされる。
最晩年を弟子の遍澄に促され、
島崎の木村元衛門邸内庵室に居を移した良寛禅師を貞心尼が訪ったのは
1827年秋のことだった。
福島の閻魔堂の庵主であった彼女はそれからいくたびか、
信濃川を船で渡り、与板から塩入峠を越えた。
与板から島崎の草庵を行き来するには、この峠を越さなくてはならなかった。
「君が宿わが宿分つ塩法の 坂を鍬もてこぼたましものを」
島崎から8キロの与板には、良寛禅師の弟や友人、親戚が多く住んでいたが
訪れるのに難儀をした良寛禅師は、
できることならこの峠を鍬で平らに崩してしまいたいものだ、と歌った。
1828年、与板藩と庄屋によって塩入峠の大改修が行なわれ
通行の便は格段によくなった。
これを喜んだ良寛禅師は感謝を表す長歌を詠んで
この一首を添えた。
「塩之入の坂は名のみになりにけり 行く人しぬべよろづ代までに」
(塩入峠を越えるのは難儀だというのは、もう噂だけのことになった。
その坂道を行く人は、道を通りやすくしてくれた人たちのことを、
いつの世までも感謝しながら思い返しなさい)
きっと、
貞心尼と共に「ありがたいこと」と語り合ったに違いない。
願い続ければ、道は開けます![]()
疲れたら、一休み・・・常に、いつも(^-^)
ご自愛ください![]()
また、明日![]()
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