震災から一週間、原発の危機は続いている。
今朝の新聞で、事故発生当時から今もなお 現場に踏みとどまり
事態の収束に努力する社員やその家族の声を聴き、
ニュースで流される放水のシーンを見守りながら、ふと思い出した物語があった。
子供の頃のことだったか・・・お寺の紙芝居 釈迦が説かれたという「小鳥の歌」
それは、ある森での出来事を通して あきらめない努力の中心にある「人の願い」の大切さを
語られていたように記憶しています。
森とは数多くの多様ないのちが息づく、豊かな生命の場所。
様々ないのちがそのままに、何一つ損なわれず、蔑まれず、大切に育まれ、
生き続ける世界をあらわしています。出来事はそのような静かな森で起こったこと―
ある時、森が焼けた。一か所から火の手が上がって森を包んだ。
樹木は叫び声をあげて炎と化してゆく。 火の勢いは次第に強くなり、静寂だった森は
さながら火炎地獄のようであった。
虎や獅子たちは火事を消し止めようと懸命に手を尽くす。しかし火の手は全く衰えない。
それどころか、一層激しく勢いづいてしまう。
力及ばぬことを知った虎や獅子たちは、ついに諦めてしまう。そして岩影に隠れて
ただただ眺めているしかなかった。
すると、どこからともなく小さな小鳥が火の方に向かって飛んでいくのが見えた。
翼にのせた僅かな水滴を火の中に落とす。遠い水辺と火の森を幾度となく往復する。
巨大な炎に対してあまりに無謀―虎や獅子たちはあきれ、腹立たしげに
「小鳥のお前に何ができるのだ!」と叫んだ。しかし、小鳥は羽ばたきを止めることなく応えた。
「ありがとう。私も自分の力のほどはわかっているつもりです。だけど、私には
私たちの家が崩れていくのをなすがままには出来ないのです。出来るできないではなく、
私はやらずにはいられないのです、限りを尽くして水を注がずにはおれないのです。
私は私たちの森を、守りたい。」小鳥の一心な姿はそのまま小鳥の絶唱であり、
僅かな水滴は祈りでした。それは森のみんなの絶望を照らし、再び立ち向かっていく勇気と
希望をもたらしました。やがて、火は鎮火して、多くの時間はかかりましたが
森は再び豊穣と平安を取り戻しました。
自分の力ではできないようなことでも、それをせずにはいられない、
出来る、出来ないを超えた意志、必死な「願い」の立ち上りをこの危機に立ち向かう方々に
感じている。 どうぞ、活路が開かれますように―
みなさん全員がご無事で家族の元に帰還できますように― ![]()
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