渋谷での事件

我が子が不登校ってことで

この事件が気になってしまう。


救いは、被害者が生きていること。


SNSをみていたら

名前や顔をだせばいいとか

きつめな意見もみるけれど

わたしは、加害者側の気分になってしまう。


加害者の親の立場かな。


想像の範囲だけど

加害者の親と、わたし

そんなに差がないんじゃないか?とおもった。


はたからみると、家族で外出したり

ごく普通そうでないか?

少女は親に反発する感じでもなかったみたい。

うちもそうだよ、子供たちは、たいした反発してこなかったし

そこそこ良い家庭にみえるとおもう。


わりと、子供にきつい言葉あびせてる人

外でもみかけますよね?

外であれなら、家なんかもっとひどいんだろな?

って、みてますが。


あの少女の家庭が

世間一般と外れた感覚の家庭だったとは

おもわないんですよね。


ただ、少女のストレスが加害という形で

最悪の形で現れてしまっただけ。

のような気がする。


不登校で、中3となれば

進学について、親が焦る気持ちもわかるし

学校がむりなら、せめて塾にって

そんな家庭はたぶん他にもあるはず。


本当は行きたくないけど

反発しないで、親にしたがっている子もいるはず。


その限界のときに人は判断を見誤るというか

正常の精神状態ではないので

こんな危うい行動にでてしまう。


母親を殺したいといいながら

見ず知らずの親子を狙う。

自分では気がついていないだけで

本心は、母親が好きだったんじゃないかな?

心の奥底では母に愛を求めていた。


憎ければ、真っ先に母親を狙うでしょ。


目の前にいる親子を自分と母親に投影したんじゃないか?

がわたしの憶測。


もしかすると、目の前の親子は

不登校前の少女と母親だったのかもしれないし

少女の抱く理想の形だったのかもしれない。


だけれども、現実は

母親に似てきた自分が嫌だし

母親も嫌なのである。

そこで、目の前の女性を刺してしまう。


刺された女性は自分の身代わり。

死刑になりたかった=死

少女は消えたかったが、それが出来なかった。

加害という形で

達成しようとした。


だから、あの子は死んだのか?ときいた。