1都3県に出された緊急事態宣言が大阪や愛知など7つの府県にまで出され、対象地域が11の都府県に拡大しています。だれが感染してもおかしくない状況になっていて、本当に怖いなと思っています。

 

 春高バレーとして有名な「春の高校バレー 全日本バレーボール高等学校選手権大会」が10日に男女の決勝戦が行われました。10日と言えば、第29回全日本高校女子サッカー選手権大会決勝が藤枝順心対作陽の間で行われた日でもあります。

 

 その春高バレーの男子の優勝校でコロナ感染が出たことが今日のニュースで報じられていました。

 

 男子で優勝した東福岡高は、14日、バレーボール部の部員、指導者計10人が新型コロナウイルスのPCR検査で陽性と判定されたと発表しました。10日まで東京体育館で行われた第73回全日本高校選手権の男子で3度目の優勝を果たしたばかりでした。福岡に戻った11日に、部員1人が発熱しPCR検査を受けて13日に陽性と判定。残りの部員、指導者も受検し、14日に新たに部員8人と指導者1人の陽性が判明。大会後は全員出校しておらず陰性の23人は濃厚接触者として、25日まで自宅や寮で待機するそうです。

 

 その他にも以前、春高バレー参加校のコロナ感染が報じられていました。大会3日目の7日、前回男子優勝校の東山の選手1人が発熱。メンバー全員が要観察扱いになり得ることを考慮し、大会実行委員会が高松工芸(香川)との3回戦欠場。結局濃厚接触者(スタッフ4人、選手17人)のうち、選手5人が陽性だった(9日発表)。また、郡山女子大付属高バレーボール部の部員ら32人のうち14人が新型コロナウイルスに感染(13日発表)。

 

 サッカーでは、こうした事態が起きませんでしたが、いつ、だれが感染するか本当に分からないというのが実態ですね。相当のリスク管理が求められます。

 

 さて、大宮アルディージャVENTUSに強力な助っ人が2人参入することが発表されました。これまた「ちふれASエルフェン埼玉」からの移籍加入ですが、上辻佑実と田嶋みのりです。ちふれの主力がまたという感じです。ちふれは、一体どうなるんでしょうか。まだ契約更新していない主力選手の動向も気になります。

 

 

 

 今日のテーマは、プロとアマの違いについてです。

 

 なでしこリーグの主要なチームが、WEリーグに参加しプロ化されました。これまでアマチュア選手と言われていた選手の多くがプロ選手になるわけです。プロリーグ発足にともなって、アマからプロに身分が変わるだけとも言えますが、プロ選手としてどうなのかと様々な視点から問われることになるでしょう。それはリーグがスタートしてからだと思いますが、選手の中にはかなり戸惑いを感じる方もいるのではないでしょうか。

 

 プロとアマの違いを定量的に示すものがないだけに、違いを文字化するのはかなり困難だと思います。まして、サッカーを見る側でしか関わってこなかった者には、ほとんど述べることは不可能です。そこで、あの方は「プロとは何か」にどう答えているかということを紹介したいと思います。

 

 女子サッカーのレジェンド、宮間あやさんが、元ジェフユナイテッド市原・千葉の佐藤勇人さんと対談(スポーツオーソリティ 2021.1.9)した中で発言した言葉です。

 

―プロとアマの違いは?

佐藤さん 

仕事としてお金が発生している、その価値を返さなければならないという責任があるという点が一番違うかな。その他色々あるけれど、何をするにも見られているという、行動も発言も、そこが違うかな。

 

宮間さん

自分は(アマとプロと)両方経験しているが、そこは覚悟かなと思っています。プロとしてお金もらってサポートしてもらってサッカーをするので、自分がそこにすべてをかけるという覚悟を持つか持たないかがプロとアマの違いかな。ただアマチュア選手でもその覚悟を持っている選手がたくさんいるのでどっちをと言うと失礼になって嫌なんですけど、自分の行動に責任を持つ覚悟があるのがプロ選手かな。 

 

 

 ついでに、宮間さんの引退についてのコメントがありましたので文字起こししました。怪我で思うようにプレーが出来なくなって引退したのかなと思っていましたが、ちょっと違っていました。そして、引退はやはり2016年だったんですね。

 

―引退を決めたのは?

 4年前です。(岡山湯郷Belleを退団した2016年のシーズン終了をもって引退としたのでしょう。)

 

―(引退を)決意したのは?

 決意というか、半分は流れだったんですけど、覚悟を持つことが、ファンの方にお金を払って試合を見に来てもらって、当時なでしこリーグとはいえアマチュア選手でもチームからサポートを受けていたりとかする中で、責任と覚悟は等しくあると感じていたので、そんな中で自分が信じていたサッカー観というものを自分自身が信じられなくなって離れようと思いました。

 

―ワールドカップで優勝した何年後ですか?

 5年後ですね。

 

―その後(2015年の)ワールドカップがありましたが、やり切った感がありましたか?

 代表の話で言うと、私たち結構長いメンツでやっていて中々次の世代にうまくバトンタッチできていないもどかしさが選手なりにあって、次の年、リオ五輪の予選がホームであって、そこは絶対次の世代の選手が経験しなければいけない場所だと思っていたし、私たちもそのようにして育ててもらったので、2020年東京五輪に向けて絶対に必要なステップだと思ったので、何人かの人にはその方が良いんじゃないかと選手の立場としてはしました。結果切符を取れなかったことも含めて、日本代表に対しての責任は凄く感じました。日本代表って引退ということはなくて、辞退という話しでもないし、選んでもらったら国のために戦う場所だし、ただもう私の力で日本代表のピッチに立つことは出来ないなとはリオ五輪の予選の後は思いました。