夢を見た。そこには森林と水路がありうっそうとしていた。それが、すべての始まりだった。マリは四年近く働いていた会社をリストラされてしまう。金なし、キャリアなし、男なし。未来の展望はゼロだった。どんなものでもいい、何か明るい未来が信じられるより所が欲しかった。そこで知ったのが、奄美大島に多くいるとされている神様〈ユタ〉の存在。マリは押さえられない衝動を胸に、ひとり島へ旅だった。そこでマリが出会った人たちは…。輝く未来とか、美しいものとか、確かにつかめるものが欲しかったわけじゃない。ただあなたに会いたくて。ときに厳しく、ときに優しく、少し不思議な旅物語。あなたに会えた奇跡が、勇気になり、涙になり、喜びになる。大きな決心があったわけし゛ゃない。だけど、この島〈アイランド〉へ行かなければならない衝動を抑えられなかった。神様〈ユタ〉に会いに、私に会いに行く。翌日はアキナさん達の親神様であるアダチさんのところへ出かけていった。アダチさんは、島で最も有名なユタのひとりだった。現在、子ユタ70人以上も抱え、閉鎖的なユタの社会には珍しく、マスコミの取材にも寛容な人だ。ユタにも恋愛相談、健康問題など分野によって得意不得意がいろいろとあるらしく、それでいうと、アダチさんの得意分野は「神の道開き」というものだった。早い話しが「神ダ‐リ」突然始まり、錯乱状態に陥ってしまったユタ候補者に、しかるべき神様を降ろして心身を安定させ、一人前のユタとしての道を開く。そうやってアダチさんに助けてもらってユタになったり、ならないまでも症状を取り除いてもらい、長年苦しんでいた心の病気が治った人も多いという。。厳密に言うと、「神ダーリ」に見舞われた人、すべてが「ユタ」になるわけではないらしい。中には、そうやって神から「選ばれて」しまったにもかかわらず、生活の都合などでどうしても「ユタ」になれず、そのことを延期してもらったり、免除してもらったりする人も中には少なからずいるという。その場合はやはりユタに頼み、その旨神様にお願いしなければならないのだそうだ。私はアキナさんに訊ねた。「そのお願いをしないと、どうなるんですか?」「そうねえ。本人が狂っちゃうか、周りの人間を代わりに持っていかれちゃうかだね」それには心当たりがあった。実は今回のユタ探しの旅に出る前、東京でも何人かの霊能者の女性に会った。しかし驚いたことに、そのほとんどが何故か夫との死別か離婚の経験者だった。アダチさんは御年70歳になる男性のユタだった。おじいさんと呼ぶにはまた゛若い、見るからに人の良いおっちゃんといった感じの人だった。私は部屋に入るとお辞儀をし、30度の焼酎の二合瓶と、粗塩を持って差し出した。アダチさんは焼酎の瓶を神棚に供え、その置きどころを少しずつ調整していたが、やがてこちらに向き直り、前置きもなしにこう言った。「えらく神高い家系じゃね。父方の方はそう大したこれはことはないが、これは多分、母方からのもんじゃね」母は栃木県のS市の出身だった。戦後まだ間もない頃、まだ十歳にも満たない頃に相いで両親を亡くし、年の離れた異母兄に育てられて大きくなった。だから私自身は母方の祖父母について何か思い出話を聞かされた記憶がない。それが神高い家系と言われても、確かめるすべなどない。アダチさんは続けて言った。「この鏡を見てご覧。ろうそくの光がまっすぐ下に届いておるじゃろう。あんたの家系に神様が降りてきている証拠じゃ」見ると、アダチさんが言う通り、神棚に灯されたろうそくの光が一筋、私が持ってきた焼酎の瓶を通し、縦にまっすぐ降りているのが鏡に映っている。「二股に分かれて流れる川が見える。その近くに大きなお屋敷があるのが見える。これはたぶん、あんたの母親のお祖父さんの故郷じゃね」ますます不審に思った。母の話を聞く限り、彼女がS市で過ごした生活は、物心ついた頃からお屋敷とはおよそほど遠いものだった。私の心に疑問が生じた。何もわからないと思って、ひょっとして適当なこと言っているんじゃないか、オッサン? アダチさんはそんな私の罰当たりな考えにも構わず、まず焼酎を塩に注ぎ、そこにマッチで火を付けた。細長い青白い炎が、ゆらゆらと立ち昇った。その様子を見届けると、アダチさんは何やら呪文らしいものを唱え始めた。それから、神棚の左側の、枯れた榊やススキの葉が何本か挿してある筒を示して言った。「どれでもいいから、一本好きなのを選びなさい」私はススキの穂を選んだ。アダチさんはそのススキを私の両手に持たせると、今度はタイコを叩きながら大声で歌い始めた。それは島唄とも祝詞ともつかない、なんとも奇妙な歌だった。言葉は島の方言なのか、何を言っているのかさっぱりわからない。およそ十分はそうしていたろうか。歌が終わるまでの間、私はススキを手に正座したまま、目をつぶって下を向いていた。こんなことは馬鹿馬鹿しいという思いと、もしかしたら何かが起こるかもかも知れないという期待が半々だった。しかし何も起こらない。やがてとうとう歌が終わった。「どうもならん?」アダチさんが、私の方を見て言った。「ハイ」「そう。今回、なんで来たの?」「ユタに興味がありまして」「へえ。奄美は初めて?」「ハイ」「いいことでしょう」「いいとこですねぇ」私は答えた。「特に、金作原原生林の…」その時だった。突然、何の前触れもなく異変が起こった。唐突に涙が出てきたのであった。原因がわからなかった。何これ?何これ?と心の中で叫ぶ間もなく、ぼろぼろと涙をこぼして、途端にアダチさんが立ち上がり、再び私の手に先ほどのススキを握らせ、今度はさっきよりもいっそう大きな声でタイコを叩きながら歌いだした。それは奇妙な時間だった。ススキの穂を握り締めたまま、私はひたすら泣いていた。一体何の涙なのか、自分でも理解できなかった。何か悲しいことを思いだしたわけでもなく、どこかが痛いわけでもない。あえて言うなら、それは何か感動的な映画のクライマックスをいきなり見せられた時の感じに似ていた。胸もとが妙に熱いので、見ると、ちょうど鎖骨の下ぐらいの、胸線のある辺りが放射状に赤くなっている。熱を持っているらしく、触ってみるとひどく熱い。涙は歌が終わるまで流れ続け、アダチさんがタイコをたたき終わると同時に嘘のようにピタリと止んだ。ススキの穂を手にしたまま、私は呆然とその場に正座していた。気分は鏡のように静まっており、視界がやけにはっきりしていた。まだ胸の辺が少しだけ赤かったが、さっきの熱を持った感じは跡形もなく消えていた。私がぽかんとしていると、アダチさんが言った。「動くけど、まだ乗らんね。先祖供養をちゃんとせにゃ」「は?」つい身を乗り出していた。動く?乗る?一体何の話だろう。説明がないのでわからなかった。場の空気に当てられて、体が勝手に暗示にかかってそれらしい反応をしただけじゃないのか。アダチさんはそれに構わず、さらに次のように言った。「神高い家系なのに、先祖供養をちゃんとせんといいことないよ。本当はあんたのお母さんがやらんといかんかったんだけど、今さら言っても何もせんじゃろ。だから、代わりにあんたがやんなさい」「先祖供養?」私は聞き返した。「そう神棚祀ってお祈りするの」アダチさんはそう言うと、簡単な神棚の祀り方をさらさらと紙に書いてくれた。鏡に榊、酒、塩、水、お茶。米の粉を練って団子をつくり、決まった期日に三つずつ供えること。「それと、二代ぐらい前のでいい、ご先祖さんが生まれた故郷から川の石を拾ってきて、神棚に祀りなさい。そうするとご先祖様との道ができるよ」私はアダチさんに言われたことを、一言残らずメモにとった。しかし正直な話、今自分の身に何が起こったのか、最後までとうとう理解できなかった。何か不思議なことが起こったのかも知れないし、たたのヒステリーだったのかも知れない。しかしそれでも、そのことが起こった後で何だか気持ちがすっきりとしてしまったことは確かだった。この島の空気はあまりにも独特で、ともすればどんな不思議が起こってもつい信じてしまいがちになる。一旦信じてしまったら、どこまでも行っていないしまいそうだ。ここはやっぱり、いつも以上に慎重になった方がいい。改めてそう思い、自分自身を戒めた。

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