今井大権現にまつわるすべての伝説を啓示され、安木屋場の卜占術師が伝えるすべてのわざを身につけた親神が。あとで聞いた話だが、阿世知さんは奄美で一、二をあらそう漁師でもある。太陽と月を読み、海神に祈願することで、大漁がいつも約束されるのだ、と漁協の人から聞いた。「ユタはね、神拝みするために生まれてきた者だから、神や自然にさからえないんですよ。命じるとおりにやればよし、そうでないと苦しくて身がもたない。実にきついんです。神も自然も情容赦ないから、拝みが足らんと即座に罰が下る。貧乏しても、財産も何もかも神拝みにかけないとね」。と親神はいう。神障りがあっても、生活があるから、すぐに神拝みやユタの道にはいる人は少ないという。一生を神拝みに捧げるのは苦痛だから、できるだけ引きのばすのが、ふつうらしい。しかし、家でも新築しようものなら、「財力に余裕があるじゃないか!」と神が怒り、強烈な障りをもたらす。そうなると、苦痛や災難に耐えられなくなって、あわてて神拝みにはいるパターンも多いというあれだけ強力なシャ‐マンの能力を示したこの親神も、41歳で大病するまでは本格的にユタにならず、名瀬で漁師をつづけてきたのだ。「この祭壇にしても、形や置き方をまちがうと神が怒る。ほんとに試行錯誤でしたよ。だから、ユタになりきれない人も多い」。また、病気治療や吉凶占いをはじめ、場面に応じて使ったカミグチを、すべて祭壇に報告しなければならない。万が一、誤ったカミグチを使うと、とたんに神が怒る。ユタは生命がけなのである。「わたしらは宗教ではないんですよ。宗教なら、いつでも入信できるし、気にいらなければ脱会もできる。だれでも教祖になれますし、信者にしても教祖のいうことにさからっていい。ところがユタになるのは、神の命令だから、まったくさからえません。運命づけられた生活なんですね」。阿世知さんの言葉は、素朴だが、本質を衝いている。シャ‐マニズムは宗教ではないのだ。病の苦悩を避けるために、ただひとつ許された生きざまなのである。翌日は、午後二時から阿世知家て祭がおこなわれる。毎年旧暦の一月九日、五月九日、九月九日が祭礼日であるが、多少前後することもあるらしい。六人ほどの子神、すなわち親神によってユタになった女性たちが、三々五々集まってくる。直会のための食事を用意していた奥さんも、オレンジ色のTシャツの上へ急ぎ白衣をまとって加わる。あとは病気治療におとずれた患者とその妹さん。われわれを入れて合計十三人。狭い部屋に人間があふれる。しかし、よくある厳粛な宗教儀式とはちがう。親神は、参加者が座についたあたりで、廊下へ出て、それまで着ていたごくふつうの服を脱ぎ、白衣に着がえる。軽い冗談をとばしながら。女性たちがどっと笑う。一座は、ほとんどが白だ。ここは神道の潔斎の影響が認められる。五色に光かがやいた派手な韓国のシャ‐マンとの対照。しかし、気楽な‐それこそ近所の寄り合いといった雰囲気は、韓国のそれと変わらない。これはやっぱり、日本人が考える統率された出家修業方宗教のスタイルではない。しかも、祭の次第を実見して驚かしされた。本質的な部分が朝鮮系シャ‐マニズムに、いちいち合致するからなのだ。まず全員が塩を手にとり、酒を体にふりかけ、身を浄める。まだ座がざわついているのに、親神はそしらぬ顔で太鼓を叩きはじめる。その間に、遅刻者がひとり、はいってきた。まだ来ない子神もいるらしい。それでも親神は太鼓を叩きつづける。トロ・トロ・トロという感じのリズムだ。そのうちにユタたちが合掌し、ひれ伏し、また手もみしてカミグチをつぶやきはじめる。各人が各人のスタイルで入神を開始する。八百万神、いや九万九千九百九十九神の名を片っぱしから告げているのだろうか。やがて親神が鉢巻を締め、すすきをもって祓いをはじめると、様子が一変した。ユタたちも一斉に鉢巻を締め、トロ・トロ・トロからタン・タン・タンと激しいリズムに変わった太鼓にあわせて、一人ずつトランス状態にはいった証の舞いを舞いはじめる。七色の紙をお下げのように髪に飾ったユタが、この祭礼では唯一、色彩を仄めかせて舞う。この飾りものをナナハベラという。七つの蝶の意だ。蝶は、魂または霊をあらわすから、おそらくこの七色は、ユタについた七種の霊を象徴しているのだろう。ハベラの色彩が妖しく交差する。これはノロの踊りかただという。ノロとは共同体の祭祀を主宰する宗教的指導者のことである。内地でいうなら、神社の神楽女といったところか。つづいて、紫の袴をはいたユタが、すすきを握り、これを力いっぱい振りまわしながら、ジャンプを開始した。祭壇が揺れる。韓国のム‐ダンが入神するときと同じ方法だ。奄美では、このすすきに神が降りるのである。さらに驚いたのは、ユタの一人が両手に刃物をもって舞いだしたことだった。奄美では、神を迎え、神を降ろすのに、剣を用いる。剣は、すすきと同様の霊力をもつ祭具なのだろう。ソウルのム‐ダンが刀を振りまわして踊っていた姿をも、彷沸させた。次に、70歳ほどの老女がジャンプして舞いだすと、ユタたちが手拍子をとり、「ハイ、ハイ、ハイ…」と掛け声をかけた。これで狂気が一気に解放される。舞い終わって、倒れこむ者もいる。さかんに胸を叩く者もいる。ユタたちは、いずれも身長の低い女性たちである。しかし、神が降りて舞いだすと、急に大きく、猛だけしくなるのだ。次に親神がさ三味線(蛇皮線)を弾き、ユタたちが太鼓を担当すると、エクスタシーは最高潮に達した。これにあわせて、巫女たちがぴょんぴょん跳びはねる。親神は方言でカミグチをつぶやきつづける。狂乱は一時間ほども持続したろうか。子神たち全員が神がかりし、降りた神にしたがって独自の舞いを演じたあと、三味線も太鼓もやみ、終了の祝詞が繰り返された。雰囲気になごやかさが戻る。トランス状態にはいったユタたちが、何ごともなかったかのように談笑をはじめる。「神さんにも夏やすみはあるのかね」と親神が冗談をいうと、笑いが湧きあがる。しかし、恐るべき光景が、そのあとにわれわれを見舞った!この祭に呼ばれていた患者が、親神に促されて祭壇の前に出た。浄めの盃を口にしたあと、すすきを握らされた。実は、この患者は49歳だが、もっと高齢にみえるほど健康をそこなっている。病院では治療効果があがらず、思いあまって阿世知さんの門を叩いた。肝硬変に尿毒症の気があり、不運も重なっている。みるからに痛々しく、歩くことさえ億劫そうだったのだ。その人が、すすきを握って祈祷するうち、異様に震えだした。すすきがブルブル震える。間髪をいれず、太鼓が響き、ユタたちに「ハイ、ハイ、ハイ」と急かされると、患者は突如立ちあがり、ものすごい力ですすきを振りながら、六畳間を駆けまわったのだ。まるで邪霊が憑いたかのような激しいさだった。動くことさえ大儀だった人が、必死の形相で駆けまわる。われわれは慄然として凍りつき、目をみひらいて患者の動きを追った。あまりにも激しくすすきを振ったので、ついにすすきが折れて、座敷に乱れ散った。かれはぐったりとして、祭壇の前に坐りこむ…。あたりが静まると、親神も目を丸くさせ、散ったすすきをとりあげた。「折れてちゃった、これ!」降りた神の強力さに驚いている。ときには、手にしたすすきで祭壇をなぎ払うこともあるそうだ。すすきが横に動けば、祖先の霊が降りたことになる。今回は、すすきが上下に動いた。「神の障りはどうなるのですか?この方もユタにならないといけないのですか?」われわれが尋ねると、阿世知さんはかぶりを振った。神障りと神祟りとは別物なのだユタになるのは神障り。この人のは神の祟りだから、ユタにならずともよいという。山神や海神は容赦がない。自然にさからえば、祟られるのだ。そのとき、阿世知さんが実に興味ぶかいことを言われた。今でも忘れない。「同じユタでもね、沖縄では祟りりといえば〈先祖供養が足りない〉の一点張りなんですね。だから墓をたてなければいけない。内地だって、最近そうでしょう?何かというと霊障の原因を先祖供養の不足で片づけるって。でも、奄美ではちがいます。山や海の神神、自然の神神の怒りといういうケ‐スが多い。ここは、人びとが神のもとで暮らす神の島ですものね」。宗教ではない。しかし宗教以上にみごとな信仰が保たれている。奄美のシャ‐マニズムこそ、この島のふしぎな霊性を維持しつづけている力だ、と思った。直会のとき、阿世知さんが釣ってきたシビの刺身を味わった。ハブの除け方、魚の釣り方、森で迷ったときの脱出法。ケンムンに襲われた際の防御策など、どんな話を聞いても、博物学的な叡知に裏打ちされていることに、われわれは何度も驚愕した。シャ‐マンは、同時に、博物学者でもあったのでなる。祭のあと、小宝島へ漁に行くという阿世知さんを見送ってから、われわれは南の海岸をドライブした。もちろん、こちらがわも神界のおもむきを残していた。大和村のサンセットビ‐チで夕暮れを見たが、海に向かって開かれた墓地から夕焼けの海を眺めたとき、洋上を蝶のように舞う魂が見えるような気がした。九万九千九百九十九の神神は、いまもユタたちの生活ぶりを見守っている。