卒業おめでとう~お赤飯の思い出と新たな意図~ | 響きとからだのハーモニー 小島真理子

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松本発☆タオライアーGraceとまりまりの暮らし。日本みつばちとソウルサウンドライアー(ヒーリングライアー)、GLAボディケア&呼吸法、自然菜園、健康と美しさを守る食べ物
 

3月といえば、試験、卒業、転勤、引っ越しなど

日本中のエネルギーが大移動する時期

 

この時期は、はるか遠くに感じるようになった子供たちの卒業式、卒園式のことなどを思い出します。

今年は、親としての最終ラウンド・・

 

末子がようやくファイナルの卒業を迎えました。

 

大学院までの6年、長かったなぁ・・ほんとに

 

3人の子供たちの卒業式のなかで、もっとも待ち望んでいた日かもしれません。

本人は引っ越しや入社式の準備でそれどころではないのですが

久しぶりにお赤飯を炊いて夫と乾杯しました。

 

ごくろうさまでした~

 

私もあなたも・・

 

小さいころ

お祭りやお祝い事のたびに、母がよく炊いてくれたお赤飯には、

うずら豆が入っていて、正直な話、あまり好きではありませんでした。

 

せいろで蒸したたくさんのもち米に、仕上げのお酒をふっていた姿を思い出します。

今ではすっかり料理を忘れてしまった母ですが、おこわを炊く名人でした。

もち米をもらったから、とか豆があるからとか言いながら、どっさり作るので、

そのたび重箱にたっぷり詰めて、親せきに届けるように言われ、

しぶしぶ持って行きました。

 

今思うと、お世話になったその人たちに、報告やお祝いのお礼をかねて、わたしに届けさせていたのです。

祝いのお赤飯を炊き、感謝の気持ちを届ける意味もあったのでしょう。

そして、今回新たに気づいたお赤飯の意味。

 

わたしにとってのお赤飯は、「けじめ」。

 

末っ子がかわいいとよく言われるのは、あたりまえのことながら

世話を必要とする子供が、その子で最後だからです。

 

親は、子供によって親になるから、

ほんとのところ、世話をするというより、させてもらっている。

世話する相手がいなくなると、親としての喜びや愛情を味わうことから遠ざかるように感じてしまう。

いつまでも親子であることに変わりはないのに。

いつまでも子供の世話をしたい、という気持ちがどこかにある。

 

でも子供は、親の保護が必要な子供時代を通り過ぎて、

いつのまにか大人になっていることにある日気づいて・・

 

少しづつ距離をおきながら、子供は自立し、親はさらに親になっていく。

親も子供と同じように成長しているのかもしれない

 

夫は長く単身赴任をしていた時期があり、

上の子供たちの子育て時期に参加する機会が少なかったので、

末っ子に対する気持ちは特別強いようです。

だから子供から自立するための準備を整えるのに時間が必要でした。

 

たっぷり愛を注いだから、うちの子供たちは大丈夫。

今までしてきたことを信頼して、愛をもって見守っていく。

 

次の親になるための門出のお赤飯

 

そして、いつも孫を気遣い、愛情を注いでくれている父母に、

感謝と、お祝いと報告がてら赤飯を届けました。

こちらのジジババにとっては、いくつになっても小さいころの孫のまま。

孫をいつくしむ両親にも教えられることが多いです。

 

お店で簡単に手に入るようになったお赤飯ですが、

小豆ともち米さえ手に入れば、炊飯器で簡単に炊けるようになり

めんどくさがりのわたしでも、感謝の気持ちを届けることができて、うれしい門出です。

 

今年卒業をむかえたみなさんも、ご家族のかたも、新たな門出へ。

 

おめでとうございます♡