とかそんなかんじに
ビックダディは言っていたっけな。

『あのひとは、そういうひとだから仕方ない』

その考え方が、私はどうにも出来ないでいた。

でも、
「あれは絶対間違ってるよ!」
「こうしたほうがいい!!」
「意味がわからない!!」

とかそういう気持ち全部、
自分のものさしで、人に自分の理想を押し付けてるだけなんだね。

自分のエゴなんだよ。

だから、そういう人だから仕方ない。
諦めというより、許していく。
そういう広い心が必要なことが
身をもってわかったよ。

だから
『あのひとは、そういうひとだから仕方ない』
みたいな考えをもてるように気を付けていきたいって思う。




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ここ最近で
変わった人、クレイジーの素晴らしさを痛感した!私はまだまだまだまだダメダメだ!
もっとクレイジーに面白く生きたい!

面白いことを、いつも考えているってやっぱり最高だと思う!

面白くするのも、しないのも自分なんだよなぁ。

そして面白い人にとっての面白い人は、どんな人なんだろうなぁ。

できてなさに不甲斐なさもあるけれど、
なんだかわくわくするよね。
面白い人にとっての面白い人、
そんな人になれたらいいな!!!!
♪♪なりたいなーならなくちゃー絶対なってやるー♪♪懐かしの歌かよ!!!!

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多摩川花火、きれいでした
白いカレーうどん、美味しいでした
立ち飲み屋、安いでした
やっぱり楽しい一日でした


地球はは一分一秒常に回っていて
時間は止まらない

どんなときも時間は進んでいて、
変わっていないように見えても
物事は必ず変化している。

カエルを水が入ったようきに入れて、
ゆっくり温めると、気がつかないで
ゆで上がっちゃうみたいに

地球温暖化みたいに

ゆっくりゆっくり変わってく。
自分じゃ気がつかないうちに。

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一年生の頃、
大学の授業中、先生が言った。


『自分探しの旅?
そんなん意味がない。
そんな旅で自分が見つかるわけがない。

だってその、どこか知らない所に行ったって
自分なんてないんだから。』

『「自分」っていうのは、
周りの人が作るもんなんだよ。
周りの人が見えてるものが、
それが、自分なんだ。
だから自分のことを知らない所に行ったって
なんも見つからないんだよ。』


聞いたとき
そうかな?って言う気持ちと、
たしかに。って気持ちが半分半分だった。


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一緒に行動しているとその人たちって似ていくと思う。

高校の時のバレー部のときに、とても思ったことだ。

毎日練習を共にして、同じ釜の飯をたべる。

一緒にいればいるほど、
似ていくんだとおもった。

始めは赤、白、黄色、青、緑…そんな、てんでバラバラの色が最後には混ざりあって同じような色になるんだなって、当時、体感していた。

きっと今、大学だってそうだ。


昨日それに似た、しっくりする言葉をさとみに聞いた。

「人は「順応」していく」

身をおいた環境に、人間は順応していくんだ。
意識の低い人たちのなかにいれば、自分もそうなってしまうし、素敵な人たちの中にいれば、自分もそうなっていく。

強いバレーチームに入れば
自然とやっぱり上達できる。

誰と一緒にいるかは運命の分かれ道で、
そうなっていく。自然と。順応する。

だからやっぱり尊敬できる人と一緒にいること。それが一番大切だと改めて思った。
そして私はそうしてきた。
そこは本当に間違っていなかったと言い切れる。

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結局何が言いたいのか。

まとまっていないね。

時間と一緒に
環境と一緒に
自分だって
やっぱり変わる

それは仕方のないことなんだと思う。

だけどいくら順応したって
いくら色んないろと混ざりあったって
それまでの色もあってこそ、
今の色になってるんだよ。

過去の自分は形を変えただけで
消えることは絶対にない。


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あえて変えたこともある
その場に順応するためには
我慢しなきゃいけなかったこともある
そうして変わっていくことは
弱いこと?
いけないこと?
負けといえるの?


後悔はしてない。


だけど本当に悲しい。
やっぱり認めてほしかったんだな。
期待が大きいとショックも大きい。
どうあがいたって事実。

くそーう!!!!!!!!!!

まとまらないよ!
まとまってない!
答えも、正解もわからない!

それが当たり前なんだろうけど!
答えなんてないんだろうけど!

このもやもやを振り払いたいよ!


人間って弱いな。

すぐ悩んじゃうし落ち込んじゃうんだ

その人に必要な言葉、響く言葉っていうのは、多種多様で、いまどんな言葉を伝えるべきか、わたしはよく考える。

でも残念ながら、人の心はいくら考えてもわからない。
自分でさえ自分がわからないときがあるのに
人の心の底のきもちを理解するなんて不可能だ。



気持ちが変わるといえば
日曜のルーズヴェルトゲーム
のはなしがしたい。


今回は会社に約束を裏切られて
廃部になるとわかりきった野球部で
野球しつづけるのか、という回だった。

それぞれの選手に家族や事情があって、
チームは一度ばらばらになる

「子供に飯食わせるためには!こうするしかないんだよ!」

「野球を続けるためには、別のチームにいくしかないんだ!!」

「練習こいよ!!」

帰ってくると信じて残って練習続ける選手と

ここでやりたいのはやりたいのは山々だけど、だけどそんなこと言ってられないと就活する選手


わたしはついこないだの
サークルを思いだしてしまった。

ルーズヴェルトゲーム。
最後には、捨てきれなくて、
就活した選手たちも戻ってきた。

「やっぱり続けよう。いろんな事情があるけど、それでもここで野球をしよう」

と気持ちを再確認するのに
練習に来なかった
その期間は必要だったのだろう。

その冷静に気持ちを確かめる期間に加えて、
ドラマのなかで、彼らの気持ちを変えたと思わせるフレーズが、少しだけどあった。

子供に、絶対野球を続けてくれっていわれた、とか、理解がないと思っていた社長が目を輝かせて野球を語り、逆転への執念を感じさせたこととか。


それで思ったのは、

人の心を動かせるのは
《感動》しかない!!!!!!

感動を与えることができたら、
断固右だと言っている人間が
左に向かうことだってできるとおもう。



人の心を動かせる唯一の働きかけは
感動をあたえること。

でもその感動も、人それぞれなわけで、
結局そう簡単には他人の心を動かすことはできないんだね。