いつか、紙のページをめくるという常識が、無くなっちゃう時がくるのかな。

二つ折りを開いて、ボタンを押す電話も無くなっちゃったし、

CDをかけながらMDに移して、MDプレイヤーといくつかのMDを持ち運ぶことも無くなっちゃったし、

改札に切符を通すことも無くなっちゃった。


ちょっと前のアニメでは、図書館で本の世界に迷い混んだりするのもあったけど
今ではスマホやゲームに吸い込まれるよね。




未来に、紙の本が、残っていたらいいな
試験っていうのは、
誰かが受かって誰かが落ちる。

同じ立場の人がいたら、他の人に負けたくないって強く思う。

だけど、私のそれは、その誰かを蹴落としたい、出来ないやつは置いておいて
自分がガンガン進みたいって気持ちとは違う。

皆が切磋琢磨して、負けたくないって気持ちを持って、良いものは盗みながら全員で強くなって行けたら、そしてそうするなかで本物の仲間となれるような戦い方を、いつでもしたいと思う。

これはきっと、とても甘い。
まずその試験に通過して、舞台に立ってからそこの仲間とスキルアップすればいいし、
そんなこといって逃げてるだけ、
と言われたら、言い返せないし。

ガンガン自分の目標のために、周りに厳しく己に厳しくハングリーに努力する人は、私にない強さがあって、素直にとてもとてもすごいと思う。


それでもやっぱり
弱くてもやっぱり、
仲間と頑張りたいというのが、
私なりのポリシーなんだなって思った。
周りを無視して突き進むことは出来ないし、したくもない。


自分の力で突き進み
夢を叶えた先輩
成績優秀の同級生
皆どこか近寄りがたいトゲを持ってる。
大物になるには、それが必要なのかもしれないと思った。それが正しいのかもしれない。


だから私もそれを、目指さなきゃいけないのか、考えた時もあったけど、


私は私のなりたい像に向かってこうと
再確認した今日この頃。
周りの同年代が、皆自分より優秀で
私だけ年齢に不釣り合いなまま
置いてかれているんじゃないかと感じる。




大学に入ると、
周りの人々の書く文章を読む機会がめっきり無くなった。

自分のテストの点数さえも見えない。

高校に比べるとプレゼンや発表の機会は増えたけれど、本格的に突き詰めて授業で扱うのは稀だ。

そのなかで、
評価規準のわからない、成績だけが、
他人と比較できるものになった。


高校までは、他人との比較で自分の位置付けを確認できた。
しかし大学に入り丸三年、自分の 位置が分からぬまま過ごし、もう今は、自分の進歩も、周りの進度も、分からなくなってしまった。
ただただ私だけ、置いていかれて。
高校から何も進めていないような気がする。

そんな想いから、冒頭に戻るわけだ。



皆はどんな文章を書くのだろう。

私は言葉が好きだから、少ない語彙力と拙い言葉でときどき文章を書いている。
でも雑誌や小説を読むと、そこにあるキレやテンポやオリジナリティーやセンスが、読み返した自分の言葉には無く、ひどく幼稚だな、と実感し落ち込む。

大衆が読んで、面白いと夢中になる文章を書くひとは、いつからそんなのが書けたのかな。

いつか、なるべく早く
読みたくなる文章が書けるひとになりたい。
そのためには、知識が必要なのである。